子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

アーサー・ビナード/2012.7.22

アーサー・ビナード/2012.7.22

山形県東根市 タントクルセンター
司会 ビナードさんは、今大変な忙しさです。毎週土日は、ほとんど半年先まで詰まっております。それを、私の携帯から電話をしたのです。いつもほとんどいらっしゃらないのですが、その時はたまたまいらっしゃって、今日の日の予約が出来たのです。
 電話をかける1週間前に、「さいた、さいた、セシウムがさいた」と言うタイトルで、埼玉県教職員組合主催の講演をする予定でした。しかし、その講演がある勢力の妨害によって、講演中止に追い込まれました。そのことを私は、新聞で読んで知りました。やがて、ビナードさんの「日本語ハラゴナシ」〈ホームページ〉の中に、「みなまでいわなかったさいたさいた」と言う文章が書かれています。それをお読み下さい。では、ビナードさん、よろしくお願いします。

講演「ぼくらの日本語は、生き残れるか」

何度も歌った子供時代の歌に秘められたもの

 タイトルを決めてから、生き残れそうな言葉は、何なのかなあと考えてきた。自分にとって、ベストヒットは何なのかなあと考えてみた。最近英語を日本語にする仕事が多くて、「It's a Small World」(イッツ・ア・スモールワールド)と言うディズニーの仕事をしています。自分にとっても1番の歌は何かなあと考えていました。それは、「イッツ、ビッツ、スパイダー」と言う歌です。子供時代、何千回と歌った歌です。イッツ、ビッツは、日本語で「ちっちゃい、ちっちゃい」という意味です。スパイダーは、クモです。この歌が物語になっているんですね。そぎ落として、その骨格だけが歌になっているんです。物語を映像的にお伝えすると、
『ある日小さなクモが、散歩に出かけました。高くそびえる屋根を見ていると、雨樋を探検したい衝動に駆られました。まず、あまどいが地面に直下する縦どいの中に入って、ヨイショヨイショと上に登っていきました。ところがその時、一挙に雨が降り出し、縦どいの中は、すごい勢いで雨水が流れてきて、小さなクモは地面に叩きつけられた。ところが、急に雨はやみ、空は真っ青に晴れ渡り、太陽が一挙に照りだした。地面を完全に乾かしてくれた。クモは、もう一度その雨樋の中に入り、ヨイショヨイショと登っていった。ところが、一挙に雲が暗くなり、また雨が急に降り出し、縦どいの中に、一挙に雨水が洪水のように流れてきた。クモは、激流にのまれて、地面に叩きつけられた。かと思ったら、空が急に晴れ渡り、太陽が一挙に出てきて、地面を照らし出した。小さなクモは、また立ち上がり、もう一度縦どいの中に入り、同じようによじ登っていった。ところがその時、いってんにわかに天候が変わり、雨がざあっと降ってきた。』
 ずうっと繰り返される歌なんです。実際にその歌に出てくるのは、小さなクモが縦樋の中に入って、登っていく。そこににわか雨が降って、クモは、地面に叩きつけられる。この歌が、ぼくにとってはメロディも歌詞もしっかり覚えている。スパイダー以外の歌は考えられなかった。

日本に来て、スパイダーがカッコウに化けていた

 日本に来て、日本語を学びだしてしばらく経ったら、あるときこのスパイダーのメロディーが、日本語で流れてきた。その歌は「静かな湖畔の」という歌で歌われていた。スパイダーがかっこぅと言う鳥に化けて歌われていた。それを知ったときは、驚いたと言うより、拒否反応でした。カッコウが飛んできて、大事なクモをパクッと食っちゃったという感じでした。それで、拒否反応を持ちながら、「静かな湖畔」の歌を覚えていきました。日本語になったこの歌は、もっと景色に広がりがあり、それを輪唱で歌ってみると、その景色がよけいに広がってくる歌でした。最初は、拒否反応でしたが、何度か歌っていくうちに馴染んできました。〈ここでビナードさんが英語で歌う〉

『Itsy Bitsy Spider』

The itsy bitsy spider
Crawled up the water spout.
Down came the rain
And washed the spider out.
Out came the sun
And dried up all the rain.
And the itsy bitsy spider
Crawled up the spout again.


レインとアゲインが相乗効果

 この歌は、最後にアゲインがポイントになっています。レインとアゲインがうまく次の繰り返しにつながり、「もう1回。」となる。小さいとき、母親がうんざりするほど何度も歌っていました。それがおとなになり「あげいん」が最後に入っていることにより、「もう1回」というのが、子どもの脳に刺激されるんですね。アゲインを最後に叫び、もう一度繰り返すわけですからね。この歌にあわせながら、親指と人差し指を合わせて歌うのですね。それこそ、子どもたちは倒れるまで歌っていくんです。(笑い。)アゲインという歌詞が、この歌の反復の装置として仕込まれていると言うことは、日本語の「静かな湖畔」の歌に出会って、2つの歌を比較して、初めて元歌に仕組まれている「反復」の言葉に気がついたのです。この日本語の「静かな湖畔」の歌のやり方で、アメリカに帰ったときに、子どもたちと一緒にクリスマスの時に輪唱をやったんです。大人も入って、輪唱で、1つずつずらしながら歌ってみたんです。臨床実験です。〈笑い。〉ところが、めっちゃくちゃになり、日本語の「静かな湖畔」の輪唱のようにはならなかったんです。だって、クモが雨樋の中を登る場面と、流される場面が繰り返されるわけですから、重なって、ゴチャゴチャになってしまうんですね。歌に広がりが出るどころか、全く逆効果になってしまったことがわかったんです。日本語の「静かな湖畔:」は、輪唱で歌うと、景色が広がりすばらしい歌になるんですね。アメリカの元歌は、繰り返すことの楽しさが、あの歌の中に仕組まれていたんです。今でも好きなんですけど、技術的にうまく出来ている歌なんですね。アメリカの子どもたちが、何度も何度も歌うことの楽しさが、この歌にはうまく組み込まれていると言うことです。すてきな歌であると同時に、「そうち」として仕組まれていることが、自然に心の中で働き繰り返し歌われてしまうのです。歌の場合は、それほど問題ではないかも知れません。

もう1つの仕組まれた歌「テネシーワルツ」

 しかし、今コマーシャルでもこの「反復」という装置が行われています。思えば、この歌の装置は、まだかわいい方です。もっと見事に仕組まれている歌があるんです。皆さん歌ったことがあるんじゃないでしょうか。「テネシーワルツ」がそうです。〈ここでアーサーさんの美声で原曲のテネシーワルツが歌われる。会場の何人かも、かすかに一緒に歌い出す。〉ぼくの父親も母親もみんなこの歌を歌っていました。日本語にも訳されて、世界中で歌われた歌です。日本語に訳すと『その夜ぼくは、恋人と一緒に踊っていた。テネシーワルツの演奏に合わせて、踊っていた。そこへ久しく会っていなかった懐かしい友達が来て、彼に恋人を紹介した。その後パートナーをかえて、恋人と友達が踊っていた。その時に恋人をその友達に取られてしまった。今は、かけがいのない恋人を失い傷心に打ちひしがれている。バンドは、あの美しい曲を弾いていた。』こういう歌詞です。でも、これはあり得ない歌詞です。詐欺もいいところです。こんな歌なんで信じちゃうんだろう。歌の名前は、テネシーワルツ.その歌詞に合わせて、曲が出来ている。その夜ぼくは、恋人と一緒にあのテネシーワルツの曲に合わせて踊っていた。今歌っている歌がテネシーワルツなんですよ。あり得ないでしょう。昔を思い出して、あの夜テネシーワルツの曲に合わせて踊っていたと言うんですよ。テネシーワルツなんて、存在しないですよ。この歌がテネシーワルツなのに、誰でも知っている不滅の歌なんだと言うこと。発表と同時に名曲なんですよ。自動内蔵型PR装置を埋め込んであるんです。歌そのものが、歌のPR〈ピーアール〉なんですね。この歌そのものがテネシーワルツなのに、バンドは美しいテネシーワルツを演奏していたと言うんでしょう。しかも、最後に美しい歌テネシーワルツとほめるんですよ。何でそう言えちゃううんでしょうか。それは、誰も気がつかないからです。ぼくの父親も、このことに気がつかずにあの世に行っちゃったんです。ぼくがこのことに気がついたのも、日本語で考えるようになってから、気がついたんです。改めて聞いて、「ちょっと待ってよ。」この設定は何なのと気がついたんです。
 うちに父が聞いていたのは、パティーページのアルバムでした。元の歌は、男の人が恋人のことを歌っているんですけど、パティーページ女の人が恋人を取られたとして歌っている。どちらにしても同じことなんですけどね。そのことに気がついてから、テネシーワルツは、しばらく聞く気になれなかったです。やがて、そのことが和らいできたので、もう一度聞いてみることにしたんです。この内蔵型自動PR装置というのは、むしろ畏敬の念が出てきて、一度でいいからこういう歌作ってみたくなりました。今そういう気持ちになっています。日本語でも、出来るのではないかと思います。ほとんどのファンが、このことに気づいていない。メロディもいいし、歌詞の意味もそれなりにいいので、親しまれています。名曲になった1つが、内蔵型自動PR装置と言うものなんですね。このテクニックが入ると、人々の脳裏に組み込まれていくのです。勘違いして、不滅のヒット曲になってしまうものなんですね。既成事実化に吸い込まれていくんです。名曲になると、その装置はばれにくいものになってくるんです。

嘘で盛り込まれたエネルギーと軍事関係の言葉

 ぼくらが使っている言葉の中にも、この内蔵型自動PR装置に組み込まれているものが結構あるものなんです。歌だけでなく、新聞で毎日使われている正式名称などもそうです。ある種の勘違いを誘うような言葉がたくさんあるのではないでしょうか。偽りの言葉が一番使われているのが、エネルギーと軍事関係です。原子力の言葉は、そういう嘘が盛り込まれています。そういう実例を入れながら話していきたいと思います。

原爆投下は正しかったのか

 まず、自分の核の見方がどう変わったかと言うことからお話ししましょう。アメリカに生まれ、学校では、原爆のことも繰り返し教わりました。原爆を投下したのは、正しかったという考えが、そのような時期になると、毎年放送されたりしてきました。英語では、アトミックボーンというのと、ニュークリアーウイポンという言葉です。アトミックボーンというのは、原子爆弾と日本語に訳されています。ニュークリアーウイポンというのは、核兵器という意味です。この2つの言葉を使いながら、歴史的にも語られてきました。核分裂の話をするときにも、この2つの言葉を使いながら語られるんですね。この2つの武器を使いながら、原爆を落としたことは、正しかったんだとずっと子供時代からすり込まれてきました。中学生の時にも、そのことに疑問を持ったことがありました。定説は、原爆を使わなければ、戦争は、まだまだ長引いたかも知れません。戦争を終わらせるために、トルーマン大統領が決定したんだと語られてきました。米英の多くの犠牲者が、これ以上を出ないようにするために、原爆が落とされたという考えです。その時、2発をなぜ落としたんだろう考えました。広島に落とした3日後に長崎に落としているのです。

『ピカドン』は、生活者の言葉

 その後日本に来て、5年くらい経ってから初めて広島に出かけました。平和記念資料館に行き、体験した人に初めてお話を伺い、その話の中に「ピカドン」という言葉が使われていました。その言葉は、ぼくにとっても初めての言葉でした。聞いた瞬間に意味がわかりました。一方、アトミックボーンとかニュークリアウイポンという言葉は、どこから出てきた言葉なんだろうかと考えました。この言葉は、核兵器を作りだし、使用した人たちの言葉でした。
 アメリカの一般の人たちが考え出した言葉ではありません。マンハッタン計画の中で作られた言葉なんです。アメリカ国民でさえ、この言葉を教えられたのは、原爆投下直後なんです。アメリカの一般市民の中には、これらの言葉に関わった人たちは誰もいませんでした。この2つの言葉の中に、ある一つのことが組み込まれているんですね。ピカドンは、広島と長崎の市民が作った言葉です。自分たちの頭上で爆発した爆弾のようすを、自分たちの言葉で感じたとおりに作り出した言葉なんです。アトミックボーンとかニュークリアウイポンと言う言葉は、アメリカ国防総省が上から目線で作った言葉です。みなさんアメリカ国防総省のことをカタカナで何というか知ってますか?ペテンタゴンというのです。〈笑い。〉エノラゲイという飛行機から、原子爆弾を落とす時の言葉です。相生橋の所に立って、空を見上げながら落とされたときの爆弾は、「ピカドン」という言葉なんです。長崎の浦上天主堂に立ってみているときの言葉でもあるのです。広島は、ウラン234の核分裂の連鎖反応によって起こされたものです。アインシタイン博士の相対性理論の方程式に当てはめて起こされたものなんです。放射能と熱戦で広島の町を破壊したものなんです。それをホワイトハウスから見るか、相生橋に立ってみるかの違いです。

長崎の原爆と広島の原爆を一緒にするな

 長崎の原子爆弾は、プルトニウム131の核分裂反応で起こされたものなんです。2つの爆弾は、全く違うものなんです。私も、ピカドンという言葉を初めて聞かされて、見方が変わってきたのです。だから、アトミックボーンとかニュークリアウイポンと言う言葉を考えるときに、ぼくらはみんな生き物・生活者という見方ですよね。原子爆弾とか核兵器という言葉は、日本語の言葉として、権力者が摘出して作った言葉なんです。これも1つの勘違いを誘わせる詐欺の言葉なんです。もう1つぼくの友人で、俳句をやっている友人から歳時記という季語の言葉から、教わったものです。日本に昔から使われている歳時記は、問題であるという指摘を受けました。今の歳時記は、古いと言ってました。季節の区切り方が、今の生活とかみ合っていないと言ってました。原爆忌というのは、広島では夏の季語になっています。ところが長崎では、その言葉が、秋の季語になっています。終戦記念日も秋の季語になっています。8月8日辺りに立秋と言うことががひかれています。立秋で、広島と長崎が区切られています。それはおかしいだろうと、友達が教えてくれました。どちらも夏の季語にした方がいいのに、そのような分け方をしています。その友達は、ぼくを歳時記改正論者に引き入れたいために、ぼくにそのようなことを教えてくれたのです。ぼくは、その話を聞いたときに、絶対歳時記をいじってはいけないと感じました。広島と長崎を一緒にしては、絶対ダメなんです。広島の原爆と長崎の原爆を一緒にすると、脳みそ腐ります。ダメですよ、全く違いますから。被爆すると言うことで、その一画が示唆されるんですよね。もう歴史の枠の中には入らない。一人一人の人間にとって、被爆がどういう意味なのか。2つの被爆の犠牲者が何人と合計しても、全く意味がない。広島の後、3日後長崎に落とされたと言うことで考えると、いくらかその意味が分かる。この3日間の間に永久に匹敵するくらいに間が空いている。なぜ一緒にしてはいけないかというと、爆弾が全く違うからです。

ウラン爆弾とセシウム爆弾の違い

 広島の原爆が持っている意味と、長崎が原爆を持っている意味が全く違うのです。広島は、ウラン爆弾です。ウラン238を捨てて、ウラン235を残して、濃縮して、気が遠くなるウラン濃縮の過程をやって、作る爆弾。その爆弾は、核開発の意味を持たないのです。その後、ウラン爆弾の実験はしていません。落とす前から、それほど意味のある爆弾ではなかった。広島の原爆は、骨董品を落としていたのです。落として、やっぱり爆発したねと言うくらいのことだったんです。ぼくらが犠牲の歴史をたどるとき、広島が有史以来の最大の犠牲ととらえるでしょう。人類の歴史の中では、最大の犠牲であったのだが、核開発の歴史でとらえると、広島のは何の意味もないのです。意味があるのは長崎です。長崎の爆弾は、プルトニウム爆弾です。マンハッタン計画のすべてと言っても過言ではないのです。そのことを理解しないで、8/6日が来た、8/9日が来たと考えても意味がないのです。2つの原爆が落とされたと考えていては、何の意味もないのです。それが、今や意図的に演出されていると考えられます。その演出をそろそろ見抜く必要がある。むしろ1960年前にそのことを、見抜かなければならなかった。

マンハッタン計画の本当のねらい

 なぜ長崎の爆弾がすべてかというと、マンハッタン計画では、プルトニウムをどう作るかというのが課題であった。ウランは、はじめっから、人間の暮らしているところにはなかったけど、山の方にはあった。人間がそういう所に近づくと被爆するから寄りつかなかった。先住民たちは、みんな知っていて避けていた。でも、オーストラリアとかぼくの母国アメリカ中西部とかアフリカのコンゴとかそういう所にウランがあった。ウランの物質は238なんだけど、それがほとんどです。99.9%そうなんです。ウラン238は、核分裂しない。原爆でも原発でも使えない。核分裂の連鎖反応は絶対しない。天然にあって、核分裂する唯一の物質が、ウラン235なんです。その存在は、1%未満、0.7%なのです。だからウランの鉱石を掘って、それで爆発させようとしても出来ない。どうするかというと、ウラン238は捨てる。残りウラン235を残し、ひたすらそれを濃縮させていく。これが犯罪的な行為なのです。ひたすら捨てたウラン238を、業界では劣化ウランと言います。だからウラン235を濃縮させて、どんどん高めていくのです。高めていけば行くほど、核分裂の連鎖反応が出来やすくなるのです。それで原爆を作る訳なんです。原爆は、核分裂の連鎖反応によって起こるのです。これが物理学の先生達なら何も説明しないのですけれど、もしかして核分裂に詳しくない方もいらっしゃるのではないかと思いますので、説明します。

アインシタインが発見した相対性理論

 核分裂をさせるために、ウラン238に中性子を当てる。鉄砲の弾みたいに当てるのです。その中性子がウラン238の核に当たると、パーと割れて、ウランではなくなってしまうのです。他の物質になってしまうのです。何が出てくると思いますか?毎日食べてますよ。今日の弁当にも入ってますよ。日本にいる人は、毎日食わされています。ぼくも福島からばらまかれて、体の中に入れています、微量ですけど。皆さん食べています。セシウム137です。数値にはなっていないですけれどもね。この間、会社は言わないけれど、伊藤園からお茶が送られてきた。伊藤園の新茶が200ベクレル超えているんですよね。だから、セシウム137が入っているかどうかは、ゲルマニウム検出器買ってきて調べるしかないのです。このように核分裂すると、セシウム以外にもたくさんの物質が出てくる。割れたとき、中性子を2つ出します。中には、気前のいいやつがいて3つも出すものもある。他の物質に化けたとき、ちょっとだけ重さが減る。ほんのちょっと減った分が、エネルギーに変わるのです。アインシタインが、1905年に予言した核分裂のエネルギーなんです。相対性理論です。どのくらいのエネルギーが出るかというと、重さ〈減った〉×光の速度〈毎秒30万キロメートル〉×光の速度〈毎秒30万キロメートル〉×0.000001グラムという形でエネルギーに化ける。放射能と放射線と熱という形で、エネルギーが放出される。1つの原子核だったら、ほんのわずかなエネルギーなんだけど、ウラン235を濃縮する。ウラン235を集めちゃうと、中性子2つが出てきて、こいつにも当たってしまう。そういうウラン235がいくつか濃縮されて集まっていると、お互いに中性子が出てきて、それにまたぶつかり合い、ものすごいエネルギーが出てくるのです。中性子の嵐です。その核分裂は、1秒もかからない。広島、長崎の爆発は上空で1秒もかからず爆発をしている。一瞬にして、核分裂が進む。だから50キロのウラン235の重さの800グラムきり爆発しない.プルトニウムも6キロ入っていたのだけど、ほんのわずかで爆発を起こしている。

ネズミ講よりもっと悪質な核分裂連鎖反応

 こういうシステムを、山形の東根で人間がやるとネズミ講となる。やってはいけないことなんです。物理の世界でやると、核分裂の連鎖反応となる。すてきな名前がついて、何かもっともらしい名前がついている。実は、ネズミ講より核分裂の方がたちが悪い。だって、自然界には、ない。かって太陽から分かれて、地球にわずかに残されたのかも知れない。かっては、セシウム137が、たくさんあったが、それが半減期で減って減って、そのおかげで、生物がこの地球上に現れることが出来た。ぼくらがこの地球上に現れたのも、放射性物質が、どんどん減ってきたおかげなんです。今は、逆に核分裂を再び起こして、放射性部室を再びこの地球上に増やしている。ネズミ講は、数ヶ月かかって悪いことをする。核分裂は、一瞬にして悪いことを起こしている。この一瞬の爆発を、広島・長崎の人々は、ピカドンと表現した。実は、このプルトニウムという物は、人工的に作らなければなかった。プルトニウムを作るのには、原爆が必要であった。

プルトニウムは、地球上に存在しなかった

70才80才の人たちが子どもの頃は、プルトニウムは、地球上に存在しなかった。
 1940年から41年にかけて作られた。ぼくの祖父母も、プルトニウムのない世界に生まれた。アフリカのコンゴという所で、プルトニウムがほんのわずか核分裂して残っていたという説もあるんだけど。とにかく人工的に作らなければこの地球上には、なかった。何でプルトニウムがなくて、ウランがあったか。プルトニウムの半減期は、2万4000年くらいかかる。それで半分になる。地球4数億年の歴史の中では、こんなの瞬く間のうちに過ぎる。かってはあったのだが、長い歴史の中でなくなったのです。ウラン235は、何で亡くならなかったかというと、半減期が7億年だからです。だから何回か半減期がおき、ウラン238の中の235は、わずかになって残っていたことになる。だからこの何十億年かけて亡くなりつつあるウラン235を、再び作り始めていることになる。

福井県の大飯町で現在作られている核分裂の連鎖反応

 日本では、福井県の大飯町で今現在作られている。3号機と4号機で作っているわけでしょ。だから、235と一緒に238が混ざって、核分裂起こすと238は核分裂起こしませんから、235から出てきた中性子をもらうことになる。もらうと239になる。いらない物をもらうと、不吉になる。物質的には、不安定になる。この239は、不安定な物質に変化する。だからベーター崩壊239を2回起こして、プルトニウム239に分裂する。原子炉の中でプルトニウムが作られていると言うことは、そういうわけなんです。原爆でそれをやると、プルトニウムが空中で飛び散ってしまう。それを集めるわけにはいかない。キノコ雲になって、拡散してしまう。マンハッタン計画の最大の課題は、爆発したときに起こるプルトニウムを抜かなければならない。原爆を起こすときに使う材料としては、プルトニウムの方が優れている。広島と長崎の被害の大きさで比べることは、意味がない。長崎のプルトニウム爆発の方が、はるかに威力もあるし、核開発には意味があった。原爆で作ると、プルトニウムが飛び散ってしまう。

たこ抜きたこ焼きと爆発抜きのセシウム

 うちの妻が、この間、詩に書いていたことがある。それは、たこ焼き屋が近くに出来て、そこに買いに来たお客の注文を聞いていた。「たこ抜きの、たこ焼き下さい。」と頼んでいた。「どうして?」と主人に聞かれ、「おじいちゃん歯が悪くてたこは食べられないけど、たこ焼きのたれが好きなの。」というやりとりを聞いて、詩を書いていた。マンハッタン計画も、「爆発抜きのプルトニウム下さい。」と同じこと。原爆を爆発抜きにして、行えばプルトニウムは取り出せる。そのようにしてプルトニウムを取り出せば、さらにすさまじい原爆が作れる。その爆発しない原爆をマンハッタン計画で作った。それが、福島の原発なんです。長崎の原爆は、2回爆発を起こす。それを可能にしてあの原爆が落とされたのです。1942年にアメリカのエニッコフェルミという学者が、その装置を開発することに成功したのです。「パスポート」という本に書いてある。
 日本でも、その本の考えが、「未来都市」という本で、こども向けに書かれている。手塚治虫のイラストなども出ている。風力・推力・火力・原子力と解説してある。私は、この本をずっと大切にして、何度も読んできた。読むたんびに、吐き気が出そうになる本です。エネルギーのエース原子力という扉が出ている。おとなしいウラン238は、ウラン235に変身。楽しく忍者の絵にして書かれている。自分で自分を制御する賢い原子力エネルギー。原子力エネルギーを外に出さない5つの壁。しかし、コンゴこれを改訂するときには、5つの壁でなく、5つのザルにしなければならない。〈笑い。〉

離れ業で作られた原子力の歴史の子ども向け本

 地震だって大丈夫だよと福島のタテヤが、ガッツポーズで書かれている。この中に原子力の歴史というページがある。アインシタインの手のひらに原子核が載っていて、よろしくと言っている。このページを読むと、原子力の歴史がよく分かっていただけると思えます。東京電力原子力計画部というところが、子ども向けに書いている。1997年の本です。レントゲンとかキュリーとか人の名前がたくさん出てくる。レントゲンが1895年に発見した放射線が、原子力の始まりだ。翌年その放射線が、原始の中から飛び出してくると言うことを発見したのが、キュリー夫人です。1905年アインシタインは、核分裂するときに、熱エネルギーがでると言うことを予言した。のちにこの予言が正しいと言うことが証明された。1942年エンリコ・フェルミが、ウラン238を核分裂させることに成功した。こうした過程の中から、今では、世界31カ国が原子力で発電し電気を起こしている。何度も何度も読んでいくうちに、このような過程をうまく作り上げていることに気がついていく。
 1997年までの歴史を、うまくまとめている。離れ業だと思う。原子力の歴史をたどっているのに、全く原子力の歴史の本質触れてないことに気がつく。これ卵の歴史という本だったら、鶏に触れずに、卵の歴史を書いているようなものなんです。鶏が存在しないことを前提に、卵のことのみを書いているような本です。このようなことを詩人が書いたら、この詩人の人生は終わり。コピーライターしか書けない。ぼくには、こんなことは書けない。本質を全部摘出して書いている。

マンハッタン計画の本当のねらい大量殺戮兵器を作ること

 1942年エンリコ・フェルミは、プルトニウム作りなんです。マンハッタン計画のすべては、大量殺戮兵器を作ることが目的だった。エンリコ・フェルミは、シカゴ大学で世界初めての原子炉を作り、プルトニウム作りに成功したのです。この原子炉を、シカゴパイロと言うんですね。ぼくは、この4月にシカゴパイロを見に行った。のちにニュークリアクターと言われるようになる。煉瓦を積み上げて作られた物です。ニュークリアクターは、日本語で原子炉と訳された。原子炉は、何のために作られたかというと、プルトニウムを作るために作られた。爆発しないようにして、作られた。広島の爆弾は、ピカドンだが、もう1つの爆弾は、時間をかけて作られたので、ジリジリと名付けた。ジリジリ原爆の福島の1号機も3号機も、ネルトダウンすると、爆発する。チェルノブイリ事故もそうだった。核開発する人たちは、人の命はどうだっていいんです。ジリジリ原爆が、日本語に直すと原子炉。誰が原子炉なんて言葉を発明したんだろうね。何だかいろりみたいに親しめる言葉です。ジリジリジリジリプルトニウムを増やし、1945年の7月に、ニューメキシコ州で世界で初めて核実験をした。これが世界初めての原爆実験です。アメリカ国民は、当時誰も知りませんでした。広島が世界初めてという人がいるが、その1ヶ月前に、原爆実験を行って成功している。アメリカの国民のほとんど誰も知らないが、当時陸軍の中枢にいたほんのわずかな人たちのみが知っていた。ホワイトハウスの一握りの人たち切り、知らなかった。使った費用は、天文学的数字です。アメリカ国民の富を、違法な国家プロジェクトが、国家予算と関係ないところで秘密に使っている。アメリカの合衆国憲法にあきらかに違反しています。ジェファーソンやワシントンやアダムスやフランクリンなどが作った合衆国委憲法には、税金を使うときは、国民に明らかにしていかなければならないと書いてある。マンハッタン計画は、戦争の予算どさくさの中で、勝手に誰にも知らせないで違法に行われていた。ニューメキシコ州の人たちには、死の灰も降らせて、誰もそのことは知らないまま過ぎていった。数え切れない被爆者を、アメリカ国内で作っておいて、そして8/6日と8/9日を迎えるのです。

マンハッタン計画で吸い取られた天文学的数字の国民の税金

 ぼくは、アメリカにいるときも学校で少し疑問に思っていたけれど、日本に来て原爆の落とされた国に来て、初めて原爆の恐ろしさを知った。アメリカでは、戦争を終わらせるために8/6日に落としたという言い方をしているが、実験を成功させるまでは、ジリジリ戦争を長引かせて、実験が成功したから落としたんではないかと考えている。原爆投下は、トルーマン大統領の身になって考えなくてはいけないと考えた。すでにドイツは降伏していたし、日本も戦艦大和は沈没し、日本中のほとんどの都市が空襲で焼かれてしまった。原爆を落とすために残っている都市は、長崎・小倉・広島・京都.新潟くらい都市はなかった。もし仮に、日本が7月中に降伏していたら、トルーマンたちはどうしただろうと考えるとわかりやすい。原爆を落とさないで戦争を終わらせていたら、アメリカ国民は、息子を恋人を殺されずに戦争が終わったと喜んだに違いない。その時に、しばらく経ったら、マンハッタン計画で吸い取られた国民の税金が、そこにつぎ込まれていたことを知るようになる。それが明らかになったら、アメリカ国民は、ものすごく怒るだろう。日本でも歴史の中にいろいろな不祥事が起こされているが、そんなこと比べものにならないほど、マンハッタン計画はものすごい金を使っている。そうなったら、アメリカ国民、ぼくの祖父母もみんな怒ります。こんな無用の猛毒で、半減期が2万4000年もかかるセシウムを、何で我々国民の税金を秘密裏にして作ったのかと大暴動になる。マンハッタン計画は責任をとれない物を作る計画だったんです。その責任を追及されたら、トルーマンは刑務所行きになる。広告代理店の優秀なコピーライターと組んで、1番いい方法を考えたんです。原爆を落とさない計画と、落とす計画を作ったが、落とさない計画は大変なことになると当時のホワイトハウスの一部と陸軍省のトップは考えた。

原爆投下正当化作戦が、全米中に広がる

 だから、8/6日広島に原爆を落としてから、大々的にキャンペーンを始める。8/6・9日は、原爆忌である。原爆投下正当化作戦が、全米中に広がる。同時に、アメリカか国民がマンハッタン計画を知ったのは、8/6・9日その日だった。8/15日の日本の敗戦記念日は、アメリカ国中大喜びだった。アメリカもこの戦争で、たくさんの人が亡くなっている。戦争が終わり、恋人や旦那や父親が帰ってくるから、大喜びでその日を迎えた。8/15日その日は、マンハッタン計画を推進してきた一部の人々並びにホワイトハウスのトルーマン大統領以下の権力者が、原爆投下正当化作戦のおかげで、救われた日でもある。アトムのおかげで戦争が終わったというコピーが国中くまなく広がっていった。みんなが戦争を推進してきたが、そのおかげではなくアトムという新兵器のおかげで戦争を食い止めることが出来た。ずっと続くはずの戦争が、新兵器のおかげで早く終わって、息子や恋人たちが生きて帰ってきた。核兵器を使うためにずるずる戦争を引き延ばしていたから、けが人や死者が増えていたのが現実だった。しかし、核兵器のおかげで、戦争を終えることが出来たと大宣伝を展開した。トルーマンも、アメリカ国民の生活を守るために、2発の原爆を落としたんだと演説している。

ソ連を仮想敵国にし、恐怖をあおる

 これから、マンハッタン計画を維持発展するためには、もう1つ大事なことがすり込まれていった。それは、ソ連を仮想敵国にすることだった。恐怖をあおることによって、マンハッタン計画によって出来てしまった核兵器を正当化した。それをしなければ、アメリカ国民は、マンハッタン計画を支持しなかったに違いない。わかりやすくするために、豆まきを例にして考える。山形の方では、やりませんか。「鬼はソ連、福は核兵器。」と。〈笑い。〉1945年の夏から始まった、PR作戦。ソ連が恐ろしいだから続けよう。核開発は、国防だから、辞めてはいけない。冷戦時代に、ソ連にはその鬼がちゃんといたんですね。スターリンという鬼です。実は、ソ連もアメリカに全面的に協力したんです。ソ連も核開発をしようと、突き進んでいった。1949年にソ連が、核保有国になるんです。ソ連は、長崎の爆弾とそっくりの爆弾を作っている。定説では、盗んだとなっているが、アメリカがこっそり資料を渡していると考えられる。盗んだか、コソ泥かもらったかは、はっきり分からない。長崎のプルトニウム爆弾の設計図で、そっくり作っている。アメリカは、ソ連の実験成功に喜んでいた。なぜなら、今度は、原爆でなく水爆を作る計画をしていた。大統領も、トルーマンから、陸軍のトップにいたアイゼンハワー元帥に引き継がれた。アメリカは、その時1000発の核兵器を持っていた。1950年代は、水爆実験が何度も繰り返された。やがて、ソ連もその後を追うようにして、水爆実験を成功していく。アイゼンハワーが8年後に大統領を辞めたときには、核兵器はアメリカだけで2万2000発持っていた。アイゼンハワーほど軍拡競争をやった人はいない。アイゼンハワーが大統領を辞任したときに、アメリカで思いがけないことが起きた。アメリカがソ連の軍事力に慌て始めるようになった。色々調べてみると、ぼくが生まれる前だけど、アメリカ国民の微妙な意識の変化が起きている。

核戦争が起きたら地球が破滅してしまう

 アメリカに続き、ソ連も水爆を開発した。アメリカ国民が、水爆とはどんな威力があるのかと考え出した。広島・長崎に落とした原爆の1000発分の威力があることを知る。アイゼンハワーの国連演説の3ヶ月も経たないうちに、太平洋のビキニ環礁で水爆実験が行われた。日本の第5福竜丸が、1954年3月1日に太平洋で出会ってしまった。死の灰を浴びて、無線長だった久保山愛吉が、この半年後の9月23日になくなっている。アメリカ国民も、ソ連と2つの大国だけで、水素爆弾を広島長崎の原爆の1000発分を持ってしまった。もし仮に戦争が起きてしまったら、地球破滅になると考え始めた。アイゼンハワー大統領は、その時のことに憂慮し始めていた。「その時歴史は動いた。」〈笑い。〉ホワイトハウスが、世界で1番大きい広告代理店。優秀なコピーライターたちを集めて、正規の大キャンペーンを始めることにした。核開発のすべての始まりは、プルトニウムからの出発であった。原子炉は、プルトニウムを作るためのものであった。原子炉がある限り、核開発は続く。一部の軍関係企業とそれに携わる者たちにとって、莫大なお金が転がり込む。原子炉という物は、一般市民には馴染まない物だった。一般市民にとっては、何のメリットもない。コピーライターたちは、PRの奥の手を使い出した。原子炉のまき直しを始めることにした。赤福のまき直しは、正しかった。正味期限をごまかしただけだった。ごまかしたのをそのまま食べても何でもなかった。でも、正味期限をきちんとして、再会した。アイゼンハワーの原子炉のまき直しは、すさまじかった。

アイゼンハワーのパッケージを変えて売り出す国連演説

 原子炉は、中身はそのままにして発電機を起こす物だとした。発電機は、水をたくさん使う。熱が出るから、水は、蒸気に変化する。その蒸気を利用して、タービンを回そう。そのために原子炉のまわりに様々な装置を取り付けた。この原子炉から出てくる負の廃棄物は隠して、宣伝することにした。1953年12月8日の国連総会の時に打ち出した。アイゼンハワー大統領が演説をうつ。アトムホワピース=平和のための原子力。つまり原子力の平和利用と言う言葉です。平和の全く正反対の所にある核分裂を起こす原子炉を、そのようにパッケージを変えて売り出す演説をした。人間だけでなく地球上の生物すべての敵である、原子力の核分裂をそう宣伝して売り出し始めた。平和という言葉が、1953年から54年にかけて、一部権力者に乗っ取られてしまった。国連演説だけではないです。アメリカ郵政省が、原子力の平和利用の記念切手を発行してます。エネルギー省が、原子力で電気を起こすと、電気代はただになりますよと宣伝もしている。「奥さん、これ買って下さいよ。発電機ですから。将来電気代は、ただですよ。」と言われたら、みんな買い出しますよね。

原子炉本来の目的は、セシウムを作ること

 ぼくは、今東京では、「吉田照美のソコダイジナトコ」という文化放送の木曜日のコメンテーターをしています。榎本先生もよく聞いてくれています。ぼくの友達に神奈川の座間という所に住んでいる友人が、ラジオの文化放送の電波が届きにくいとこぼしていた。あるとき車で聞くと、よく入ることに気がついた。だから、その友人は、毎朝木曜日になると、パジャマ姿で車に向かいラジオを聞いてくれている。吉田照美の番組が終わると、パジャマ姿のまま自分の家に戻る。彼にとっては、自動車とは、ラジオを聞くための装置なのです。原子炉というのは、ジリジリとセシウムを作り出す装置なのに、その時水を必要として、たくさんの蒸気が出るので、それを活用すれば、タービンが回せて電気が起こせる発電となる。原子炉を持っている国は、すべて核保有国なのです。原子炉本来の目的は、セシウムを作ることが目的なのに、問題をすり替えているのです。日本は、世界で唯一の核の再処理工場を青森の六カ所村に持つ核大国なのです。プルトニウムを再処理工場で作るのも、松竹梅とありますからね。松の上を作る高速増殖炉再処理工場が優れている。冒涜高速増殖炉「もんじゅ」が青森にあるから、日本は間違いなく核大国です。この狭い日本列島に54基も原子炉を作っているんですからね。エネルギー政策ではないのです。日本は、石油もガスも外国から輸入しているから、エネルギー輸入国だと宣伝する。石油や天然ガスに頼れないから原子力にこれから重点を置くと訴えてきた。ウランは、オーストラリアからすべて輸入している。

「核分裂」でなく「核燃料」とした大きなすり替え

 このような世界で1番のホワイトハウス広告代理店から、日本の下請け代理店永田町にその広告が降りてくる。永田町では、原子力の平和利用と言う言葉が作られた。 アイゼンハワーの演説は、世界中の平和のため人々の幸せのために、原子力の平和利用をすると訴えた。その演説の舌の根も泡かないうちに、水爆実験をしている。第五福竜丸は、水爆実験の第1回目に遭遇してしまった。その後アメリカは、太平洋で、何回も水爆実験をして、太平洋を汚染している。福島原発の1000個分の核を、何に使うんですか。継続は力なりです。核開発は、絶対辞めない。福島で何が起ころうと辞めない。アメリカの太平洋のマーシャル列島の人々は、みんな被爆しているが、それでも辞めない。福島人々の生活が今後どうなろうと辞めない。もしかしたら、日本中の人がみんな死んでも、アメリカは辞めないかも知れない。そういう相手と、これからぼくらがどう闘うかという問題です。どうやって人類が生き延びていけるかという問題なのです。アトムの平和利用・見せかけの冷戦構造等は、今まで全部「言葉」で作られてきた。その言葉が、有能なコピーライターの手によって、世界中に宣伝されてきた。核分裂を核燃料という言葉にすり替えられてきた。「核分裂」でなく「核燃料」としたところに、大きなすり替えの考えがあった。燃料があるから、電気が起こせる。電気があるから、電車が走る。便利な快適な生活が出来る。そのように人々の頭を洗脳してきた。原子炉の中で出来上がった核分裂によって出来上がった死の灰と言ってしまったらダメなんです。どういう名前をつけたかというと、使用済み燃料という名前にした。使用済み燃料ではないのです。「死の灰」なのです。

使用済みの棒を取り出し近寄ったら即死

 東電のニュースで、4号機から4メートルの棒を取り出しているところが映し出されていた。クレーンで引き上げていた。偽って燃料棒と言っていた。あの棒には、ジリコニウムが入っている。ウラン濃縮したペレットです。まだ原子炉で、ジリジリ原発やってない棒なのです。圧力釜の中に入れる前の棒を、ニュースで写していたのです。1200本ぐらいが、やり終わった棒で、200何本かがこれから入れようとしている燃料棒なのです。その違いは、どうなのか。あのニュースで防護服着て、みんなが見ていた。その時、ただちに影響はないと、解説していた。あの棒は、そばによって触ったって何でもない棒なのです。あの棒を取り出し、今度は大飯原発に持って行って、原子炉の中に入れて、ジリジリやったらどうなるか。その使用済みの棒を取り出して、あのニュースのように人々が見ていたらどうなるいか。出したとたんにみんな即死になります。あれ、水の中に入っているから、死なずにすんでいるのです。だから、あの大きなプールの水が入っているから今のところ大丈夫と言っています。でも、何かの拍子に水がなくなったりしたら、どうなるか。人々は、誰もそこに近寄れません。近寄ったら即死です。燃料棒などという物質ではないのです。原爆なんですから。福島で起きたことは、広島の上空で起きた原爆の爆発と同じことが起きたのです。

「国民の生活を守るために」トルーマン大統領と野田総理の詭弁

 広島の原爆投下を、その当時のほとんどの人々が知らなかった。投下された後、戦争をやめさせるためには、やもうえなかったという言葉に洗脳されてしまった。だから、原爆反対という大きな動きには出来なかった。だから、今でも作り続けられている。もっと威力のある、原爆の1000倍の水素爆弾を作り続けている。トルーマン大統領は、アメリカ国民の生活を守るために、戦争を終わらせるために原爆を落としたと言った。6週間前、野田総理がなんと言ったかというと、「日本国民の生活を守るために大飯原発の3号機と4号機を再稼働します。」と言った。ぼくは、あのとき野田さんの膨らんだ顔と、トルーマンの顔がぴったりと重なった。同じことを言っている。野田さんは、おそらくトルーマンの演説を知っているはずだ。だから、あのように同じ演説をした。これが本当の「絆だ。」と思った。〈笑い。〉しかし、権力が作った原子力の平和利用・核燃料・使用済み燃料などという言葉は生き残れる言葉ではない。この言葉が生き残ったら、人類は、死滅します。なぜなら、権力作った言葉は、少しずつほころびが出始めている。そこには、真実がないからです。だからぼくらの生活から本当の言葉を、作り出して対抗していかなければならない。〈拍手。ここでいったん終わる。その後再び大事なことを語る。〉

コピー〈媚び〉ライターの考えを見抜く力

 国分さんが、「現代綴方の伝統と創造」の中で、大事なことをたくさん書かれておられる。国分さんが生きていた時代より、今はさらにすごい宣伝装置によって、国民の目が真実から遠ざけられている。朝から晩まで、広告を浴びせられている。広告を切らなければならない。教室の中では、真実のことを子どもと一緒に考えさせていくことも大事である。でも、そのようなオアシスを作っても。どんどん広告は押し寄せてくる。だからどうやって、子どもたちにそのペテンの広告に切り込むかと言うことが、大切になってくる。先生方は、コピーライターより、もっとインパクトのある真実を伝えていかなければならない。真実を伝えることは、とっても難しいのだけど、とってもおもしろい。詩人とコピーライターの違いは線引きしにくい。詩人は、何かを発見してそれを表現して読者と言葉を通して共有していく。コピーライターは、同じ手法なのだが、言葉を通して、人々にいらない物、マイナスな物を買わせようとする。コピーライターでもない文学者がいる。そういう文学者は、媚びライターと名付けたい。実は、世の中は、この媚びライターが大量にいることで回っている。媚びライターは、企業の力で圧倒的に経済的にも安定している。その媚びライターの言葉を、切り崩す必要がある。人々は、その媚びライターの文章を読んで、読んだ気になって暮らしている者がほとんどなのだ。子どもたちに文章を与えて読むときに、この文章はキャッチコピーなのか本物の文章なのかを見極める力をつける必要がある。場合によっては、これは媚びライターの文章ですと言って読むときもあっても良い。「荷物を送るなら、ユーパック」というキャッチコピーがある。このときの「なら」という言葉は、どういう効果があるかとか考えても良い。すいません長々と話をしました。〈拍手。〉

出会いは本当に偶然

川口の駅の近くに、「リリア」という公共施設がある。大ホールが満席になると、2000人くらいは入るホールである。そこで、映画寅さんの監督山田洋次さんが見えると言うことで、妻に誘われて出かけた。その対談の相手が、アーサー・ビナードさんだった。山田洋次さんの名前でその会に出かけたのだが、ぼくの心は対談の相手ビナードさんの話しぶりに心を奪われていた。会が盛り上がった最後の方に、「ぼくの歌の師匠は、椿錦二という方です。」と言う言葉に、驚嘆したのであった。それは、教師4年目の時に池袋第3小学校で担任したときの父君の名前であった。会が終わり、ビナードさんの本を買い求めサインをしていただくときに、椿さんのことをお話しして、2人の距離は一挙に縮まった。以来、墨田区教職員組合の研究会や池袋の国分一太郎研究会に来て、記念講演をしていただいた。その時から、山形の東根で、いつかはビナードさんに記念講演をしていただこうという計画がやっと実現した。

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