子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

忘れえぬ思い出の詩・その4

忘れえぬ思い出の詩・その4

十一月二十四日(土)
  先生結婚おめでとう 墨田区立小梅小学校
                 四年  男子
 普通の人は、二十三か二十四で結婚するのに、
 先生よくがまんしてきたね。
 でもいい人見つけたんだね。
 苦労したんでしょう。
 先生の顔見ているとね、
 いつもにこにこしているよ。
 けっこんするからかな。
 みんなひやかすと、
 先生でれでれしちゃってさ、
 クラゲみたいだよ。
 新婚旅行行ったとき、
 写真とってきてね。
 それからさあ。
 どこへひっこすの。
 教えてくれたら遊びに行っていい。
 夫婦げんかしちゃだめだよ。
 おくさんに、
 「実家に帰らせてもらいます。」
 何て言われないようにね。
 結婚おめでとう。
     1980年 10月作 一枚文集「はじける芽」より

 小梅小で五・六年を担任した後、三年生から四年生まで二年間担任したのが彼たちだった。お父さんはタクシーの運転手さんだった。この詩に書いてあるように、遅れてきた春を迎えた僕のことを、よく観察して書いてくれた。こんなにでれでれしていたのかなと疑問を持って読んだが、クラスの子供達は、大笑いして鑑賞したものだった。
 結婚式当日、同僚があらかじめ入れておいてくれた子供達の声をテープに吹き込んで流してくれた。
 小梅小の近くには、三囲神社や牛島神社などがあった。お祭りのさかんなところで、クラスのほとんどのこが、粋なはっぴを着ておみこしを担ぐ子が多かった。僕も何度かおみこしを担がせてもらう機会に恵まれた。もう十年近く前に、この近くを舞台にしたNHKの「ひだり」と言う番組があった。牛島神社や相撲部屋のことが話題になり、楽しく見させてもらった。その他、言問団子(ことといだんご)や長命寺の桜餅などが、有名で名物でもあった。通勤は、地下鉄銀座線の浅草駅から歩いて十五分くらいかけて、吾妻橋や言問橋などを渡って、学校へ通っていた。春の桜の咲くころの隅田公園は、見事な景色であった。
 小梅小に行った頃から、子供達には昔の遊びである剣玉やべいごまを教えて、結構熱中してやっていた。小梅小のまわりは、東京大空襲があったが風向きの関係でそれほど被害の大きくないところがたくさん残っていた。今はもう建て直しをしてしまったが、このころはまだ戦前の建物が焼けずに残っている場所がいくつか見られた。またダイエーホークスの王監督が少年時代に、野球の練習を続けた隅田公園もすぐ近くにある。柳島小に籍を置き、その後業平小に転校して、本所中学に進級した王貞治さんのことは、とても身近に感じている。
 彼たちの学年を二年間担任して、ぼくは二度目の低学年を担任することになる。

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