子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品15.消費生活に関心を持たせる作品

作品15.消費生活に関心を持たせる作品

消費生活に眼を向けさせてみよう

 子ども達に日記を書かせてみて、残念に思うことが色々ある。都会に住む子ども達には、お使いやお金を使う場面では、きちんと金を払ったり、おつりたもらった事は書かせたい。ところが、買いものへ行って、ただで品物を持ってきてしまう文に出っくわす。とこややふろやに行ってただで、帰ってしまう文に出会う。そういう赤ペンには、「ただでもどってきてしまっているけど、お金は、いつ・どこで・どうやって払って、おつりは、どうもらったのかを、きちんと書くことが大切だよ。」と、具体的に文を書いて返すようにしている。
「母は、たなの引き出しからおさいふを出し、千円札一枚をぼくの手ににぎらせた。すぐに、右の胸ポケットにしまって、スーパーに出かけた。…レジの所でかごの中の品物を出したら、合計九百四十三円と言われて、右ポケットからさっきの千円札を出したら、五十七円のおつりと、レシートを頭をさげながら渡してくれた。」
 このようなことを作文の授業などの時にも取り上げ、お金には執着するようにしむける。

こんな子も出てくる

「あれが始まり一ヶ月半がたちました。あれというのは、消費税のことです。四月一日から始まった消費税は、子どもからお年よりまで、ものを買うと取られるものです。〈途中略〉。おかしやさんで、百三十円のカップラーメンを買った時のことです。レジの所で、百三十円を置きました。すると、レジの値だんが出る所に、百三十四円と出たのに気がつきました。ぼくは、
(本当にこの店、三千万円売れているのか。)
と思いました。店のおばさんが、
「百三十四円。」と言いました。
(やっぱり消費税つくの。)
と思いました。
 次の日、かんジュースを買おうと思いました。ぼくは、考えました。中は、消費税があるので、外の自動はんばい機で買いました。自動はん売機は、消費税を取らないからです。
(三円消費税分とくした。)
と思いました。〈途中略〉
 父と一緒に西武デパートの本売り場に行った時、消費税の本がおいてありました。何さつもありました。
(色んな人が、消費税の本を出しているんだなあ。)
とその時、ぼくは思いました。デパートの七階のおもちゃ売り場に行きました。横のかんぱんに、
「消費税こみの価格です。」と、書いてありました。帰りに、ロッテリアヘよった時、38セットのテリやきをたのみました。38セットとは、三百八十円で売っているという意味です。でも、38セットじゃないと思いました。払う時、三百九十一円払ったので、391セットだと思いました。
 帰り道、柳島小学校前の本所ゆう便局の前の、ゆう便ポスト見ました。オレンジのポストの横の入れる所に、紙がはってありました。
「四月一日から、四十円切手が四十一円、六十円切手が六十二円になります。」
とそう書いてありました。
(何でも消費税がつくのはいやだなあ。)
と思いました。
 何日かたって錦糸公園に遊びに行きました。広場みたいな所に、赤いはちまきや、赤い字で消費税反対と書いてありました。プラカードもありました。車にマイクがついていて、消費税のことをしゃべっていました。しばらくすると、綿糸公園から亀戸までヘルメットやはちまきをして、プラカードを持っている人が、デモ行進をして歩いて行きました。その列はすごく長かったでした。ヘビのように長〈、
(それだけ消費税をにくんでいる人がいるんだなあ。)
と思いました。
 ぼくにも、これだけのひがいがありました。おそらく他の友達や大人の人も、消費税をいやがっているにちがいないのです。
(一九八九年六月作)

日記の文を作文に書き直し、岸晃生君は五月の作文、「家に帰ったら、心の中に強く残ったことを生き生きと書いてみよう」という指導題目にあわせて書いた。十四時聞かけて取材から鑑賞までの作文の授業の中から出てきた作品の一部だ。1989年7月13日

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