子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品1. ざりがにの思い出

ザリガニの思い出

二月一日(火)
               ザリガニ 
              
 ざりがにとは、アメリカザリガニと言うのが正式な学問的な名前である。僕らは、ざりがにと言ったり、えびがにと言ったりした。このえびがにを、つかまえるのが楽しみの一つであった。たんぼや川などに住んでいて、その頃どこにいってもつかまえることができた。今は、たんぼにはほとんどいなくなってしまった。それは、農薬をたんぼに使うようになってから、このざりがには見られなくなってしまった。もちろん川などにもたくさんいたが、この頃は、気をつけてみないと、なかなか見付けることも難しくなってしまった。ぼくは小学生の時には、自分の家の近くに田圃や池があったので、よく二才下の弟と一緒に出かけたものだった。その頃は、埼玉県与野町(現在さいたま市)と言うところに住んでいた。数年前に、浦和市・大宮市と一緒になって、さいたま市という百万人以上の市になったところである。
 このざりがにをつかまえるやり方は、二つあった。一つは、ざりがにの大好きなするめを餌にする方法である。それを、糸につなげてちょっとした棒に結び付けてやる。ざりがにようのつりの道具は、それで十分であった。餌がない時は、つり場の近くに行って、エサさがしと言うことになる。そのエサはカエルである。とのさまガエルと言う、カエルをつかまえてきて、それを、殺して皮をはいで、立派な餌になるのである。ずいぶん残酷なことをしたものである。こうやって、子どもたちは、休みの日だとか、土曜日も午後などに出かけていき、バケツ一杯のざりがにを、つかまえることも出来た。
 もう一つの方法は、たんぼに直接行き巣を作っているところで、大変大きなざりがにをつかまえる事ができる。それには、ざりがにの巣を見付ける事が一番大切になる。                             この巣は、なれてくるとすぐに見付かる。それはたんぼの中に泥で作った糞の形をした物の中にすんでいる。ざりがには、日本中どこへ行っても、巣を作って住んでいた。エサは、お米の稲の根っこ等を荒らすので、農家の人は子供達が取ることをとても感謝してくれていた。この糞の泥まんじゅうをどけると、その下は、直径四~五センチくらいの穴が出てくる。その穴に手を突っ込むのである。そうすると、穴の下の方に大きなザリガニに触れる事ができる。なれてくると、そのまま手でつかまえることができる。穴の長さは、大きいもので、子供のうでの付け根当たりまで行くことがある。こうやって取ると、半日もしないうちに二十匹位のザリガニをつかまえる事ができた。
 つかまえた物は、内へ持ってきて飼う事が多かった。時には、テンプラの餌になるようなこともあった。このざりがには、家でも上手に飼う事ができた。ただし、餌をあまりあげないと、すぐにざりがにどうしで共食いをしてしまうので、気をつけて飼っていた。
 大変元気な動物で、寒い冬でも元気に生きていた。洗面器に氷が張っても氷の下で元気良く生きていた。冬は寒いのでじっとして活発には行動しなかった。
 一度母の勤めていた小学校のプールに離して、一年間そのままにしておくと、どのくらい大きく成長するかをやってみたことがある。母が小学校の教師であったのでやらせてもらったら、倍以上の大きさになってビックリしたのを覚えている。昔の子供達は、このように自然がたくさんあるところで生活していたことが、今の子供との大きな違いである。日本中どこでもこんな生活をしていたのである。その頃の農業人口は、50パーセント近くいたにちがいない。現在は、十パーセントをわっている。 

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