子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

税金常識のウソ・神野直彦著

税金常識のウソ・神野直彦著

税金の申告に一喜一憂

 税金というと、とられるというイメージがつきまとう。事実日本人のほとんどのものが、同じ感情をもたれるであろう。今まで申告は、職場の事務の方が書類を出せば、全てやってくれた。年金生活者になり、収入がぐんと減り、2月15日過ぎになると、税務署に申告をしに出かけている。そのときは、少しでも、お金を取り戻したい一心で出かける。払戻金があるかないかで、一喜一憂している。
 新聞に時々記事になる、税金を納めている長者番付などを見て、世中にはすごい金持ちがいるんだなと納得したりしている。国会議員の資産公開などを見て、本当かなと思うくらい少ない申告者のものを見て、これは何かのからくりがあると疑っている。

消費税は、経済を停滞させる

 消費税の値上げなどというと、国民のほとんどのものが反対の気持ちを持つだろう。事実、野田政権の民主党が、公約にない消費税値上げをいきなりだし、これはおかしいと批判していた。新聞なども、消費税値上げによる、経済の停滞を指摘したりしていた。格差社会の中で、値上げをしたら、明らかに年収200万以下の派遣社員などに大きな負担になるであろうと考えていた。

失われ20年

 しかし、今回この本を読み、税金の制度を根本的に変えて行かない限り、日本の国は沈没船に乗っているようなものだとつくづく感じた。著者の神野さんも、『失われた20年』と何度か指摘している。 「これまでの租税改革を見ると、目先の利益を求める邪な力にくり返し攻撃され、悲しいまでに選択を誤ってしまったと言うことができます。失敗とは転んだことではなく、転んだまま立ち上がらないことだという名言の重みを忘れてはなりません。遠い未来を展望して、着実にヴィジョン型税制改革を進めていくことこそ、未来への歴史的責任を果たすことなのです。」(P250)と最後の方に結んでいる。まだ、間違いを訂正するチャンスがあると読める。

新自由主義の登場

 「1980年代の経済成長と租税負担との関係を見ると、税負担の高い国は経済成長できなくなり、租税負担の低い国は、高い経済成長を誇るようになります。スウェーデン、デンマーク、ノルウェーという租税負担の高いスカンジナビア諸国は低い経済成長に苦しみ、アメリカや日本と言う租税負担の低い「小さな政府」が、経済成長を謳歌することになります。新自由主義が、説得力を持って登場してくる背景となるのです。福祉国家を根底から批判しながら、世界史の表舞台に登場してきます。」(P66)「1979年にイギリスで、鉄の女サッチャー、1981年にアメリカのレーガン、1982年には日本の中曽根というように、次々に新自由主義が登場していきます。」(P66)
 この考えは、小泉政権でますます色濃く出され、今の安倍政権にそっくり受け継がれている。新自由主義の流れおおよそつかめた。

百年に一度の危機

 「ところが、1990年代になると、その関係は全く関係なくなります。経済成長が停滞していたスカンジナビア諸国が、経済成長を高める方向に動いたのです。21世紀になっても、この傾向は変わりません。1990年代になっても日本は脱却できません。失われた10年が、20年になってしまったのです。アメリカは、2000年代に入ってからの10年を見ると、比較的順調でした。しかし、2008年のリーマン・ショックによって、百年に一度の危機の震源地になっています。」(P69)
 8年前の2005年の3月に定年退職し、その5年間再任用再雇用を勤めたのだが、たしかに現職の人の給料が、ほとんど上がっていなかったのが、鮮明に記憶に残っている。

痛みを伴っているのは若者たち

 小泉政権ができ、「小さな政府」を強調し、「改革なくして、成長なし」「痛みを伴う改革」を、マスコミは、こぞってムードを作り、小泉政権を応援した。あのときの選挙には、普段選挙に行かないような茶髪の若者が、結構投票所で会った。痛みをもろに受けているのは、その若者たちが今の姿である。派遣社員が増え、年収200万以下の労働者が、増え続けている。JRの人身事故が、毎日のようにどこかで起きている。自殺者が年間3万人以上とは、異常な世界の何物でもない。

貢ぎ物としての租税を「市民の共同の義務」へ

 フランスの人権宣言からの出発であるという所は、今回の初めて知るところであった。そこでは、普遍性の原理と、公平性の原則という所も納得がいく。利益原則にたっていた「アダム・スミスの4原則」や能力原則を唱えた「アドルフ・ワーグナーの9原則」などは、初めて知る原則であった。

失われた10年の租税政策

 ここが、今回の一番大事なところであると確信した。つまり、「『努力したものが報われる税制』が目指され、所得減税や景気対策よりも、高額所得者にターゲットを絞った減税政策が実施されていきます。しかも、所得税減税よりも法人税減税へとシフトしていきます。」(P197)の所を読み、全くそうだと納得した。「1990年代以降の税制改革では、高額所得者に焦点を絞った所得減税と法人税減税を実施する一方で、消費税を増税していったわけですから、高額所得者の租税負担は低くなり、低額所得者の租税負担は高まったことになります。」(P200)
 一般の労働者の賃金が上がらず、景気はよくならず、銀行の貯金の利率が最低になり、100万円貯金したって、1年で100円にも満たないというありさまだった。リスクは伴うが、利率のよい投資信託や株にシフトを変えた人が結構出てきた。事実、銀行なども定期貯金より、それを勧めた。退職金を、そちらに一部入れて大損した人を何人か知っている。小泉の郵政民営化とは、定額貯金を解約させ、リスクを伴うものへ金を動かしたことがわかる。

セーフティネットがあると、真剣に演技しない

 「新自由主義思想は、セーフティ・ネットが張ってあると、落ちても死なないと安心して、真剣に演技をしなくなり、経済が活力を失うと考えていました。つまり、社会保障などの生活を保障する社会的セーフティ・ネットを縮小していけば、経済的に活性化すると考えたわけです。現在は冒険が要求される転換期なのです。そんなときにセーフティ・ネットを取り外し、落ちたら死ぬなどと言われれば、アクロバットの演技はしなくなり、安全な演技のみをするようになるでしょう。」(P208)
 失敗したら自己責任という言葉が一人歩きした。

量の経済から、質の経済への転換

 「鉄鉱石から鉄の矢尻を作るときより、心臓のペース・メーカーを作るときの方が、自然の物量に対して投入する知識や情報が飛躍的に増大します。それは自然資源の消費を節約することを意味します。」(P209)「軽工業を基軸とする工業社会では、製糸業にしろ、織物業にしろ、女性が人生の一時期に労働市場に働きに行くという働き方が主流でした。しかし、重化学工業では大量の筋肉労働を必要とします。そこで重化学工業を基軸する工業社会になると、主として男性が労働市場に働きに行き、女性は家庭内で家事労働、つまり無償労働をするという家族が形成されます。」(P209~210)
 高度経済成長が、続いていた時代はこれでよかった。1990年代になると、それははかない夢になりつつ、人々は給料は上がらず、リストラに怯え始めた時期を迎えようとしていた。

保育園が足りないのは

 「家庭内での無償労働に足を引っ張られながら、労働市場に出て行く人は、主として女性です。不況の時には新たに労働市場に参入する人を、パートや非正規の労働市場で受けますので、パートや非正規の労働市場で苦しんでいるのは、女性や若者たちなのです。」「このようにつよい社会保障を築くことは、産業構造を転換させ、経済成長と雇用の確保と格差・貧困の解消とを可能にするつよい経済を実現することにつながります。」(P211)
 ここまで読みながら、保育所が足りなくなって、大きな問題になっている意味がよくわかった。児童数が減ってきているのに、なぜ足りないのだろうと単純に考えていた。

未来のヴィジョンを描く

 著者の言いたいことが、この最後の章で全て語り尽くされる。初めて読む方は、まずこの章を最初に読み、大きな構成を掴んでから読み始めるとわかりやすいかもしれない。経済や税金などというものに疎い私などは、一度読んだだけではきちんと理解できなかった。2度目を丁寧に読み、なるほどと頷きながら読んだ次第である。
 「それは、絶対主義国家では国王の所有する財産からの収入が主要な収入でした。」と、租税収入の歴史があらためて書かれている。それが市民革命によって、市民が金を分担していく今のやり方に変わっていく過程が具体的に綴られている。「第2次大戦中に所得税、さらには法人税を基幹税とする租税制度が形成されます。それが先進国で定着することになります。それが、この日本では、機能不全に陥っているのです。OECD加盟国の傾向としては、所得税、法人税を基幹税とする租税制度を補強しながら、付加価値税を拡充しています。日本では、所得税、法人税を基幹税とする租税制度の解体戦略を採り、付加価値税つまり消費税を拡充してきたのです。」(P199)確かに、所得税を考えると、金持ちからはもっと税を徴収すべきなのだ。また、法人税は、どんどん安くしている。大企業は、設備投資などの名目で、税金をほとんど払っていないのが実情である。格差社会の中で、消費税が実施されたら、とんでもないことになるだろう。税制の元を解体して、簡単に集められる消費税のみを実施されたら、たまったものではない。

小さな政府より大きな政府を

 「租税収入の調達能力が急速に落ち、国民生活を守れない「小さすぎる政府」にしてしまいました。その結果格差や貧困があふれ出て、社会的機能が深刻化してしまったのです。」
 将来の国民年金のための税金を納める人がどんどん減ってきているのは、将来に希望が持てないからである。年金制度が、根底から崩れてきている。若者は、年金を納めるほど給料をもらってもいないというのも現実もある。

社会保障を強化することが

 「所得税の実質的累進制を孝え、垂直的采配分の社会保障を強化することです。さらに消費税の税収によって、現金給付とサービス給付を組み合わせた水平的再配分の社会保障を強化することです。」 「税金さえ支払えば、生活が保障される社会が実現していくことになり、あえて逆進性対策を採用する必要はないのです。」
 そのほか「環境税」という自然との共存を大切にしていくためには、今後大切になるとのことだ。その他、地価税という資産税があるが、富裕税に直し、眠りから冷ませることも強調している。

終わりに思うこと

 確かに、湯浅誠さんの『反貧困「すべり台社会」からの脱出』 岩波書店〈岩波新書〉を読むと、一度失敗して落ちると這い上がれないのが、今の日本だ。彼がまだこれほど有名になる前に、両国の駅で待ち合わせをし、墨田教組に来ていただいた。あの頃より、今の日本は失われた20年を超し、30年に向かっている。民主党政権が崩壊し、自民党政権に戻り、新自由主義が性懲りもなく突き進んでいる。安倍政権は、小泉政権と同じことを目指している。マスコミは、そのことを鋭く批判せず、同じ道を舞い戻ろうとしている。原発を容認し、福島・沖縄県民を切り捨てて、まやかしの経済復興を起こそうとしている。
 昨日、都議会選挙が行われ、予想通りに自民党が伸びた。投票率が、42%前後ということも情けない。
 参議院選挙に自民党がかったら、いよいよ憲法改悪である。『自民党の参院選公約は、原発再稼働に大きく踏み出した。昨年の衆院選で公約した、原子力に依存しない経済・社会の確立も、すっぽり抜け落ち、ほごにされた。変節を見過ごすわけにはいかない。衆院選で公約した「原子力に依存しなくてもよい経済・社会構造の確立を目指す」との文言は全く抜け落ちている。』(東京新聞6/21日社説)と指摘している。日本人は、忘れやすい国民である。安倍首相が、最初に首相になったときに、『消えた年金は、ひとり残らず保障します』と言った演説を、私は印象に残って聞いている。その後、どうなったのであろうか。民主党になっても解決せず、また首相になったのだから、そのことをきちんと解決して欲しい。

神野さんに感謝

 この本が出版されて、私の所に送られてきたのが、今年の初めであった。半年近くたっても、お礼の手紙を出さず、今に至ってしまった。その間に、『世界』6月号に「『人間的社会』の想像を求めて」が出たので、さっそく読んでみた。「土木事業国家」への回帰に未来はないと、今の安倍政権を見事にこき下ろしていた。そこでも、セーフティ・ネットのことを強調し、このままだと格差と貧困があふれ出てしまうと訴えている。
 どの政権になっても、神野さんの考えは、今後大切に取り入れていかなければ、明るい希望は持てない。新自由主義をぶち壊し、悲しみを分かち合う世界の登場を願っている。

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