子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品4.子どもの感性を大切に

作品4.子どもの感性を大切に

子どもの感性を大事に

   川 兵庫県 五年 保田 朗

さら さるる
ぴる
ぽる
どぶる
ぽん ぽちゃん
川は
いろんなことおしゃべりしながら
流れていく
なんだか
音が
流れるようだ
顔を横むきにすれば
どぶん
どぶぶ
荒い音
前を向けば
小さい音だ。
さら さるる
ぴる
ぽる
大きな石をのりこえたり
ぴる
ぽる
横ぎったり
ぴる
ぽる
どぶるぽん ぼちゃん
音は
どこまで流れていくんだろう。

 今からから40年近く前に、川の流れているようすを、このようにみごとに切り取った子どもがいた。
 指導した方は、東井義雄先生。この詩を読みながらら、鈍感な耳をはじると共に、見る目をもち、聞く耳を持つものには、驚きや喜びを感じ得るのだと、東井先生は反省をする。この詩がきっかけになったかどうかはわからないけれど、貧しい村に育つ子らに「村を育てる学力」をつけようと、情操教育の音楽や図画にも大いに力を入れる必要があると考えた。村のおとなたちにも、どしどしわけあっていく運動を展開すべきだとも考えた。
 この詩のどこがすばらしいかは、読んですぐわかるように、何気ない川の流れに、こんなにも感動している。その感動の表現を、自分の言葉で、感じた通りに、した通りに、現在形で訴えている。
 リズムがあるため、2~3回声に出して読むと、暗誦できる位、覚えやすい詩でもある。
 しかも、くり返しのフレーズがこきみ良く挿入されている。終わりを疑問形でおさえている所も、読み手がひきずりこまれる所だ。
 作者が、自分のした体験の通りに、その驚きを表現している所も大切にしたい。つまり、顔を横むきにして、耳を川の流れの音の方に向けた時が荒い音であり、前を向けると、小さくなるという発見。ここには、文章を綴る原点がある。あった通り、した通りの中から、本当のことを表現したのである。

文部省はこの詩をどう評価したか

 15年以上前になってしまったが、家永三郎元教育大教授の教科書裁判の判決があった。一審の東京地方裁判所の杉本裁判長は、文部省の教科書検定のあやまりを指摘し、原告側勝利という判決を下した。我々現場教師に勇気を与えたすてきな判決であった。その裁判過程の中で、現場からの教師が、この詩を例にして、検定のあやまりを指摘した。
 つまり、この詩を小学校検定国語教科書にのせたら、検定の過程で、この詩はのせられないという指導があったというのだ。なぜかという問いに、「川の音は、さら さら」が、基本の形なので、この詩をすべてそのように直せば、合格にするというのだ。何か笑い話にもならない、本当にあった悲しいお話である。
 文部省のえらいお投入さん達は、この詩の命でもある子どもの心からの感動の意味や、この詩のリズム感など、全然理解しようとなさらない。

子どもに詩など書かせるなという主張

 小学生位の年令の者には、詩など書かせないで、大人の詩を鑑賞するだけで十分だという声が出てきた。指導要領の国語の一年から6年までの中の表現という項目の中にも、詩を書かせるという文章は見当らない。
 文章を表現するという作文の項目についても、「 。」だ、読点だ、句点だと、表記上のことは細かに指摘している。しかし、子どもにひとまとまりの文章をどのように書かせていくのかという発達段階にそくした、系統だった指導は見当らない。
 教科書もそれにもとづいて作られたのだから、それほど多くのことは期待できない。一年生の下巻の作文単元で、「…です。…ます。」体の、説明形の文体が出ているような教科書さえある。低学年から中学年にかけては、「…でした。…ました。」という、出来事のあった順に書くことが、一番ものに寄りそう大切な書き方なのだ。
    1987年 4月17日発行

子どもから学ぶ

 今から24年前から、墨田教組の機関誌「週刊墨教組」に作文の実践を月一度載せるように依頼された。国分一太郎著作の「日本のはじける芽」の題名を一部拝借してタイトルにした。以後、試行錯誤しながら、退職するまで継続できた。19年間143号で終えることができた。作品は、今読んでも新鮮なので、ここに載せることにした。
2011.11.4

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