子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品6. 書きぶりと生活のしぶりを考える

作品6. 書きぶりと生活のしぶりを考える

木へんに秋は何と読むの 五年 男子

今日、何げなしに漢字の本を見ていたら、木へんに春、夏、秋、冬の漢字があった。おもしろいので、ぼくが、お母さんに、
「木へんに春、夏、秋、冬の漢字あるんだよ。知っていた。」
と言った。そしたら、お母さんが、
「知ってるわ。木へんに春は、椿(つばき)、夏は榎(えのき)、榎本先生の榎じゃない。冬は柊(ひいらぎ)、秋は…あら、何だったかしら。」
と言った。
お母さんにも木へんに秋がわからないなら、辞典で調べようと思った。お母さんから、大きな漢和辞典を貸してもらった。お母さんが、
「まず木へんのところをさがして、秋の 画数のところを見ればいいのよ。」
と教えてくれた。まず、表紙のうらに、部首のさく引がのっているから、そこで木へんをさがした。ぼくは、すぐ見つけた。四九二ページだった。
すぐに、そのページを開いて、秋の画数、九画のところをさがした。それも案外すぐ見つけた。木へんに秋の音読みは、「シュウ」、訓読みが「ひさぎ」だった。楸(ひさぎ)は植物で、「ノウゼンカズラ科の落葉高木」と書いてあった。辞典には、椿はツバキ科の常緑高木、柊は常緑低木でソロバン玉に使われている。榎はけやきににたニレ科の落葉高木と書いてあった。
ぼくは、木へんに春夏秋冬があるなら、人べんにもあるだろうと思って調べたけどなかった。でも、ぼくは、そういうおもしろい、めずらしい、こんなのあるのという漢字をどんどん見つけようと思う。  日書・国語上巻五年より

日記指導や保護者会に

教科書に採用される前からこの作品が気に入っていて、新しい学年を担任すると子ども達と読み合って来た。日記の楽しさのスタートを切る時に、この作品を取り上げて来た。二年生や三年生などの低学年を担任した時には、保護者会などで取り上げて来た。この作品に出てくるような、親になって欲しいという担任としての願いがあったからである。

母親の生活のしぶりの良さ

○常へいぜいの生活のしぶり。
 ●その時々の体や心の動かし方・行動。
 『常へいぜい』とは、その時一度だけでなく、常に毎日心が生き生きと働いているということである。
『その時々』とは、その時のその瞬間の心や体の反応が生き生きとしているということである。
日記指導を始めるときに、子どもだけががんばっても文章表現力は高まらない。 『今日宿題の日記書いたの。』などというお経のような点検はやめてもらいたいという事を強調するときに、親達に訴えてきた。
つまり、子どもの反応に素直に反応している所である。しかも、わからない所は正直に『何だったかしら』と子どもに返している。辞典の引き方もさりげなく教えている。子どもの良い『生活のしぶり』に正面向き合って、積極的に関わっている。子どもは、そのことがうれしいし、自分自身も向き合ってくれた母親以上に、その後に意欲的に調べようとしている。
この親子の関係は、その時々の反応も素晴らしいのだが、それこそ『常へいぜい』そのようなつながりが出来ているからこそ、子どもも親に働きかけたのである。
この母親は、高等学校の国語の教師をしているから、家にいて子どもとじっくり向き合っている時間はそんなにないはずである。大切なのは、関わったらその時をしっかり向き合って欲しいという事なのだ。
この母親とはその後、二年間のおつきあいであったが、子どもが書いた日記にはいつも目を通して下さった。時間がある時には、子どもの文の後に楽しい添え書きをしてくれた。日記は、子どもの成長を継続して教えてくれるが、親の添え書きの文を読みながら、子どもの見方をさらに大きく教えてくれる。赤ペンを入れながら、親とも対話をすることが出来た。

子どもの生活のしぶりの良さ

何げなく見ていた漢字の本に興味を持ち、その感動を母親に働きかけている。その母親とのやり取りの会話を、じっくりその時に耳を良く働かせている。
母親のわからなかった漢字を、今度は自分で調べようとしている。母親の教えてくれた通りに、調べて楸という字を見つけている。その読み方を調べた後に、今度は椿や榎や柊の字も辞典で調べて、どんな木なのかその意味などをついでに覚えている。そこでやめずに、さらに木へんから人べんの事にまで思いを寄せている。最後に、『おもしろい、珍しい漢字をこれからも見つけよう。』と結んでいる。
これだけその時々の物事に、積極的・能動的・意欲的になっているのは、五感(官)が生き生きとして働いているからである。それは、『常へいぜい』心や体が生き生きとしているからである。

日記指導の勧め

子ども達の『生活のしぶり』の良さを、より良くしていくためには、常ひごろ、いつも心や体を生き生きとしなやかに働かせざるをえない意識に追い込んでいく事である。生き生きとした生活と生き生きとした文章は、裏と表の関係にある。書く事によって、より良く生きようと言う気持ちは高まっていくのである。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional