子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

第525回 豊島作文の会 4月例会のご案内(2018年)

第525回 豊島作文の会 4月例会のご案内(2018年)

◆日 時 2018年4月29日(日) 午後2時~午後5時
◆場 所 豊島区立駒込地域文化創造館 (第四会議室) 
     豊島区駒込2丁目2番2号 
     *「JP山手線 駒込駅」(北口)より徒歩2分

《提 案》
(1)17年度反省・まとめ(工藤 哲) (2)会計報告(榎本典子)
(3)名簿作成(鈴木由紀)       (4)18年度方針と計画(榎本 豊)
(5)『東京の子』(「友達とのかかわりのなかで」)の作品検討

◎3月例会報告
《参加》榎本 豊、日色(司会)、工藤(記録)、田中、片桐、曽我、伊藤、鈴木、榎本、寺木(敬称略) 

画像の説明                    

 
◆ 上の表は、2月例会の時に紹介があったもので、田中さん作成の第1級資料。この表の中に隠されている、さまざまな出来事を田中さんはずっと解説してくれている。前回の会報(3月例会の報告)でも書いたが、その一つが表の3の部分。
1932(昭和7)年2月8日、57ページもある『がつご3号』が、尋5男組のために発行されている。
 4月になり普通なら尋5だった「がつご」の子たちを尋6として持ち上がりになるはずが、持ち上がることはかなわなかった!

 国分一太郎は尋3男組の子たちの担任となる。
 ところが、この年1932(昭和7)年、尋3男組の子たちのための文集を国分一太郎は一切作っていない。

 年表を見る限り、こんなことはこの年限り、ない。   

 次の年、1933(昭和8)年5月になってはじめて、尋4にあがった子たちのための『もんぺ1号』が発行される。

 なぜこのようなことが起こったのか。

 国分一太郎が戦後『教師の友』に1年間連載を続けた「北に向かいし枝なりき」をもとに、これはどういうことだったのか、田中さんが詳しく解説してくれた。
 『教師の友』に連載された「北に向かいし枝なりき」は、日色さんが国会図書館へ出向いて全ページ、コピーをとってきたものとのこと(いつもながら日色さんの行動力には頭が下がる)。

 『国分一太郎文集10』の年譜を見ると、以下の記述がある。

1932(昭和7)年  21歳
 3月2日、村山俊太郎、山形県教育労働組合結成の理由で検挙され、免職となる。
3月6日、村山との関係から検挙され、取り調べを受けるが、10日間ほどでかえされる。

 警察によって検挙され、取り調べを受けたということは、21歳の若き国分一太郎にとってどういうことだったのか。

 ここからは田中さんの解説の通りというより、工藤個人の解釈が中心である。
 
 国分一太郎は、さまざまな条件に恵まれたことによって、山形師範に入学がかなった。そして、祖母や父母、兄弟姉妹の熱い期待を一身に背負いながら、師範学校の5年間を学業に励むことができた。

 優秀な成績をおさめて山形師範を卒業。まさに、「順風満帆」といった感じで長瀞尋常小学校に赴任。

 綴方教育・想画教育に打ち込みはじめた3年目の3学期の出来事(事件)である。

「アカくさい」などと当局ににらまれれば、まかり間違えれば、免職もありえた、そのような時代だった。

 悩み悩んだ国分一太郎にとって、この年は、「文集作り」に取り組むわけにはいかない、そんな年だったのだと私は思う。

 3年後、『綴方生活』第7巻第4号 昭和10年(1935年)4月号に、24歳になった国分一太郎が投稿した「生活詩建設のために―尋三、四指導プラン―」の紹介があった。中身の濃い内容のもので、元気な国分一太郎の復活である。「長い詩」の指導、「散文詩」とはどういうものなのかなどが話題になった。この辺は面白い議論が続いたのだが、記録者の怠慢で省略。
◆これも日色さんが国会図書館でコピーしてきたもの。1978年(昭和58年)、『解放教育』1月号の記事のコピー。「特集1●解放教育を拒否する新学習指導要領」の中の一つ。《-「道徳教育」と『道徳』―(国分一太郎)》という資料。
右翼政権による長年のごり押しにより、今年から「道徳」が教科として扱われることになった。これにどう対処していくのか、参考になる文書・資料である。
◆アニメーション映画監督の高畑勲さんが4月5日に亡くなった。代表作の『火垂るの墓』(1988年)で、この作品について高畑さんは、次のように語ったとある。「反戦のメッセージを受け取ってもらうために作ったわけではない」「戦時中に何があったか、人はどう生きたのかを見つめてもらい、もし自分ならどう振る舞ったかを考えてほしかった」。この評伝(=2018年4月7日、東京新聞)を書いた記者の猪飼なつみさんは、高畑さんの言動に関して、次のように綴って終わっている。
《 やみくもにこぶしを突き上げるのではなく、静かに語り掛ける言葉の裏側に力強さがあった。そして現在の日本を危惧していた。「空気を読んで流れに乗ってしまいやすい点は(戦前と)変わっていないのではないですか」 》と。
今の時代をどう受け止めるのか、高畑さんの語りと国分一太郎の思想がつながっていきそうな感じを私は覚える。(文責:工藤 哲)

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