子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

忘れえぬ思い出の詩・その2

忘れえぬ思い出の詩その2

つばきの花 豊島区立池袋第三小学校 二年 女子
つばきの花が さいた。
大きいつばきの花。
ふつうのつばきより、
たくさん水をのんだのかな。
  一九七二年 四月十五日発行 一枚文集 『ゴリラ九号』より

 教師になって初めて担任した子供達は、四年生であった。その子供達と、四・五・六年と三年間担任して、卒業させることが出来た。その次に担任したのが、黒沢さん達の二年生を担任することになった。担任して、一週間たった頃に「先生におしゃべりしたいことを書いて」と話したあとに、書き込んでくれた文である。おしゃべりの文は、このように無駄な言葉はなく、見事な詩になっていたのである。「つばきの花がさいた」と一気に書いた後に、「大きいつばきはふつうのつばきよりたくさん水を飲んだのかな」と素直に表現しているところが良い。低学年には、高学年にはないすなおな表現があり、みずみずしい詩がたくさん出てきた。「つばきの花」の詩は、その後何年生を担任しても、鑑賞の詩としてみんなで読み合うことを大切にしてきた。このクラスの人達とは、たった一年間だけの担任で、次の年は、再び二年生をもう一度担任することになった。前々回に取り上げた、さかもとかおるさん達と出会うことになるのである。
 彼女達との出会いの時も、たくさんの詩や日記を書いてもらった。その中で、次のような詩を書いたこの子の思い出も多く残っている。

  先生ね 豊島区立池袋第三小学校 二年 女子
前は、ようちえんの先生になろうと思った。
だけど、やっぱりおいしゃさんか学校の先生になりたくなりました。
わたしがおいしゃさんになりたいのは、じぶんが目がわるいからです。
先生になりたいのは、みんなと楽しくくらせるからです。
 一九七二年 四月十日発行 一枚文集 『ゴリラ二号』より
 この詩を書いたのは、担任して三日たった日に「先生ね」という書き出しで、初めて書いて文である。低学年の時の書き出しがなかなかかけないときに、このように「先生ね」という言葉を最初に書いてから書いていくと、場面が切り取れて書きやすくなるのである。幼稚園の先生か、お医者さんになりたいと書いてくれた椿さんは、自分のその時の思いを率直に書き込んでいるところがなかなか良い。当時彼女のことは「かよちゃん」と呼んでいた。たった一年の出会いであったが、彼女とは、今でも年賀状のやりとりをずっとしている。その彼女も、昨年の夏休みの頃に、「結婚しました 」というウエディング姿のはがきをいただいた。この時に書いてくれた詩のように、かよちゃんは、大学病院で歯医者になって仕事をされていたのである。いわゆる女医さんである。二十九年前につぶやいて書いた文を、今は実行に移していることがうれしい。その彼女から、今年の夏には、池袋で開業医を始めたので,ぜひいらっしゃってくださいという葉書をいただいた。自分の歯は、虫歯はないのであるが、あまりよい歯でないので、歯槽膿漏にならないかと心配しているので、近いうちに口の中を見せに行く予定である。なお、彼女は一人娘で、ご両親に大切に育てられていた。お父さんは、どもりの矯正をするいしゃを開業されていた。当時どもりのくせのある生徒を担任したときなど、何かと相談に行ったりした記憶がある。お母さんも教育問題には大変関心があり、地域で教育問題を考えていきましょうと言う提案をされて、多くの関心のある父母の方を集めてくださった。一ヶ月に一度「教育を語る会」を一緒に考えて長いこと世話人のようなことをしてくださった。
 お父さんやお母さんとは、何度かお会いしているのだが、かよちゃんとは二十五年以上会ってないので、どんな風に立派になられたか、会うことを楽しみにしている。
 2003年 

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