子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

第62回日本作文の会全国大会・埼玉・関東大会

第62回日本作文の会全国大会・埼玉・関東大会

2013.8.3(土)~5(月)埼玉会館・大東文化大学
⑳平和・いのちの学習と作文教育 提案 榎本豊(綴方理論研究会)

「人権集会」を進めるにあたって(案)     人尊委員会
 これまで言われ続けてきた堤小児童の実態は、語彙不足も関係し「うるさい」「死ね」等と言う言葉がすぐ出て、自分の今の気持ちや、生活、人間関係をていねいに捉え表現できていない傾向があるということである。(この内容は、これからの教育活動を通してより具体的に明らかにする課題である。)
 そのため「聞く」「話す」の課題においても、友だちや先生の話をしっかり聞けない、また単なる「おしゃべり」はできるが、人前で筋立て(構想を立て)て話すことが苦手である。さらに正当な話をしてもちゃかされるなど、個としても集団としても育ちづらい傾向が見られる。
 こういった課題に少しでも切り込むため、一人ひとりの表現力を豊かにすると同時に集団の質を高めるため「人権」という視点をすえ「集会」を位置づけたい。
・十二月初旬に堤小「人権集会」を設定する。
・各学年一点ずつ作品を発表することによって、堤小学校の子ども達がどんなことに目を向け大切にしたらよいのか、その方向を指し示す場として「人権集会」を開く。
・人権をくらしのあらゆる場面で事実に基づいて、具体的に見つめる。
・人権の視点に立って、子どもの文章表現力を高める。
・作文を聞き取る側として、認め合う・つながり合う・支え合う集団の高まりを導く。  
・人権の視点のある作品を各学年1点以上持ち寄り、作品分析をし合う。(研推か全体会)
・どの作品を発表に使うか決め、その作品を分析し合う。
・十二月の「人権集会」までの間に、どの作品を発表し合うのか決めて、その児童に準備をさせる。

「人権集会」に備えて、子どもたちに身につけさせたい文章表現力。
Ⅰ、自分や周りの人がしたことや、見たこと、聞いたことをじっくり思い出して表現する。 (「・・・でした。」「・・・ました。」と、過去形で表現する。)
そのためには、次のような作文は書かせない。
「僕は、お年寄りの人には、親切にしたいです。そんな人に、道をたずねられたら、ちゃんと聞いてあげたいです。できたら、その人に分かるまで、教えたいです」
「駅の近くには、黄色い色で、凸凹の印が付いている道があります。これは、目の不自由な人が、杖をつきながら歩けるようにしているのです。そういうところに、自転車が置いてあると、目の不自由な人が、歩けないので、大変困ります。障害を持った人には、もっと理解をして、親切にしていきたいです。」(決意文)
 このような文章は、最初から書かせるべきではない。なぜなら、頭の中で考えた文章であり、自分の体験に基づいて、感動した事実を書かせていかなければ、口先だけの中味のない文章だからである。

文章を、生き生きと書かせる六つの大事なキーポイント

(1)身のまわりの出来事で、心が動いたこと(ある日のこと)をえらぶ。
(2)したことの順によく思い出して「・・でした。」「・・・した。」と書く。
(3)いつ、どこで、だれが、何をしたのかがはっきりわかる文章にする。
(4)そのとき、自分が話したり、相手が話したりコトバは「  。」を使って文にする。
(5)そのとき、思ったり考えたりしたことは、(・・・。)を使って文にする。
(6)ものの形や色、大きさ手ざわり、においなど五感(官)を働かせたことをよく思い出して書く。
(7)そのときの自分のうごきや、周りの様子も書くようにする。
(8)自分がわかっていることでも、読む人が分かるように説明も入れて書く。

とりあげるポイント

(1) 書いたことをほめる。
(2) 一つのことを書いていることをほめる。
(3) 題のつけ方をほめる。
(4) めったにないことを題材に選んだことをほめる。
(5) 自分の気持ちを素直に書いていることをほめる。
(6) したことをしたとおり書いていることをほめる。
(7) 聞いたこと、話したことを書いたことをほめる。
(8) まわりの人のことを書いたことをほめる。
(9) いつ、どこで、だれと、どうした話かはっきり書いたことをほめる。
(10)読む人のために説明していることをほめる。
(11)心のはたらかせ方をほめる。
(12)表現技術が生かされていることをほめる。

十一月上旬~中旬

 人権集会に備えて、このような題目を立て、日記や作文の時間に書かせる。
「学校生活や、家に帰ってからの生活の中で、親切な言葉かけなどで、心温まる気 持ちになったり、逆に嫌な思いをしたりすることがあったら、それを思い出して 書いてみよう。」
 表現意欲・題材・構成・記述・推敲・鑑賞として、六~七時間ほど確保したい。
 参考作品としては、昨年・一昨度年の人権集会の作品「研究紀要」二〇〇七年三月
「年刊児童・生徒作文集」10冊(日本作文の会発行・過去十年間の日本中の優れた作文と 詩が掲載)「教室で使える作文の本1~6年」(百合出版)「教室で使える日記の本1~6年」(百合出版)「ないしょみつけちゃった」子ども詩集(東京の子の三〇年間に書かれたすぐれた詩)
全て、図書室に備えてある。

人権作文集会

十二月十日(水)日(水) 五時間目 体育館
内容 各学年から、代表児童の作品を読み、担任の先生から、その作品のことや クラスでの取り組みについての感想をいっていただく。
「学校生活や、家に帰ってからの生活の中で、親切(しんせつ) な言葉(ことば)かけや行動などを見て、心温(こころあたた)まる気持ち になったり、逆(ぎゃく)に嫌(いや)な思いをしたりすることがあ ったら、それを思い出して書いてみよう。」

人権作文(じんけんさくぶん)をじっくり書こう 

 人権とは、人間が生まれながらにして持っている「自由(じゆう)・平等(びょうどう)・生命(せいめい)」などを保障(ほしょう)された権利(けんり)のことです。日本国憲法(にほんこくけんぽう)の中で「基本的人権(きほんてきじんけん)の保障(ほしょう)」として「国民主権(こくみんしゅけん)」や「平和主義(へいわしゅぎ)」と同じように、もっとも大切(たいせつ)にされなければならない特長の一つです。今年は、三度目の集会です。みなさんの身近な生活の中で、心に強く残ったできごとを思い出して書いてもらいます。昨年は、どの作品も、心をこめて、一生(いっしょう)けん命思い出して書いてくれました。クラスの中や学校生活の中に、友達とかかわりながら、様々なできごとに心を動かしています。いやな思いをしたり親切にされた人は、ずっとそのことを覚えているものです。やった方は、あまり覚(おぼ)えてないような人もいました。さて、今年は、どんな作品がでてくるでしょうか、楽しみです

Ⅱ、人間に注目させる文章を書かせる。

・この人間とは、友だち、先生、家族、身近な人、見知らぬ人全てを含む。
・人間に関わりのあることの中で、くやしかったり、うれしかったことで、心に強く残ったことを、じっくり思い出して書いてみよう。(一斉の授業・指導題目)
 このような題目で、全員に書かせると、クラスの中で関わりのある文章が出てくる。
 子ども自身が、本当の事実を書きながら、喜怒哀楽をしっかり掴むことになる。

指導過程

(1)表現意欲喚起 
 実際に書きたくなるように、作品を持ってきて、読み合い、話し合ってみる。(作品は、2~3作品がよい。)
(2)取材・題材・構想
 取材カードや日記などに、そのような出来事があったら、必ず書くようにさせる。
 一番書きたいことから書くようにさせる。必ず、きっかけを書き出しに入れる。
(3)記述
 「・・・でした。」「・・・ました。」と過去形の文章で書くようにさせる。必ず、出来事の順   に書くようにさせる。
「文章を、生き生きと書かせる六つの大事なキーポイント」を意識しながら書く。
(4)推敲(推考)
 書き上げた作品を、必ず読み直して、「句読点」「漢字」などに直し、思い出したところは、さらに書き加える。
(5)鑑賞
 完成した作品の中で、指導題目に合っている人権の視点のある作品を、みんなで読み合い、「書きぶり」「生活のしぶり」のよいところを、誉め合い、考え合う。
資料

(一)どんな作品を大切にしていくか。

一年 女子(小梅小)

きょうのあさ、あさがおを みにいったら、しろいあさがおが 一こさいていました。つるがでないのに、はながさいていたからびっくりしました。 八二年 七月作

 一年生の文字指導が終わりかけている、七月頃の作品である。このような文章を書いてきたら、自分のした順に、感じた順に、「・・・でした。」「・・・ました。」と、過ぎ去った書き方になっていることを、大いにほめたい。さらに、いつの日の出来事かが書けている。色のこと、数のこともきちんと書けている。つるがでないのに、花が咲くこともあるという小さな発見をしたことも、たくさんほめてあげたい。この子は、文章を書く以前の生活が、すばらしいから、このような作品になったのである。朝起きて、朝顔を見に行ったから、このような発見が出来たのである。日々の生活に対して、積極性、意欲性を大事にしたい。このような作文を、クラスのみんなで読み合い、「何がよいのか」を考え合うことが、「鑑賞」の授業である。こどもたちから出てくればいいが、なかなか出てこなければ、教師が指摘して、あげることである。この作品を読んだ本人並びに他のこどもたちは、これからの生活に対して、意欲性・積極性が必ず出てくるし、作品の書き方も同じように丁寧に見て、じっくり思い出して書くことを身につけていくのである。

一年 男子(小梅小)

きょう ぼくと田口くんと こうごくんと三人で、がっこうからかえってきました。がっこうをでて こうえんのほうにまがるまえのところで、こうごくんが たぐちくんを ぼくがぬかしたからといって、かさをけりました。ぼくのかさが まがってしまいました。そして、ぼくはかえりました。 八三年 一月作

 悔しかったことを、悔しいという言葉を使わずに、その事実を淡々と書くことによって、自分の悔しい気持ちを表現した。語彙不足の子どもは、すぐにはげしい言葉でもって、相手をおどす。それをせず、事実を書いているのが良い。人の名前を、固有名詞を使って、具体的に書いているのも良い。学校の帰り道の出来事であると言うこともわかる。ただ、文が重文が多すぎて、○が少ないので、読み辛い。文を書くことが苦手の子ほど、文を短く切って、二文、三文にすることが苦手である。そこの所は、三つくらいに切ることを、みんなで考えさせると良い。かさが、曲がるくらいにけられたのだから、この子は、涙を出して、悔しい気持ちを持って帰っていったにちがいない。すぐに反撃しなかったことは、やったらもっとやられると思って、我慢したのかも知れない。このくらいの作品は、名前をその通りに読んで、みんなで考えさせたい作品である。読む前に。乱暴した子どもを事前に呼んで、この事実を確かめることも大事だ。子どもによっては、事実と違うことを書いてしまうこともあるからだ。この場合は、すべて、事実を認めてくれた。傘がその後どうなってしまったのかも、この子に確かめることも大切だ。
 現実には、傘は開くことが出来ずに、使えなくなったと言うことだった。この日記を元に、乱暴をしてしまった家に連絡を取り、この事実を伝えた。親は、すぐに子どもを連れて、謝りに行ってくれた。この日記を書いた子は、自分の悔しい気持ちを書くことによって、相手の家の人と本人が謝りに来てくれた。「日記」を書いて、プラスの方向になったのである。つまり書いて得をしたのである。このような作品を読み合ったので、その後、小さなことでも悔しい思いを書いてくる子が出てきた。そのつど、取り上げるようにして、「人権感覚」を少しずつ、育てていった。

先生からくうしゅうの話をきいたこと 一年 女子(小梅小)

 きょう 三じかんめのしゃかいに えの本せんせいが、 [#ca696565]
「きょうなんの日かしっている人。」
といいました。わたしは、おかあさんになにもきいていないから、わかりませんでした。えの本先生が、
「あらいさん。」
といいました。あらいさんは、
「はい。」
といって
「くうしゅうの日です。」
といいました。そうして、十五年せんそうというだいの かみしばいをしてくれました。うえからみてすみ田くは 田んぼみたいでした。コンクリートのほかのいえはぜんめつしたり、マツヤのほうはむしやきみたいでした。どうろは 人げんのしたいでゴロゴロだったし、すみ田川から人げんのしたいがながされてきたりしました。おかあさんが赤ちゃんをおんぶして そこだけがしろくなって ほかはまっくろの人もかみしばいの中にでてきました。したいがアップしてでてきたりしました。そのときみたら わたしは きもちがわるく すぐ下をむきました。えの本先生のかおは かなしそうなかおをしていました。わたしは、
(もうせんそうなんておこるな。)
と心の中でいいました。三じかんめがおわって休みじかんに、一年一組の男の子十人くらいが、
「せんそうはんたい。」
と、大きなこえで きょうしつをあるきまわっていました。
八十三年 三月作

 戦争は、最終的に「人権」を完全に無視する最悪の物である。それが個人でなく、国という中で行われる。個人が人を殺せば、必ず殺人犯で逮捕され、処罰される。国が人を殺しても、殺人犯とはならない。今のイラク戦争を見れば、明らかである。時々アメリカが、イラクの人々を人道的に扱っていないと報道され、「人権問題」が記事になる。しかし、それは、氷山の一角で、ほとんど報道されない。毎日イラクの人々が犠牲になっても、記事にもならなくなった。「人権感覚」が、報道する側になくなってしまったのかも知れない。やはり六十八年前に、この墨田区であった東京大空襲のことは、何らかの形でこどもたちには伝えていきたい。

(二)何でも言い合えるクラスから、自由に作品が出てくる

養護施設にいた日 六年 男子

 ぼくは、三才から四才まで養護施設(ヨゼフホーム)に姉といっしょにいました。その時のぼくは、緊張していました。先生たちはやさしそうでした。でも、お母さんが心配で、泣きそうになりました。そこにはいろんな人がいました。 [#t8ac7554]
(仲良くなれるかな。)
と不安でした。先生たちが部屋を案内してくれました。一番最初に会った友達は、元気君でした。
 ぼくと元気くんは、外の砂場で遊んでいると、姉が来て一緒に砂遊びをしました。先生は、
「おやつだよ。」
と優しそうに言いました。ぼくは、手を洗っておやつにしました。おやつを食べていると、母のことが心配でした。
(お母さんだいじょうぶかな)
と心配でした。でも、母はお仕事で大変だと思いました。その夜ぼくは母のことでいっぱいでした。

母が来た日

 その日の朝、母から一本の電話があった。先生が受話器を取って話していました。先生が、
「もしもし。」
と言いました。母が、
「フユの母ですけど。」
と言いました。先生が、
「お母さんだよ。」
といいました。ぼくが、
「もしもし。」
と泣きそうな声でいいました。
母が、
「きょうあいに行くから。」
といいました。
ぼくが先生に、
「きょう会いにくるって。」
と喜んで言いました。先生にかわりました。先生が電話を切ってぼくにいいました。次の日に、母はぼくたちに会いに来てくれました。その日は、一泊留まってくれました。
 次の日に、ぼくと姉は、母といっしょに、今住んでいる家にもどりました。ぼくも、姉もとてもうれしそうにして、三人の生活にもどりました。今から、八年くらい前の、ぼくが四才くらいのころのことでした。

親子三人の暮らし

 ぼくが四才で、姉は六才になっていました。母は、そのころから、仕事をしていました。そのころから、母は、夜お仕事に出かけて行きました。母は、仕事で忙しくて、夕食の用意だけはしてくれました。冷蔵庫に食べるものは入れておいてくれました。母が出かけた後、僕と姉の二人で、夕食を食べました。施設にいるときは、母がいないので、大勢友達と一緒に食事でした。でも、たった二人で食べる夕飯だけど、僕たちにとっては、楽しい生活でした。母が帰ってくるのは、次の日の朝でした。でも、夜おそく帰って来るかもしれないと思って、二人で起きて待っていることもありました。でも帰ってくることは、ほとんどありませんでした。僕たちは、眠くなって、ふとんに入って眠ってしまいました。ある時などは、眠い目をこすりながら、夜中の二時、三時まで起きて待っていることもありました。次の日、学校へ行くこともなかったので、そんなおそくまで起きていることもできました。

姉のけやき小学校入学

 姉が、小学校入学して、今の家から通っても、家にぼく一人になってしまうので、また、ヨゼフホームにもどりました。ぼくは、ヨゼフホームに、一人でした。姉は、けやき小学校に、入学しました。姉が学校へ行っているときは、ぼくと先生で、遊んだり、勉強をしていました。だから、さびしい思いは、しませんでした。 そこでの暮らしは、三年生まで続きました。母は、月に一~回会いに来てくれました。来てくれたときは、すごくうれしかったです。しかし、来ても、だいたい、その日に帰ってしまいました。帰るときは、ぼくも姉もさびしくて泣いてしまいました。すると、母は、    
「また、来るからね。」
といって、タクシーで帰ってしまいました。その時が、一番悲しいときでした。

ふたたび親子三人暮らし

 ぼくが、小学校三年生の終わりに、しせつの先生が、母と話し合って、親子三人で暮らすことになりました。その話を聞いた時は、うれしくて姉といっしょにだき合って喜び合いました。やがて、今住んでいるところに、ふたたびもどってきました。姉が六年生で、ぼくが四年生の時でした。 二〇〇六年 十二月作
 タイの両親を持つ。事情があって、父親とは、離婚をしてしまう。以来、母と姉の三人で、この文のように暮らしている。このような、プライバシーに関わることは、本人の了解のもと、家族にも連絡をして、卒業文集に載せた。

ある日ある時、友だちとのことで、心に強く残った出来事を、あった順、した順にていねいに思い出して書いてみよう。

① 友だちに親切にされて、とてもうれしかった出来事。
② 自分が困っているときに、声をかけてくれたり、はげましてくれたりしたこと。
③ 友だちにいやなことをされて、傷ついたことがあったら、そのことを、正直に書いてみよう。
④ 書いた内容は、良く思い出して、ていねいに、あった順に書いてみよう。
⑤ らんぼうな言葉で、自分のことをバカにされたこと。
⑥ 何かあると、すぐに「おまえ。」「うるせい。」「死ね。」などと、きずつくことをよく言われる。

記述の仕方(文章の書き方。)

① できごとの順に、「・・・でした。」「・・・ました。」と、過ぎ去った過去形の文体にする。
② 「そして」という接続詞を使わず、文体は、なるべく、短くきって、簡潔に書く。

○年○組  名前
やや長い題名(読みたくなる題名にする。

                                                  

なぜ、右のような題の文章を書いてみたいのか、そのわけもかじょう書きに書く。


作品集は、別紙に。

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