子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

作品20.私のお姉ちゃん

作品20.私のお姉ちゃん

私のお姉ちゃん 高知市立鴨田小学校 5年 女子

一,ためいき

 私は四年生まで、金曜日は習いごとがなくて、友だちと遊んでいた。
 私の家で友だちと遊ぶときは、いつも私が使っている勉強机がある一階の部屋か、二階の私とお姉ちゃんが使うベッドがある部屋で遊んでいた。
 金曜日は、作業所からお姉ちゃんが帰ってきている。私が帰ってきたときは、もうお姉ちゃんは帰ってきている。
 お姉ちゃんは、緑のざぶとんの上か、ソファーでキーホルダーを回して遊んでいる。
 一階の勉強部屋で遊ぶとき、初めて私の家に来た友だちは、お姉ちゃんにビックリして、「あの子だれ?」
と言ったりする。とっさに私が、
「私のお姉ちゃんよ。」
と言うと、
「なんであんなに背が低いが?」
とか、
「顔が。みんなとちがう感じがする。」
と言われた。私が、
お姉ちゃんしょうがいもっちゅうき。」
と言うと、
「え?」
とか、
「うそう。」
とか言う。けれどお姉ちゃんがしょうがいを持っているのは本当のことだから、私は、
「本当よ。」
と言うしかない。

 五年生になってからも、同じようなことがあった。フジのスペースにバレエの友だちの誕生日プレゼントを買いに、私とお姉ちゃんといっしょに行ったときのことだ。
 同じクラスの、Aちゃんと、Bちゃんと、Cちゃんが、Dちゃんの誕生日プレゼントを買いに、スペースへ来ていた。
 お姉ちゃんは、私のお母さんと手をつないで、時計を置いてあるところで、時計を見ていた。
 その時、Eちゃんが、お母さんとお姉ちゃんの方を指さして、
「あのひとだれ?」
と、私に聞いた。ヒソヒソ話のような言い方だった。私は、お母さんのことだと思って、
「お母さんやけど。」
と言った。ゆうみちゃんは、
「ちがう。あのちっちゃい子。」
と言った。ちっちゃいこと言われて、むっとした。私は、
「かなのお姉ちゃん。」
と、はっきり答えた。多分、「ええ。」と言われるんじゃないかと思った。すると、やっぱりゆうみちゃんは、
「ええ。」
と言った。にやにやしていた。
「しょうがいもっちゅうき、しょうがないが。」
と言うと、
「えっ、しょうがいもっちゅうが?」
と、笑いながらビックリした顔だった。
「そうよ。」
と、はらをたてて言った。何かばかにされているように感じた。
 ゆうみちゃんは、りおちゃんによばれて行った。私は、
「ふう。」
とためいきをついた。

二,お姉ちゃんはダウン症

 私には、お兄ちゃんとお姉ちゃんがいる。二人は、双子だ。だから、二人は同い年で、今二十二才だ。お兄ちゃんは、今は北海道の大学に行っている。
 お姉ちゃんは、ダウン症だ。
 お姉ちゃんのダウン症のことをくわしく知ったのは、小さいころで、おかあさんに教えてもらった。おかあさんはわかりやすく教えてくれた。お姉ちゃんのダウン症のことを話すのは、二人でおふろに入っているときが多かった。
 ダウン症は、おかあさんのおなかにいるときからのしょうがいだ。二十一番目の染色体が、ふつうは二本だけれど、ダウン症の人は三本あるというしょうがいだとお母さんに教えてもらった。染色体が多いせいで、ダウン症になる。
 お姉ちゃんの誕生日の三月二十一日は、二十一番目の染色体が三本あると言うことで、ダウン症の日だ。お姉ちゃんはたまたまダウン症の日に生まれた。

三,作業所「土佐」

 私のお姉ちゃんは、今しょうがいを持っている人達が行く作業所へ行っている。
 作業所「土佐」というところで、土佐市のダイソーの近くにある。私も何度かお姉ちゃんを、お母さんの車で送っていったことがある。
 お姉ちゃんの作業所には、ホームといって、とまるところもある。新しく建てかえたところで、きれいな建物だ。私は一度も中に入ったことがない。
 お姉ちゃんは、月曜日に作業所の迎えの車が家の近くまで来る。むかえの車は、大きい白い車で、作業所土佐と、車の横に書いている。その車に乗って、お姉ちゃんは作業所に行く。
 作業所ではビーズを糸に通してキーホルダーを作っている。
 作業所で仕事が終わって夕方になると、ホームへ帰っていく。
 ホームは、作業所の玄関を出て、少し歩いたしき地内にある。
 ホームでとまって、一週間泊まって、金曜日まで帰ってこない。
 帰ってくるときも、同じ車で送ってもらう。家の近くのマルニヘ車が来た時は、車の中にお姉ちゃんを合わせて二,三人ぐらい乗っている。
 家に帰ってくるとお姉ちゃんは、いつも私の部屋のすみっこの、緑色のざぶとんの上に座っている。ざぶとんに座って、カーテンのひもやキーホルダーを回すのがお気に入りだ。月に一度、金曜日ではなく土曜日に帰ってくる日がある。月に1度だけ作業所でパンなどを買って、他の仕事をしている人達とすごす。時には、カラオケに行って楽しんでくる。
 作業所には、楽しいお祭りもある。
(作業所の行事、「作業所とさあ釣り」は、省略)

五,こばと会

 お姉ちゃんは、しょうがいを持っている人達の会にも行っている。お姉ちゃんが行っている会は二つある。こばと会はその一つだ。
 こばと会は、ダウン症の人達や家族が集まる会で、たまに私もお姉ちゃんといっしょに参加する。こばと会には、たくさんのダウン症の人たちが集まってくる。リトミックや、バスツアーなどの行事もある。
 お母さんは音楽の先生なので、こばと会で赤ちゃんたちが集まるときに、リトミックをしている。私も、その会に四年まではよくついて行った。その他にも、クリスマス会などの楽しい行事がある。

 一月二十六日の夜ごはんを食べ終わったあとのことだ。算数プリントと漢字を終わらせた。宿題は、もう一つ、日記だけだった。日記帳をめくって前回書いた日記を見た。お姉ちゃんのことを書いていた。それを見ていると、学校で先生がこばと会のことを調べていたことを思い出した。
 先生が調べた資料には、こばと会は、ダウン症の子が、親が亡くなったあと、住めるような所として作られたものだと書かれていた。
「お母さん。こばと会って、親がおらんなっても子どもが生きていけるように作った会ながやろう。」
と、先生が調べたと言うことは言わずに言った。するとなぜかお母さんは、大笑いして、
「何でかながそんなこと知っちゃうが?」
と、言った。
「いやあ。そう聞いたき。でも、そうながやろう。」
と聞くと、
「そうよ。」
と教えてくれた。
「お姉ちゃんが生まれたときから入っちゃうもん。」
と言って、台所へ行った。私もついて行った。
「しょうがいもっちゅうこが生まれたら、あせってお母さんがこばと会へ来るのよ。『ダウン症の子が生まれちゃいました。どうすればいいですか』ってねえ。そこでお姉ちゃんとかダウン症の子らあが楽しそうに遊びゆうのをみて、『あら、みんな楽しそうにしゆう。』っていって、『だいじょうぶですよ』って言うことになる。『じゃあ私も入ろうかな』ってことになるがよ。」
 そこまでお母さんは、一気にしゃべった。
「だれが会作ったが?」
と聞いた。
「Yさんらあが作ったがよ。顔はやさしいおじいちゃんやけど、すごいがで。」
Yさんは、私の家に来たときに見ても、やさしいおじいちゃんに見えた。Yさんは、私がお姉ちゃんと、こばと会に行ったときにも、いつも絶対にいる。いつもにこにこしてあぐらをかいて座っている。
 お母さんの話は続いた。
「Yさんがあじさい園も作ったがよ。」
あじさい園は春野にあるこばと会の建物だ。私はあじさい園の夏祭りには毎年行く。
「こばと会が始まる前は、ダウン症の人は、命は短い、役には立たん、とか悪うゆわれよったが。それを矢野さんが救ったが。それで、前、東京の会に行ったろう?」
 私も、この会に行った。ダウン症の人が集まる会のことだ。ものすごく多くの人が集まっていたことを覚えている。会があったのは、お姉ちゃんの誕生日だった。
「その時、会の最後にYさんが、『最近泣きながらこばと会へ電話してくる人が減った』って言いよったが。意味分かる?五十年以上のこばと会の歴史のおかげで、会を信じられるき、初めて人も安心して電話してくれるが。やき、そうやってすごいことしゅう矢野さんの片腕になちゃりたいき、今お母さんもいろいろやりゆうが。」
思ったよりこばと会はすごいなあと思った。
「今の世の中じゃあお母さん死ねんで。もっと、ダウン症でも通用する世の中じゃないと。」
と、お母さんが言った。
「大丈夫。お姉ちゃんだけのことやったらかながおるき。」
と私が言うと、お母さんは、
「ありがとう。お母さん泣いてしまうわ。」
と言った。私は、
「そんなおおげさな。」
と笑った。

六,小さいころの写真(省略)

授業の感想

・プライバシーがやかましくなっているときに、あえてこのような問題に挑戦している担任に敬意を表したい。
・人権教育とは、人間が人として幸せに生きていく権利を、子どもたちと考えあう教育と言うことを、改めて自覚させられた。
・自分の身近なところで起きる様々な事柄に関心を持ち、それを表現する仕事が生活綴り方である。
・現在の文科省の学習指導要領を元に作られている教科書からは、このような作品は決して生まれない。
・「何を」(題材)「どうかかせるか」(記述)の題材を選ぶ自由が奪われているからである。

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