子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品9.サリドマイド児

作品9.

サリドマイド児

豊島区立池袋第三小学校 五年 女子
 私は、今日は何を書こうかとかんがえていたら、お母さんが、
「九時から、NHKの『ある人生』で、サリドマイド児のことをやるから見なさい。」
と言ったので、それを見た感想を書くことにした。サリドマイド児とは、手が短いと言う意味を持っている。テレビ番組には、その家族一家の人をまねいて、放送するそうだ。
 お母さんのりょう子さんは、赤ちゃんが生まれる前に、じょうぶな子が生まれるようにと、ある薬をのんだ。その薬の中には、おそろしいサリドマイドがふくんであったのだ。
 テレビの説明によると、両うでの半分から前の部分と、半分から後ろの部分のほねが、くっついているという事だ。こんなになってしまった人は、ズボンをはくのにも、シャツをきることでもやっとできるのだから、かわいそうで見ていられない。ぞうりぶくろ(くついれのふくろ)などを持つ時でも、「おもたい。」といいながら持つ。
 日本では、サリドマイド児は、九百名いて、その中で、生き残っている人は、たったの百九十名だ。このテレビに出てくるサリドマイド児のよしゆき君は、小学校の二年生で、豊島区立高田小学校にいるそうだ。毎日、朝起きて、おやといっしょになわとびをしたり、こしの運動をする。ふつうの人の半分しかない手。よしゆき君は、自分で空手やお習字を習い始めた。空手では、しょうじょうをもらい、お習字の方は、(よく書けるなあ。)というほど、じょうずだった。
 よしゆき君が生まれた時は、まだ、サリドマイド児だということは、わからなかった。新聞でサリドマイドによって、短い手であるということがわかった。サリドマイド児だとわからなかった時は、かごしまけんに住んでいて、わかってからは、東京へひっこして来たのである。このよしゆき君のために、お父さんは自分の人生をすてた。そして、マイホームしゅぎになった。いっしょになって、プラモデルを作ったりした。
 私は、さいごに思ったことをまとめてみる。
 このよしゆき君は、自分で空手や習字を習い始めたと言うことは、自分できたえようと言う心がまえがあってやったので、
(がんばり強さがあるなあ。)
と思った。それから、このお父さんは、(いいお父さんだ。)と思う。だって、自分の人生をすて、よしゆき君のために、働いたからだ。これは、お母さんから聞いたことだけれど、お母さんが、私を生む時に、ふうしんと言うぶつぶつができて、はしかみたいになる伝せん病があったらしく、一度かかった人は、やらないけども、お母さんはやらなかったので、そのことをひどく心配していたらしい。おなかで二、三ケ月ころにお母さんがふうしんになると、生まれてくる赤ちゃんのほとんどが、しょうがいを持った体になって生まれてきてしまう。四、五ケ月だと、百のうち六人。六、七ケ月だと百のうち三十人だということです。赤ちゃんは、おなかに十ケ月位いるそうだ。
 私がお母さんのおなかにいた時に、ふうしんのかんじゃさんを、大ぜいしんさつしたので、知らないうちにうつっていないかと、よけいな心配をしたことがあったそうです。私は、けんこうで生まれてきたのだから、遊んでばかりいないで、もっと勉強したりしなくてはいけないなあ。     
 1970年  10月17日(土)雨 班日記 文集「太陽の子」より 

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