子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

綴方理論研究会 4月例会報告

綴方理論研究会 4月例会報告

◇とつおいつ その48 日の丸・君が代 部落問題 福島原発など 乙部 武志

日の丸・君が代 部落問題

 先日の21日の土曜日に、1952年に勤務した江東区の数矢小の1959年度の卒業生のクラス会があった。その中の一人で、今は千葉の市川市に住んでいて、「少林寺拳法」の支部長をしている。その子どもが、宴たけなわになったときに「君が代・日の丸問題」の論争を挑んできた。東京や大阪で厳しくなってきている処分のことについて、「先生は、もちろん反対でしょうね。」と言ってきた。賛成する人たちの常套句である「日本人として愛国というものを考えたときに、君が代や日の丸に対して礼を尽くすことは当たり前である。」と言ってきた。「アメリカは星条旗を掲げて国歌を大事にしている。なぜなんでしょうかね?」お酒の席でもあるし、ぼくが正論はくことも良くないので、ぼくが尊敬している歌人(寺山修司)の短歌を紹介してその場をおしまいにした。あとで、ゆっくり話そうとしたんですけどね。いずれにしても、政局のことに繋がる問題である。今回の小澤判決が下され、大阪の橋下とどう繋がるか。
 東京都の場合、戒告が2名でした。それは、最高裁の判決が出て、それを受け手の処分であった。先ほどの少林寺拳法やっている男も、道場を開いて、子どものために一生懸命で政治色もない。それでも、いきなり質問してきたのは、やはり関心があったからではないかと思う。この件については、何人かの人の談話などをもとにして、お話しするつもりですけどね。
 もう一人の男が、「部落差別って大変なことですね。」て言うんですよね。東京辺りでは、そんなに問題になっていないのに「文藝春秋」という週刊誌の被差別部落の悲惨な記事を読んで、「こんなことが今時。」という感想を持ったみたいですね。これもみんなの前では話すわけにはいかない。大阪や岡山などの例も知っている。特に被差別部落ではないが、学校を行けなかった人のために「識字学級」というものが盛ん。岡山で言えば中西淑さんたちがやっている。東京都で言えば、皮革産業に携わっている人々の中に、そういう人たちが多いと言うことも、ほとんど知らないのが実情である。それなのに、私が教えた子ども達、ちょうど榎本さんぐらいの年令なのか、関心を持っている人たちがいた。

福島原発

 実は、この会で、「プロメテウスの罠」(朝日新聞朝刊)ということが話題になっている。先月それは、終わりになっている青森県の六ヶ所村、あそこに原子力燃料の再処理工場がある。そのことでの現地の人たちの闘いなどは、東京に来てしまったのでわからなかった。ぼくのふるさとの近くで、車社会の前は、ほとんど馬車で行き来していた。ぼくが育った野辺地という町は、そこからはほとんど下宿をして中学に通っていた。ぼくは、中学の時にクラリネットを吹いていた。夏になると僻地へ演奏旅行などをしていた。その時、馬車に揺られて、行ったことを思い出す。それ以後原燃が出来てからは、ほとんど行ったことがない。今は、ぼくの父の妹の息子が、米沢高専を出て電気屋などをやったりして、なかなか発展家で、井戸の掘削やったりして、技術者として暮らしてきた。どこかでうまくいかなくなって、学校の教員になったんですよ。その人に、田舎に帰るついでに、色々車で案内してもらった。道は立派だしね。その中で、鎌田慧が、あの辺をえぐって書いているんです。土地を売った人は、それまで考えられない生活を展開したんですね。持ったことのない金がごそっと入ってきたもんですから、夜な夜な六ヶ所村からぼくが住んでいた町までタクシーで出てきて、また帰って行くという。いくら土地売ったと言っても、ひとたまりもないでしょ、それでもって、どんどんどんどん疲弊していくんです。ぼくの仲間で、師範学校の同級生がいて、それがそこの学校の校長をしたんですけど、その地域が悲惨なものだったということですね。みんな使い果たし路頭に迷うというわけです。そういう所で現在どんな闘いをしているかと言うことが、「プロメテウスの罠」で取り上げられていた。出だしが、「大湊線のありとう駅から東へ歩く」という見出し。そこへ千葉の習志野に住んでいた菊川けい子という女性がね、ありとう駅から歩いてかなりの距離の豊原という所へ入植することになったと言うんですよ。豊原という地名は、いくら調べてもないんですよ。樺太から入植してきた人たちが、そういう地名をつけたと言うんですよ。菊川けい子と言う人が、いろんな運動するんですよ。観光資源なんか何もないところだから、例えば、方々からチュッリップの球根を取り寄せて、だだっ広いチューリップ畑を作るんですよ。そういう中で苦労した人間たちのことが出てくるんです。2~3日前でしたか、「民主と愛国」を書いた小熊英二、彼が原発反対の立場から朝日の朝刊「論壇時評」(4.26)に書いているんですよ。前に皆さんに紹介した、東北のことを研究している赤坂憲雄と山内明美の3人の共著で本を出している。その小熊が、原発反対の立場から、原発が電力そのものでもって貢献したわけではないというわけ。要するに、プルトニューム入れて核分裂させて、そのエネルギーでもって水力発電や火力発電と同じように電気を作っている。しかし、あれだけの危険を伴うものから、まわりを固めなければいけないと言うことから、リスクを背負っていることを少なくするために、電力を生みだすためではなくて、原発からの恩恵があると言うことを、みごとに喝破して書いている。目の透くような見事な書きっぷりでもってね。あとで、チャンスがあれば、活字の形で読んでもらった方がいい。

「プロメテウスの罠」(朝日新聞朝刊)

 日の丸・君が代の話から始まり原発の所にいきましたけど、日の丸・君が代と原発がどこでどう結びつくのかと言うことですね。何の関係もないみたいですけど。やはりそこの所には、日本人の気質みたいなものが、あるいは教育が大きく影響している。教育が政治に介入するときと言う「世界」のね、これはきちんと読んでおいた方がいい。尾木ママと言うことで最近出てくる、尾木直樹が書いていることは、あの尾木ママとは別人のようなね。もともと彼は。学級通信で名をあげた男ですからね。中学の教師をしていて。日の丸・君が代と結びついていくんです。この文章も一度読んでおくと良い。我々が、天皇制の問題で、今まで土葬だったものが火葬にするだとか、御陵などと言うもは簡素にするだとか話が出てくるけど、前の天皇の大喪の時の何億という大喪費用ですね。実は、日の丸・君が代のところが皇室と直結するわけでしょ。それこそ深沢七郎の中央公論で、右翼の攻撃に遭ってとんでもない形になった。島中という社長がね。ああいう風な形に再びなっていくんじゃないかとね。日の丸、君が代の問題が特に橋下を中心としてね、全国に広がりつつある。珍しくも今回は、連合の古賀会長が、メーデーで話したことは、民主党に決別するような形の話を、別に強烈という話ではないけどね。ある程度見切りをつけなくてはみたいな、ニューアンスのようなことを話しましたよね。仙谷という前の前の官房長官が、「原発の再開を認めないと言うことは、集団自殺に等しい。」と言うことを言いましたよね。ああ言う論調みたいなものがね、今度は、同じように天皇制に対するアンチテーゼと同じように扱われていくと思うんですよね。だから「プロメテウス」まさに罠ですよね。プロメテウスは、ギリシャ神話の中で、人間に火を与えた神様と言うことでね。その罠と言うことは、我々が本当に耳を傾けて良いようなことになるんではないか。
 それで、65才くらいになる、教え子のクラス会で「少林寺拳法」を教えている教え子が、国の歌や旗に敬意を表しない教育とは何事かというね。別に右翼にくみしているわけではないですよ。もう一人被差別部落に初めて目を開いたという、そういう事実を知ったということですね。

苫米地英人の愛国心の分析

 今回いろいろな資料がここに雑多にあります。苫米地英人(とまべち ひでと、1959年9月7日 - )は、東京都出身の計算言語学者、 認知心理学者と言う人知ってますか。オウムの時に洗脳された女の子を助けるために、活躍した脳科学者なんですよ。亡くなったうちの息子と交流がありましてね。その辺にも一冊もらった本があるんですけどね。これを読んでいる中で、さっきの愛国、国を愛することがどういうことなのかということで分析した部分があるんですよ。その表題は、よく言われることに、ワールドカップなどの時に熱狂する、そして日の丸を出してくる。みんなああいうときにそうなるんじゃないかと論調でもって、日の丸・君が代というものを何か特別なものとして見ていく、それに対する分析をしているんですよ。冷戦終結後の国際状勢の中、アメリカの都合によって日本人の愛国心は、ボリュームアップされています。しかし、一見すると愛国心の高まりと思えるような現象の中には、実は愛国心とは全く関係のないものも含まれています。例えば、1990年代以降サッカーワールドカップの熱狂に象徴されるように、主にスポーツの世界で若い世代を中心にプチナショアリズム的な動きが見られます。確かに屈託なく日の丸を掲げ、君が代を斉唱するが、これは愛国心ではありません。世界規模のスポーツイベントは、すべて巨大なビジネス、こうしたビジネスの主催者たち、つまりFIFA(国際サッカー連盟)やIOC(国際オリンピック委員会)からすれば、熱心に応援して、たくさんお金を落としてくれる観客が増えてほしいのは当たり前、観客の熱狂度を上げるためには、自国チームを応援させるのが、1番手っ取り早い。いわゆるプチナショナリズムとは、こうしたスポーツビジネスのマーケティングが効果を現しているに過ぎません。もう1つ愛国心とは、実は無関係な現象としてあげられるのがネット右翼。中国や韓国などの反日的な運動や外交において弱腰な日本の売国奴政治家を批判し、日本を守れ、日本はすばらしい国だと言った主張をもっぱらインターネット上で広げている人たち。ここに橋下や石原が入っていると見て、間違いがないんじゃないでしょうか。苫米地英人と言う人は、実にずばりと良いこと言っているなと思って、ほめて使わすと言う感じになるんですが、彼の方がはるかに偉いんですが。橋下などがどういうつもりでこれをやって、つまりネット愛国というものになっているのかと言うことを考えると、維新(世の中を改める)と言うものに賛成するものが多い。今朝の新聞では、堺屋太一が旭日大綬章をもらうことに決定したでしょ。彼が一番のブレーンですよね。今回本当に喜んでいるでしょ。なかなか珍しい男だね。とにかく我々が冷静になってね、戦後寺山修司が歌ったようなね
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」
 彼らしい歌ですけどね。ほとんどが愛国心というものに摘み食いして、それが苫米地さんによって、ビジネスと結びつけるという形になっているという。子ども達が日の丸・君が代で、教師ががんじがらめになっている中で子ども達もがんじがらめになっている。許してはおけない問題ではないかと思うんですけどね。かってやったような綴方の中に「安保反対」のようなことを今やったら、立ち上がれないほどぶったたかれるでしょうね。しかし、本当の意味で国際的であり、愛国ということになるならば、もう一度小熊英二の「民主と愛国」などという本を読んで、この中で扱われている国分一太郎がどういう意味で扱われているのかを、考えてもいいんじゃないかと考えている。子ども向けに書かれた「日本という国」日本の国は、どんな国かと言うわりと薄い本がある。「民主と愛国」は、昔、正三郎さんに少し国分さんのことが触れて書かれていると言ったら、正三郎さんは買って読んだらしいのですが、「むずかしくて、むずかしくて。」と言ってましたね。お墓には持って行って捧げましたけどね。右翼だとか、左翼だとか言うのでなく、あるいは政治的であるとかないとかいうのでなく、本当の意味で子ども達が人間として育っていくためには、橋下のしていることは見逃せないし、政府に吠えずらをかかせると言うことを、誰でも見られるような所で言う東京都知事のようなね、何が芥川賞だかわからないけど、堂々と吠えずらかかせると言うことを使いましたよね。今、あれがモテモテだと言うことですからね。いわゆる尖閣列島を東京都の東京都の金で買うというのはおかしいと出てくれば、みんなから募集するんだと、それをキャンペーンにすると。当然台湾、中国、韓国などが問題になってくる。何か極右的な動きの中で起こってくることを考えると、何か考えなければならないんじゃないかと。
 北朝鮮に若造が出てきて、国の様子がどのように変わるかと。みんな同じに拍手をする。あの拍手は、何度するかわかりますか?38回です。38度線ですから。(笑い!) あのそろった拍手や集団美が美しいと思うような教育は、口パクと同じですよね。国営放送では、多くの女の子たちが群がっている光景が、何度も放映されている。一糸乱れずあのように足を上げて行進する姿は、滑稽だとしか言えない。
 大阪では、橋下の弁護士時代の仲間が、校長やっているんでしょ。それで、君が代の時、口パクではなく唇が動いているかどうかを調べさせていますよね。あの問題は、どうなったんですか。話があっちこっちいったけど、我々が綴方で子ども達に、何を真実だと追究させていくかと言うことを考えたときに、今度の口パク問題などは、見逃してはいけないことだと。橋下が言うには「とにかく日教組をぶっ壊すことだ。」と週刊誌にでかでかと出るでしょう。今のところ、日教組は一言もそれに対しは、言ってないですよね。まあ、言ったってしょうがないんですけどね。以上で終わりにします。
◆いつもながらのよどみない語り口に、80才を超えた頭脳とは思えません。記憶力抜群の国分先生は、75才まででしたが、その年をとっくに越されてます。(脱帽!)

☆5分間休憩中のおしゃべり。

 ・作家の赤川次郎なども、橋下のことに触れて反対してますね。作家としていやで しょうね。
 ・小熊英二の記事の横に高橋源一郎の「君が代・日の丸」のことについて、ご自分 の息子さんの小学校入学式の時のことを書いているが、作家という感性はすばらし い。大学教授でもあるから、息子の学校の校長を揶揄しているけど、勇気あることだね。
 ・大阪の教育委員長が辞めちゃったけど、もう少し闘えば良かったんだけどね。

◇「外国語としての日本語」提案 本間 英美子さん(綴方理論研究会)

 会員でもなく、本間先生の横にいてオブザーバーのようなことで出ていたんですけど、1年間皆さんのお話を伺ってきて、私も話をしたくなりついつい出しゃばって、このような機会を与えて下さって感謝しています。以前田中先生が日教組の全国教研の時に、国語が日本語になったことをお話しになりました。私もこの間ためて置いた新聞なども見ましたら、もう14年前の記事ですけど、「日本語は、まだ発展途上」とか韓国の方(イ・ヨンスク)も書いている。井上ひさしさんなんかも「日本語」というタイトルをつけておられる。国語というのは、私達母語としてだが、読み書きそろばんとしてのね。外国語としては、やはり日本語なのかなと。「にっぽんご」でなく「にほんご」だと思っています。と言うのが、ご挨拶代わりのお話でございます。

★国交回復前の中国へ

 では、レジュメに沿って始めていきます。今、私は、「東京語文学院日本語センター」と言うところに席を置いておりますが、夫のこととか娘の病気のこととかありまして、以前は週3回くらい教えておりましたが、今は週一月曜だけ4時間担当しております。非常勤講師で、時給2000円で働いております。1964年に上海外国語学院に行ったと言うことなんですが、その前に1962年に、乙部先生が実行委員長になって私達が結婚しました。ちょうど50年になりますが、結婚して2年目で、父がその頃に日中文化交流協会の理事をしていた。本間先生は、「作文と教育」と組合で忙しくて、結婚はしたものの、12時頃帰って来て6時には家を出てと言う毎日でした。その事で父に泣きついたものですから、父がこれはやばいなと思ったんでしょうね。日本語を教えろと言うことで、父の命令一下、当時は外交がない時代ですから、日中文化交流という名前で、中国の児童文学研究という名目でビザをとりました。父ともう一人推薦する人間がおりまして、フライトもない中で神戸から船で2日間ゆられて、北京に最初着きました。そこから上海外国語学院(30年経って大学になる。総合的な大学でないと大学と言わない。)に行きなさいと言われた。本間先生は、北京で教えたかったのですが、2家族で上海外国語学院の日本語科へ着任しました。

★文化大革命で日本に帰国

 ご存知のように1966年の10月に「文化大革命」が起こり、昨日まで一緒に食事をしていた学院長が、三角帽子をかぶせられ壇上で「打倒」と紅衛兵にやられる場面を見て、学生たちも「下放運動」と言って知識分子は地方の農場や工場などに行って「改造」しなければいけないと言われた。私達が教える対象がいなくなってしまった。父にその旨を手紙で書いたら、「帰るな。」という返事が来た。国交回復してない国からやめて、彼は品川区の教員で私は東京都の保育所でした。当然資本主義国から社会主義国へ行ったんですから、帰ってきても職はないと言われ帰るなと言われたんですが、3家族6人で相談して、結局香港経由で帰ってきました。当然ながら本間先生は東京都の試験に合格しながら、採用されなかった。たまたま千代田区の松本先生という教育長が、「私もレーニン勉強しましたからよくわかります。」と言うことで、それが本音かどうかわかりませんけど、千代田区の教育長と言うことで、首根っこ押さえておけば、まあ何とかおとなしく教職をするであろうと思われたんでしょうね。1年間は、私の方が早く和光学園に入ることが出来ました。父が和光学園にいたからですね。親父がいれば、娘もおとなしかろうと言って、1年間は主たる夫業をしておりました。朝から布団を干すのは気が引ける。実家の近くのアパートに住んでおりましたからね。私も子育てが遅かったので、結婚してから8年目にやっと長男を出産しました。和光学園は、男も女も関係なく働かせる学校でして、組合強くて生理休暇ってあっても、プール指導しなくてはならないしということで、高齢出産でした。2人目の娘が生まれたときには、和光学園をやめました。

★語文学院へ

 専業主婦をしているときに、「フリーダム外交学院」という所で、日本語を教えている友達からと、1986年という年は、外国人が増えてきた時期でした。そこで日本語を教えておりました。やがて、そこの学生が「あなたは英語より中国語の方が得意だから。」と言って「語文学院」を紹介してくれて、今の語文学院に勤めることになりました。そこも新聞などでご承知だと思いますが、日本語を教えてほしいという外国人がどんと増えて、高学歴の主婦を対象にして、日本語を教える学校が不動産屋だとか、ちょっと一部屋持っていれば、日本人であれば日本語教えられると言うことで増えた時期なんですが、それがぐっとしぼんでいった時期で、東京語文学院も終わりかなあと思ってました。

★再び上海外語大学へ

 上海外語で機会があったらまた来て下さいと言うことで、上海外語大学の同僚だった若い先生に手紙を書いたら、ぜひ来てほしいと言うことで、少し子育ても手が離れましたので、娘も大学に入ったので、息子が留学したときは、私が見たので、今度はお父さんが娘のめんどうを見てくれと言うことで、私一人で行くことになりました。単身で3年間、上海外国語大学に行きました。大学の付属の国家派遣の留学生のトレーニングクラスという所でした。日語科というのは、日本語科と言うことです。ロシア語は、ロ語、フランス語はフ語と言うんですね。5学部ありました。その中の日本語科です。週に20時間、毎日午前中教えておりました。今は、20万人くらい日本人が行っておりますが、私が行っていた95年頃は、2万人くらいでした。午前中終わると、午後は専門学校お願いしますと、夜になると東京三菱の中国人のスタッフに日本語教えてほしいと、朝昼晩でした。単身でホテル住まいですから、それが出来ましたね。その間、習字を習ったり、中国語を勉強したりしてきました。一応3年という契約でしたので、年令も年令でした。計算していただくと、61才でしたから、定年だと思っていました。

★再び東京語文学院へ

 帰ってきましたら、東京語文学院の同僚からやめる人がいるから手伝ってと言われ、またそこで復職することになりました。前と同じ条件で働いております。
 では、東京語文学院てどんな学院なんですかと言うことです。1986年に出来た学院です。校長先生は、ご夫婦で日本に留学した方です。筑波大の博士をとった方です。専修大学で中国語を教える傍ら、校長やっています。ご主人の方は、アジア商事という商事会社をやっています。森ビルに住んでいて、今そのご子息が事務長やっています。160人くらいの定員です。今自社ビルになりましたが、前はレンタルでやっていました。良く続いているなあと見ています。留学生というのと聴講生というのがあります。45名プラス11名という学生に対して、教員が23名、教務が3名、事務室が5名です。1日4コマあって、週5日制です。1クラス3~4名で担当しています。今は大学や大学院への進学塾みたいな位置づけです。各種学校というライセンスは取れない状況ですね。管轄が文科省ではなく、法務省なんですね。ですから、留学生は、ビザをとって、滞在して大学に行くようになります。ですから、進学塾といった方がいいかも知れません。1年間のカリキュラムを見ると、どういう1年間を送るのかと言うことが、おわかりになると思います。今は、大企業のように9連休になっています。その間に宿題を出して、怠けないようにさせています。夏休みまるまる1ヶ月以上あるんですが、短期生を募集して、1週間とか2週間集中して、日本語の授業をすることになります。そういうツアーを組んで来るんです。私も以前は、青少年のセンターで日本語教えたり、午後はディズニーランドに行くとか、和服体験とかします。ここに在学している学生は、お休みになります。学生の中には、宿題こんな少なくていいんですかと、中国や韓国の学生は聞きに来る生徒もいます。

★日本語を学ぶ人たちはどんな人たちなのか!

 言語経済力と言うものがありますが、1970年代は、1位は英語圏、2位はロシア、3位日本でした。その前は、4位でした。ドイツを抜いた。私が95年に行ったときは、日本語クラスが4クラスでした。その後10年後に行きましたら、日本語クラスは、4クラスから2クラスに減り、その分ドイツ語学科になったと言ってました。なぜかというと、学費がただだからです。それだけ言語経済力では高いのに、国連では日本語が公用語になっていません。ドイツ語もそうですね。中国の日本語学習人口は、人口比で第1位です。中国の中央放送局(日本のNHKに当たる)で、日本語のテキストが80万部売れています。言語経済力というのは、その言語が使用される地域のGNPのパーセンテージから割り出しているそうです。日本語を教える教師になるには、資格を取らなければ出来ません。「日本語概説」というもので、私も学習して、資格を取りました。
 自国にも、日本語を学ぶ機関はたくさんありますが、日本の先進技術を学びたいというのがあります。それが、中国の近代化政策に寄与してるんだと思います。1986年には、日本で1日分の給料が、中国の1ヶ月の給料分でした。その頃は、出稼ぎで稼ごうという人が来ていた。かっては就学ビザが隠れ蓑になって、出稼ぎで働いている人もいました。確かに、私も40才くらいのおじさんやおばさんに日本語を教えました。学校に来て寝ているわけです。朝からスーパーで働いていたり、オールナイトの居酒屋の皿洗いやってたりしているからですね。それでも、日本は、80年から90年代は良かったです。
 最近は、学生も皿洗いだけではいやと、アルバイトもなかなか探せない状況になってきています。学生の寮もあるし、稼いだお金で、ライオンズマンション1年契約しましたなんて学生も出てきました。ニーズは、確かに多様化してきています。日本の進んだ文化を学びたいという人、中国で結婚して日本に来た人、残留孤児の家族、ビジネスマンなどです。私の担当の学生たちの実態です。結婚して、その親と子どもの2代付き合っている家族、残留孤児の家族は当然年令が高いですから、その連れ合いさんとお孫さんといました。この写真の子どもは、中学高校から付き合い、今は大学生です。先生、草津温泉行こうなどと誘われます。旦那さんをおいて、お母さんと一緒に行ったりしました。この方は残留孤児で、YWCAで日本語を学び、宿題が出て、それを見てくれと頼まれたりしました。実は、この方のお孫さんをプライベイトで高校に入れるために教えていました。この60才過ぎた残留孤児への宿題の日本語指導は、大変でした。40代の人も教えているが、20代の人、若ければ若いほど言語は、早ければ早いほど良いです。本間先生の方が先輩なんですが、私も20代の時に、東大の倉石先生の夜間クラスで学びました。中国語の辞書を作ったりしていた方です。先ほどの残留孤児の方は、生活保護をもらっている方です。自立をしていかなければならないのですが、生活保護を打ち切られたらどうしようかと。その方の娘さんと息子さんが、それぞれ40代くらいです。一家で都営住宅に住んでいます。この2人の方を見ながら、その子どもたちの進学問題もめんどう見るというようなことでした。
 IT企業などに勤めているビジネスマンなどが来るんですが、レベルアップしないと給料などのこともあるので、学びに来ます。朝同じ電車に乗り合わせるので、1時間くらい電車の吊革などにつかまりながら教えたりしたこともありました。本当に中国の人は根性があります。それで1級合格しました。その人の娘が保育園に入るときには、通訳もどきをやらされたりしました。そんなふうに語学だけでなく、丸ごとその家を見ていかなければなりません。

★どういう学習をプランニングしているか

 これが10年間くらい使われている、ナンバーワンのテキストです。このテキストは、半年間で、800時間を終えます。初級レベルが終わります。その後、学内のスピーチコンテストなどを開いて、「私はこんなに日本語がうまくなりましたよ。」となります。そのためには、スピーチ原稿を作らなければならないし、読む・書く・聞く・話すと言うのが出来なければなりません。初級が終わると、そういうアクティビティがあります。それが終わると、中級のテキストがあります。基礎編と完成編というのがあります。これも6ヶ月で終えます。これがメインテキストなんです。その他に、聞く教材・会話教材・書く教材というのがあります。語彙・文法・漢字などを教えていきます。全部このように、入門期は元のテキストから引っ張り出してきて、手作りなんですね。中級になったら、日本語で日本語を教えていくんです。でも最初は、日本語もよくわからないから、中国語で説明したりしていくんですね。1年で中級課程を終えて、最大2年の修業過程なんです。留学ビザが2年ですから。1年や6ヶ月で、大学院に入る生徒もいます。中級になると、生教材で新聞や雑誌のコピーをとって使ったりしています。中国で教えているときは、生教材がなくて困りました。だから領事館などに行き、こんなものをいただいたりして使いました。今は、教材が豊かにあって助かっております。本間先生も何かあったら、アドバイスして下さいね。

★日本語で、日本語を教えるってどうやるのか

 最初は、名札を作っておいて、私は本間です。あなたは○○さんですね。とやっていきます。かなりテストなどというものも、頻繁にやっていきます。あんまりテストに対する違和感はありません。上海にいるときも、会話から入りました。私が教えた生徒と10年後に会いましょうと言って約束し、実際会ってきましたが、地下鉄も1号線だけだったのが、10号線まで増えていたり、町がオリンピックで見違えるほどきれいになっていました。翻訳法や文法などは、中国の先生が、中国語混じりで、日本語の文法を本格的に教えていきます。私達は、もっぱら会話を中心にして教えていきます。校長先生が台湾出身の方で、親戚が大陸の方にもいるので、中国の方がほとんどです。現地に行き、実際に募集をして連れてきます。だからかなり優秀な学生が入ってきています。以前のような高齢の出稼ぎのような人たちは少なくなりました。中国で仕事を辞めて、日本の技術を学ぶために来たり、親がかりの恵まれた子どももいます。漢字圏だから、漢字使えるから楽でしょうという人がいますが、簡体字という難しい漢字もあります。日本語教えるのに、ひらがな・カタカナ・漢字・数字と読み方も大変でした。本間先生と一緒に教材研究するんです、本当に大変でした。日本に帰ってきてからは、本間先生は、一緒に行った日本書籍の成尾正治さんと教科書も作っていましたから、さらに忙しくて大変でした。日本語の発音は、むずかしくないと言っていました。敬語・助詞・漢字が難しいと言ってました。生徒は大人達ですから、言葉だけを教えるのでなく、生きた日本語を教えたいのです。だから、夏休みの短期の学生でも、我が家に呼んで、日本の料理を一諸に作ったり、うちの近くの公園に連れて行ったりしています。帰りは、自分で切符を買って帰りなさいねと生きた日本語を教えます。あとで見ていただきますが、先生の家に行って楽しかったというような感想の文も出てきます。

★最近の学生事情

 今、留学生を受け入れるというのは大変です。30万人受け入れると大風呂敷で言ったのは、中曽根首相の時代です。今現在は、14万人くらいが来ているそうです。韓国も中国もそうなんですが、私が行く学校は、有名大学ですかと尋ねます。みんな歴史のある、良い学校ですよと説明します。早稲田が人気があり、3393人留学生が来ています。それがすべて中国人ではありませんが。うちの娘は、多摩美術大学だったんですが、中国人は一人もいなく韓国人ばかりと言ってました。日本経済大学は、留学生のうち90%が中国人だそうです。専門学校などに行った子どもは、中国人ばかりで、日本語の勉強にはならないとぼやいていました。学費ですが、聴講生で5万円です。半期で70万円かかります。中国と日本の経済格差は、まだありますから、大変だと思います。政府の補助は、全くありません。物価も高いと言っています。
アルバイトも、1円でも高いところを探しています。卒業するとき旅行へ行こうと言って、お台場にゆりかもめで行くとき初めて乗りましたという学生がいました。韓国の学生も、アルバイト先と学校と自宅の三角形きり歩いてないと喜んでいました。それにしても、2年間だけでは、なかなか覚えられない子も多いです。夜アルバイトがない子には、ボランティアの輪も広がってきています。公民館などで、高学歴の主婦などが教えてくれたりしています。そういう所で、かなり上達している子もいます。将来的には、日本に残る人と中国に帰る人とに分かれます。帰国できる子は良いのですが、日本で働く場所を探す人もいます。

★卒業後のその後と中国人の気質

 「ニトリ」などと言うところに就職したという子もいました。ああいう所は、かなり安売りを売りにしているので、給料は安く働かされているんではないかと気になっています。卒業してからも報告しに来ている子を見ていると、まあ何とかやっているらしいです。前は、何学部に行きたいのかというと、経済学部というのが大半です。最近は、東京工芸大学のアニメ専門の大学院に行きたいとかね。国際学部で、将来は日本語の教師になりたいという人もいます。中国の事情を反映しています。受け入れる私達も、胸襟を開いて接していくと、外国人も日本人も同じようなことを考えているんだなあと、考えられるところがたくさんあります。
 中国人は、私が付き合っている人は、厳しいという見方もあるんですが、個人主義的な人が多いです。私が中国で初めて中国語を習った先生のご子息やお嬢さん、かっては保証人制度というのがありました。その先生が桜美林大学に交換教授でいらしたときに、色々お話をしました。50代、60代以上の年配の人を敬う思想が今でも残っています。「先日は、大変ごちそうになりました。」という挨拶をすると、催促していると解釈されるそうです。あと皆さんも中国に行かれているからよくご存知だと思いますが、本間先生の教え子で沈才元(ちんさいげん)さんは、南京の中日友好会館の館長さんをしていますが、この方は私達が初めて中国の上海外国語学院に行ったときに、2年生の学生さんでした。私は、1年生を教え、本間さんは2年生を教えていました。私が教えた子ども達は、1年生だったから、どうなったかわかりませんが、彼の教え子は、今現在、地方の役人などで活躍しています。今、日本の中国大使の程永華(ていえいか)さんは、彼の教え子です。その他、教え子さんが日本に来ると、「本間先生お元気ですか。」と必ず電話をかけてきます。そのように今も付き合っております。日本で教えた子も、10年後会いましょうなどと言うと、ちゃんと覚えていてお話ししてくれます。だから中国人は、ちょっと厳しいと見えますが、きちんと付き合っていくと、どこの国の人も同じように付き合えます。ベトナムの人、韓国の人どこの人も同じだなと言うのが実感です。今3月まで教えていた子どもが、「先生ヤバイ言葉教えて?」「エロイ言葉教えて?」などと聞いてきます。(笑い。)中級クラスになると、そんなことまで聞いてきます。初級クラスのかわいい子ども達を教えている方が、楽しくてね。

★中国の漢字と日本の漢字の違い

 今新聞を回していますが、これは台湾の人も読めます。中国は、文盲を減らそうと言うので、最初に国語審議会みたいなものが動き出して、漢字の画数を減らそうとなりました。台湾で使っているような漢字だと、読めないし書けないので、どんどん簡略化していきます。これが上海外語学院時代に教えたときの卒業文集です。漢字も日本の漢字と全く違うものが多いです。勉強の強は、ムでなく口です。結婚したての妻のことを「老婆」といいます。日本の「汽車」は、「火車」なんですね。「汽車」というのは、中国では、自動車のことです。言(ごん)偏は、2画に簡略化されています。「手紙」などと聞くと、学生は、顔を曇らせます。今で言うとティッシュペーパーのことです。女の子などに手紙書きますかというと、顔が赤くなります。当時の生理用品のことですから。高校は、大学のことです。初級中学が中学で、高級中学が高校なんです。それで、同じキャンパスですね。省略して、初中、高中と言ってます。小学校は、文革をくぐってきた子は、5年で卒業させていました。今は、ちゃんと6年間です。経理は、社長という意味です。経の糸偏の下は、横斜め上一画です。残念は、右の横棒が1本なく2本です。決定のさんずいが、にすいです。電器は、電の雨冠がないです。
 語文というのが、中国語では、国語です。これは、私が中国語で書いた古い作文です。「先生」のことは「老師」と言いますが、若い先生もそう言います。それから、私が若いときに病気かなにかになったときに、生徒が色紙を寄せ書きで書いてくれました。私が教えた学生でも、福建省で数学が一番になり、一橋大の奨学生になって、今までアルバイトしていたけど、アルバイトをしないで、奨学金だけで食べていけるという学生もいましたね。この日産自動車に勤めているこの人は、両親から訪日を強く勧められて、1994年に来日しました。すぐに経済的自立を求められ、新宿のラーメン店や和食店で調理や皿洗いをしながら、日本語学校に通いました。日本に来て、18年。お父さんが日本の暮らしをしていたようです。実は、私が日本に来てアルバイトを申し込んだら、中国人であると言うだけで断られました、と言ってました。今の方は、みんな大人に見えます。
 まあ、雑ぱくなお話だったですが、何か質問などがありましたら、お願いします。
日本語教育学会というのがあるんですね、偉い先生ばっかりですけど、講習は受けましたけど、2万円払って、論文書かないと会員になれないので辞めました。これを受けて、上越国際大学に行ったり、私の知り合いでは、学習院などにも行ってます。他の大学でも、日本語科が増えてきています。以上です。(ここで一同拍手、パチパチパチ!)
■討論 本間=本間英美子さんのこと。 ・印は、会員の発言。
・  月謝の高いことは驚きですね。
本間 経済格差10倍ありますからね。お金持ちでないと、来れません。その高いお金を貯めてくる人もいます。
・  今から25,6年前に三省堂から出た例の簡体字について、と言う座談会があり、また元に戻そうという動きもあると書いてありました。
本間 一時的には、ローマ字化しようという動きもありました。だから、アクセントをローマ字にして、覚えさせました。アクセント記号も日本より、厳しい。今は、元に戻って、漢字でやっていこうとなっている。中国語の、ピンインのこと。いわゆる国際的になりつつある。日本がこのまま漢字をやっていたら、ダメになるという人もいますね。
本間 今、ピンインと言われたのは、ローマ字表記のことです。こういう中国語の新聞は、以前は有料だったんですけど、この頃は無料で配っています。
・  池袋の駅などで無料で配ってますね。
・  日本もある意味では、簡体字にしたんですよね。
・  70年代の学生運動の「立て看」でずいぶん使われていた。
・  戦後、戦前の画数の多い漢字がずいぶん簡単になってね。
・  白川静の漢字語源ばかりやっていたら、それこそ中国人より日本人の方が詳しくなるかも知れない。
本間 漢字じゃなくて、国字(日本で作られた漢字)というのもある。滑るなどという漢字は、中国にはない。国というのも色々あったみたいで、これも逆輸入みたいですよ。元々は、國だったけど、国になったと。幹部というのは、中国も日本も同じ意味、発音はちがうけど。これなんかも、日本からの逆輸入です。
・  日本の国字はいささか邪魔になるときもある。例えば、上下だとか峠だとかね。
・  しまいには、カラオケ(空桶)何というのも出てきている。ホットドッグは、暖犬(暖かい犬?)(笑い!)
本間 中国では、犬を食べます。犬は、天狗の狗と書きます。狗鍋ありますとある。冬は、狗鍋がありますね。ほんとに同じ漢字圏でも、ずいぶん違いますね。
・  戦争中代用教員して、赤い犬はおいしいと言ってましたね。あぶくがずいぶん出ると言ってましたね。
本間 馬の肉もあぶくが出ますね。
・  韓国でワールドカップがあったときに、犬の肉がいやがられたでしょ。
・  東南アジアって、犬の肉は結構食べてますね。
本間 中国は、結構なんでも食べてますね。ヘビなんかも食べてますね。蛙なんかも食べてます。前、ヘビの唐揚げなんかごちそうになったが、おいしかった。
・  語文学校の卒業文集を読ませてもらったけど、2年間でかなりの上達をしている。かなり優秀な生徒だと言うことがわかる。学習意欲のある生徒。教え方にも、何かポイントがあるのかなってね。
本間 私達が中国に最初に言った頃は、ロシア語が第1外国語であった。
・  それが中ソ論争で、フルシチョフと毛沢東が決裂して、みんな技術者がソ連に帰ってしまった。それで、ロシア語に変わって、日本語になった。
・  イ・ヨンスク(韓国の大学)が、一橋大学で博士号をとって書いた本ですね。
・ 日本人が劣等感持つくらい「日本語」について詳しく調べていますね。
本間 国語という言葉が登場したのは、この資料によると明治27 (1895)年日清戦争が始まった年と書いてあります。提唱した言語学者が、上田万年という人になってます。その6年後に小学校令試行規則が改正されて、読書・習字・作文(綴方)を一括して、国語科が出来たとなってます。
・  井上ひさしが書いた「国語元年」という本に出ていますが、薩摩から陸奥の人が集まって話をしても全然通じなかった。「富国強兵」のために統一的なものになったんでしょ。ドイツから帰ってきた上田が、みんなに通じる言葉として国語というものを登場させた。それまでは、薩摩弁だとかそういうことですよね。
・  国分先生が、軍隊に集まってきても、方言で言葉が通じなく困ったので、士気が高まらなく困り、言葉を統一したと言ってましたね。
本間 戦前の満州などを占領した大東亜共栄圏の時には、国語でなく日本語の普及が図られたとなってます。安易に日本語学会と解消すると、そういった歴史的事実が曖昧になると書いています。国際交流センターの日本語を学ぶ外国人は、1998年時点で、114カ国地域で210万人という統計があります。
・  中国だって同じでしょ。北京語。広東語などね。
本間 普通語と今中国では、標準語が出来ています。
・  国分一太郎は、中国広東で少女に教わったから、女性語だと言われていますね。
本間 だから解放後言語を重視して、国語を重視して簡体字にして文盲をなくしていこうとしたんですね。でも、日本と比べたら同じ義務教育と言っても、学費がかなりかかるから、なかなか達成は出来ない。村などは、通うのが大変だから寮に子どもを入れる。そうすると、食事代も金がかかる。学校に近い子は、昼は、家に帰って食事をとっている。その後、また学校に行く。
・  識字などという言葉は、被差別部落と言う言葉を知って、覚えた。
本間 本間先生は、国連の識字年の年に、公民館で識字学級というのを開いて始めています。韓国のおばちゃんとかね。中国では、各民族の言葉はあるが、標準語を学ぶ。私の教え子で中学生から教えている上海出身の子は、今は大学生になっていますが、親とは上海語でコミュニケーションしている。その子は、私とは、標準語でしゃべるようにしている。だから上海の子に、広東の子とコミュニケーションできるのかと見ていたら全然でしたね。お互いに外国語でしたよ。大きくは、北京語と上海語と広東語があり、その他に川を隔てて、たくさんの言葉があります。方言があり、少数民族の言葉があります。96%が漢民族です。だからウイグル、チベットなどの少数民族が差別されて事件が起きている。漢族が政治的に中枢を握っているから、そこでトラブルが起きている。少数民族の文化まで、押さえ込もうとしているところでトラブルが起きている。
・  満州族なども差別されていますよね。
本間 満州族は、第2外国語として日本語を学んでいますが、中国の北の方は日本語がかなり普及しています。アニメなど、日本の漫画などは、かなり普及しています。ドラエモンや一休さんのテレビなどもやっていました。ドラエモンは、古本で町に広がっています。
・  お酒のイサミの商標登録で話題になってますね。クレヨンしんちゃんもね。
・  明治時代に日本がやったんですよね。
・  この前中国に行ってきたんですが、公務員が威張っています ね。天安前広場でおばちゃんがキャンデー売っていたんですが、その箱を警察官が蹴飛ばしていましたね。そのおばちゃんは、憤懣やるかたない顔をしてましたがね。
本間 ただ、私が経験した中で、店の人にこれ見せてと言ったら、店員がその品ものを投げてきたことがありました。何かそういう習慣があるみたいですね。それから、隣の売り場のものを買いたいと思って、頼むと今この人食事だから後に来てと言われたことがあった。そういう所は、本当に個人主義ですよ。
 バスなんか乗るときに、ものすごい数でしょ。譲り合っていたら乗り遅れちゃうからね。戦後の日本の買い出し風景と似てますね。
本間 行列でも1列に並んでいれば、ちゃんと入れるのに、一度のわっと入り込んできて、かえって時間がかかっているときがある。本当は、礼の国なのにね。
・  作文を読んでいて、日本賛美がたくさんあるのでびっくりしたた。
本間 馬の耳に念仏という言葉があるが、中国では、牛に琴を聞かせるという。
・  中国のデパートに行ったときの出来事だけど、店員がエスカレーターの下で唾を吐いているのを見たことがあります。それはいただけなかったね。 
・  そうは言うけど、アメリカの大リーグの選手はどこだって唾を吐いてますね。絶対日本人は、あれはやらないもんね。
・  たばこを吸っている人は、ちょっとやりたくなるんですね。
本間 中国の家に招かれたとき、最初に灰皿を勧めます。それが礼儀なんだそうです。
・  中国では、たばこなどは高級品ですから、喜ぶものをそうやってすすめるんでしょうね。。
・  本間さんを団長にして、中国に行ったとき、向こうの教え子さんが大歓迎してくれた。本間さんもなにかしゃべったら。
繁輝 中国に置いてきた。
本間 中国では、こういう言い方をします。例えば、あれ知っているかとか、なんて読めるかなどと聞かれると、たくさん勉強したけど、全部先生に返してきましたと言います。
・  忘れちゃったというのを、かっこよく言ってるんでしょうね。
本間 勉強というのは、中国では、強いるという意味があるので、学習と言っています。
・  戦後すぐには、勉強というのは、学習という言葉を使った。教室も学習室と呼ぼうという時期があった。
・  今は、教材と言わずに学習材というようになってきている。
・  榎本さんが教えた中国の子ども達の文章は、見事でしたね。
・  あれは、低学年の子ほど早く会話から覚えて、すぐに覚えていた。高学年になるほど、苦労していた。
・  帰国子女の中国の子どもを担任して、家庭訪問して、夕飯ごちそうになって、一番上のお姉ちゃんが日本語しゃべれた。食事をちそうするのが歓迎の仕方だと聞いていたので、ごちそうになった。そのうち子ども達がいなくなり、日本語のしゃべれない両親と身振り手振りで通じるものなんですね。
・  筆談で通じるものなんですね。漢字だから、ある程度通じる漢字もある。
・  卒業文集は、2年間だからある程度、やや長い間のことをまとめて書いていく。ぼくらの言っている学習の過程で、「ある日あるときの1回限りのことを書かせる」ことが、ものやことに寄り添わせることで大切なことだと感じる。やはり、一度の出来事にしっかり書きとめる作業が何度か続いて、やや長い出来事に移行しているのかなと感じた。
本間 やはり最初は、絵を見て書かせたり、今日の出来事を書いてみようといったりしてやらせる。祖国の言葉をきちんと身につけている子どもは、ものやことにしっかり身につけているので、日本語を覚えるのも早い。
・  だから、フィリピンや、タイなどからきた子が、母語 身につけずに日本語を身につけようとすると、筋道つけて考えることが身につかないまま言葉だけを覚える。日本でも、英語を重視して、どんどん入ってきているが、日本語がしっかり身につかないうちに学ぶと言うことは、大変危険である。どちらも身につかない。
本間 大学院生などに2年間では入れるような学生は、中国語もしっかり身に付けている。そういう学生は、日本語を学ぶ意欲も姿勢も積極的で早い。
・  考える体系というと言うものができあがっているかどうかと言うことが大切である。
・   昔中国の子どもを担任したときに、中国語の特徴を聞いたときに、中国語は、濁る言葉がないと言ったことを印象的に残っている。
本間 中国語は、1声、2声、3声、4声とアクセントが強いんですね。中国の人の声は甲高いですね。だから聞き取りやすい。かなりの年配の人だって、京劇などの俳優さんの声は、高い声です。それと、初めて日本に来た人の中国人の印象は、日本はきれいだ。親切だと言ってます。中国で、バス旅行を学生としたときに、窓からゴミなどを捨てちゃうんですね。良くしたもので、そういうゴミをきれいにする人もいるんですね。
・  あまり外国旅行に行ってないけど、イギリスでもフランスでもサイパンなどいくと、街の中は、ゴミだらけですよ。
・  オーストラリアを旅行したときに、学校を訪問したときにゴミがたくさんあったけど、どうして掃除を子ども達にさせないんですかと聞いたら、掃除をする人の仕事を奪ってしまうからですと言っていた。
本間 中国に旅行して食事などして気がつきませんでしたか。残しても良いくらいのものが盛り合わせで来る。だから、残して良いと言うくらいが、もてなしなんですね。最近は、持ち帰り用のパックなどを用意してくれています。私などは、さんざん持ち帰りようで食事をすますこともあった。
・  日本でも、無着成恭が現場にいた頃、机のわきにノートが備え付けられていた。それを、踏んづけて歩くような生徒がいた。それを注意したら、その生徒が、これをまた作る人がいるからお金になるでしょうと言った。つまり、ものを大事にすると、労働がなくなると賃金もなくなると言ったという子どもの話をね、そんな子どもいるわけないけどね。(笑い。)そういうことが、教室の話題としてあったと言うことですね。
・  別の話ですが、小学校1年生の文字指導は、最初どうなっているのですか?
本間 ローマ字で発音を覚えるます。ピンインですね。つまり、漢字が読めないので、発音の仕方を覚えるためにですね。
・  たしか中国の子ども達の絵本は、漢字でなくローマ字で書いてありましたね。だからあれを買ってきて、日本の子ども達に読み与えても良いなと思いましたね。
本間 だから、大人でも最初中国語を学ぶときには、漢字の下にローマ字が書いてあります。要するに 振り仮名みたいなもので書いてあります。それにアクセント記号がついている。「マ」の発音の仕方でも、4声と言って4つの発音の仕方があり、それによって全く意味が違います。タイ語の発音もそうですね。
・  わたしも若い頃、タイの日本人学校へどうですかと誘われたことがあったけど、そういう発音ならむずかしいですね。
本間 イランの学生を教えたことがありました。アラビア語は、書き方が逆ですからね。中国も日本と漢字の筆順違うんですけど、うるさく言わない。でも、箱根の箱の竹冠などが、こんな字になってしまうと、なんていう字かわかりませんね。
・  だから中国人は、小さい頃から脳細胞を活性化させているから、頭が良くなるわけですよ。
・  私も現場にいたときに、最後は中国の子ども達がたくさん来ていた学校でした。その時に中国の親が担任教師や校長の所に来て、日本の学校は全然勉強していません。宿題もありません。中国では、8時間くらい授業して、暗くなって帰って来ていました。その後宿題もあって、大変でした。これからどうなるのでしょうかと不安がっている親が結構いましたね。
・  中国だけじゃないんじゃない。韓国だってすごいやってます よ。
・  韓国から日本に来た子で、クラスではトップだったけど、韓国に帰ると、中の下なんだった。だから日本のクラスでトップクラスにいても、塾に行って勉強してましたね。
・  もう経済でも日本は、どんどんやられてますね。スマホで韓国のサムスンに完全に負けましたね。いやあ、勉強するって良いことだね。でも、経済状態が変わると、また変わるでしょうね。だから、東日本のあの震災が起きても、日本人は冷静だったといろんな所で書かれていた。高村薫などが評論している中で、もっともっと暴動が起きてもいいんじゃないかと書いてますね。特に今の政府のやり方については、そんなこと言ってますね。
・  そうなると、今は、韓国、ベトナム、中国などに追い抜かれつつある。今度は、韓国、ベトナムを追い抜けとなるんでしょうね。そうなると、教育から変わるんでしょうね。
・  でも、ゆとり教育は、そう簡単にはなくならないんじゃない か。
・  しかし、土曜授業が月1で始まってきている。
・  でも、一度ぬるま湯に入ってしまうと、そう簡単には戻れないね。
本間 中国では、外国人の観光客向けの切符と中国人の切符が違うんですね。魯迅公園に行ったときそうでした。
・  万里の長城も外国の観光客は入れるが、一般の中国人は、入れないところがあると言ってましたね。
本間 中国の年配の人は、しゃべらなくても日本人というのがわかるみたいですね。今日持ってきた資料はどうぞ色々持って行って下さい。
・  今日は来て、大変良かったです。
・  日本語と国語の違いがあるんだなあとよくわかりました。3月の下旬に中国から来ている子がいる。新卒3年目の人が見てますが、子どもはのびのびやっている。
・  いやあ、終わったところで、日本語科などと言ってたら、石原慎太郎に首切られるよ。(笑い。)実際に関西の方で、日教組の集会でそういう報告がありましたからね。カリキュラムの中に日本語科というものがないからね。時間割の中に「日本語科」と入れただけで、戒告かなんかの処分をされてます。
 ぼくも若い頃、国語の時間割の中に日本語と入れたら、校長に指導されたからね。これは、教育過程にありませんよと指導された。文字の本の「にっぽんご」でやってましたよね。
・  私は、日本語科には反対なんです。世田谷では「日本語科」という本がある。
・  1年生で漢文を習わせたりね。
・  教科書と全然違うんですよね。「雨にもまけず」が入ったり ね、山村暮鳥のものが入ったりね、指導要領の古典を入れるというものを低学年に持ってきたんですよ。1年、2年に世田谷版の副読本を持ってきたんですよ。
・  友達なんかびっくりしちゃっているんですよね。何で1年生の6月に漢文をやらなくてはいけないのかとね。
・  誰が教えるかというと、時間数の少ない音楽の教師が教えるとなっている学校もある。
・  1年生で漢文の絶句をやるんですって。だからみんな絶句したそうです。(笑い。)
・  ただ訳もなく暗誦してれば良いんですよ。
・  テレビの教育番組がいち早くそういうものを取り入れてるんですよね。でも墨田区は、いち早く日本語と言ってるんですよね。
・  ええ?
・  榎本さんだよ。組合のホームページに載っているじゃない。
・  だから時間割には書かないで、黙って日本語をやっていれば良いんですよ。
 今回も、充実した会でした。13人の人が、様々な角度から語り合いました。
 本間英美子さん、また機会があったら、別の角度から今回のように切り込んで下さ い。報告せずにはいられなくなったことは、日々の我々会員の提案がよかったとい うことでもあります。(これを自画自賛と言います!)パチパチパチ

例会のご案内

5月例会 6月2日(土)午後1時より 乙部邸
◇提案 日色 章「先輩教師の実践に学ぶ」
◇講義  とつおいつ49 乙部 武志
◇司会 早川 恒敬  記録 工藤 哲
 6月例会は、6/30(土)か7/7(土)のどちらかに決める。お願い前回日色さんに緑色の封筒入りで資料をいただきました。その中の、武田和夫(我が会の会員だった方)さんの第43次千葉県教育研究集会の資料をご持参下さい。

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