子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

夏休みの思い出を綴る

夏休みの思い出を綴る

夏休みの思い出を綴る

海で
豊島区立池袋第3小 6年 大崎 明美
ここは青い世界
空と海との区別がつかない。
水平線の所まで
泳いで行けば
空をとんで行けそう。
そんな中で
パシャ パシャ ザブザブー
私は波とたわむれる。
足の所になにかが…
拾ってみたら
アハハハ
私は浜にかけあがって
「小さな巻き貝、見つけたよ。」
1971年9月作
 資料が古くなって恐縮だが、今から18年前の最初の教え子の文集の中からの詩である。9月は夏休みの思い出を綴る機会が多くなる。子ども達は、思い思いの体験をして日に焼けた顔をそろえる。しばらくぶりに会う仲間、だから、自分の思い出をみんなに話したい。一分間スピーチでも何でも良いが、おたがいの夏休みを語り合う場を大事にしてあげたい。「明日は、そのことを話してもらうから、お話がうまくできるように整理しておくこと。できたらメモなどをしておくとなおさらよい。」などと言っておけば、作文の取材ができる。
 ところで、夏休み日記など課題に出しておくと、その処理に大へん悩む方も多いだろう。せっかく心をこめて書いた文なので、全部読んで赤ぺンなど入れたら相当なエネルギーを費す。この頃はちょっとやり方を変えている。日記帳の中で、一番がんばって書いた文章を三つ丸印をつけさせ、順位をつけさせる。そのようにして提出してもらうと、全体の文は軽く読むが、その文章をていねいに読む。作文にしてもらう文を本人の考えも尊重しながら赤ぺンをその文に書き加えて本人に返す。

日記を作文に

○「あれは8月中項、群馬県の四万温泉に行った時のことだった。」
○「私の家族は、8月12日から父の田舎の新潟に行くことになりました。」
○「夏休みも半ばの8月2日のことです。」
○「『ただ今。』という声を出しながら、げんかんのドアを開けておどろいた。」

 日記は、ひとまとまりの作文とちがい、文全体の構想や書き出しなどが不十分である。そこで書き出しだけを休み中の思い出を作文にして書くのだから、工夫をして書くように事前指導をする。
 例文にあるようにいろいろな書き出しが可能だ。時間に少しの余裕があれば、はじめ・なか・おわりの構想指導をして、一番書きたいことを中に十分入れることもするとなおさら良い。それと、日記の文をもう一度読ませて、書き加え・削除をしてから原稿用紙に向かわせると、かなりその段階で、ひとまとまりの文への下地ができてしまう。
1人ぼっちののらちゃん
柳島小 六年 宮本 真紀子
 夏休みも半ばの8月2日の事です。私は、昼食を終え、茶の間で母と2人でお茶を飲んでいました。外はすごい雨でザザザと、雨がガラスにあたります。その中で静まりかえった茶の間では、母と私がズーズーとお茶をすすっています。〈略〉
うちの裏に住んでいる中学二年生の吉田君のお兄さんがいきなり、
「おばさんいる。」
と家の中にはいってきました。母と私がびっくりして出て行き、
「なあに、あわてて。」
と聞くと、お兄さんが、
「ね、ねこが明治屋さんの横にいるんだけど、ちょっと来て。」
と言うと、また急いで出て行ってしまいました。〈略〉
みんなの足もとを見ると、雨でぐっしょりの子猫が横になっていました。母と私が
「どうしたの。」
と聞くと、みんな口々に、
「この猫、ひかれちゃったみたい。」
1988年9月作
1989年9月14日

一枚文詩集の発行

 あの頃は、ずいぶん時間があった。子供達に「詩のノート」を持たせて、週に何回か提出してもらう。最初は、すぐれた詩を視写して、その詩の良いところの感想を書いて提出してもらう。ていねいに視写していると、詩のリズムや表現の仕方が自然にわかっていく。やがて、自分から日常の生活の中で、心に強く残ったことを表現させる。また、高学年になると、「班日記」をはじめていた。4~5人で1冊の日記帳を持たせる。だいたい一週間に1回、順番が回ってくる。その出された詩や日記の文を順番に一枚文集に載せていく。子供達は、自分の作品が印刷されて、クラスの中で読み合うことをとても喜ぶ。その作品への励ましの文を添える。「生活のしぶり」と「書きぶり」に分けて書く。この繰り返しが、子供達の文章表現への大きな意欲付けになる。「書きたい気持ちを育てる。」それが、また、次の作品への取材・構想へ広がっていくのである。
2011.11.25

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