子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

綴方理論研究会 12月例会の報告と1月例会のご案内(2017年)

綴方理論研究会 12月例会の報告と1月例会のご案内(2017年)

◆講義・「とつおいつ87」(乙部武志さん)
(1)最初に紹介があったのは、東根市を会場に開かれた、日本作文の会の第11回作文教育研究大会の話。この頃の大会の資料が大事に保管されていて、それをもとに、どのような大会だったのか話がありました。東京からは、30名ほどが参加。参加者名簿によれば、「埼玉県」に桐山久吉さんの名前。もちろん東京には、乙部先生の名前も。(2)「啄木」について書かなかったことが悔やまれてならないという国分一太郎のつぶやき。国分一太郎と啄木がどのような関係にあったのか、追究しなければならないことがたくさん残っている。山田亨二郎さんが巣鴨での研究会でいくつか資料を残していった。そういった資料を見ていたら、国分一太郎が啄木に毒されたみたいとでもいうか、啄木が念頭にあったのだなということが本当によく分かった。(3)『綴方指導読本』の紹介。表紙のローマ字表記に、啄木が表れている。「昭和11.9.長瀞小学校綴方研究部編」となっているが、国分一太郎の作成したもの。あるいは東海林隆さんが手伝っているかもしれない。裏は、「第11回作文教育研究会 会場 山形県東根市の 記念として」となっている。山形の先生たちが、この日の記念に復刻したものだろう(写真を入れておきますので、ご覧ください)。(4)『石をもて追われるごとく』(国分一太郎編)の編集後記として、「この40年、あとがきにかえて」という国分一太郎の文章が載っている。読んでいくと、国分一太郎が「悔しくて、悔しくて」と口でつぶやいていただけでなく、「この40年、あとがきにかえて」の中にそのことが書かれていることに気がついた。砂田周蔵によって書かせられた、たくさんの調書の原本。戦後になって、研究のためにということで借りていった相手が紛失してしまったということ。よっぽど悔しかったことだと思う。『小学教師たちの有罪』に自分の本当の調書を載せたかったに違いない。(5)『石をもて追われるごとく』という表題。これは、石川啄木の歌の一部。いかに啄木に傾倒していたかが分かる。(6)恵まれた教師生活を送ることができた(時代がそういう時代だった)として、いくつか紹介がありました。①執筆を任されて2冊、出版物を出すことができたこと。②国土社の社長からの依頼で、国分一太郎、寒川道夫、倉沢栄吉等の監修(?)によって出されていた月刊雑誌『国語の教育』。これのNo.52号。詩に関する座談会で司会という大役を任せられたという話。③知りませんでした!「お母さんの勉強室」というNHKのテレビ番組に出ていらっしゃったとのこと。その放送台本なども見せていただきました。(6)東根市のあすなろ書店の店主、村田民雄さんの著書『書業無情』の「家系訪問」の話。面白い本。改めてじっくり読んでいきたい。
◆報告:国分一太郎・学芸大学第6回講義後半「生活綴り方教育に対する文部省の弾圧
―生活主義運動に対する文部省の弾圧―について(田中 定幸さん) 
 1943年(昭和18年)8月発行の司法省刑事局発行の『生活主義教育運動について』。
同年9月発行の文部省教学局の『生活主義教育運動の概観』。この二つの極秘文書は、タイアップしながら、生活綴方教育にたずさわる教師たち(学者・研究者)への弾圧(司法弾圧、行政処分の弾圧)のためのバイブルのようにして使われていく(使われてきた)、そのへんの事情がよく分かりました。国分一太郎の指導した文集「もんぺの弟」や「生活勉強・綴方教室進行過程」まで資料として出てくる。1940年(昭和15年)の山形から始まった弾圧の資料や北海道の綴方連盟事件に関わる資料、その他、多くの地域で実践された綴方作品なども、「反国家的な教育思想」に基づくものとして収められているようです。
 第6回講義では、国分一太郎は『生活主義教育運動の概観』をもとに、この文書がどういった内容のものなのか、目次にそって丁寧に説明を続けています。説明されている中身を見ていくと、この頃の生活綴方教育に関して、実に周到に権力側からの分析がなされていることに驚いてしまいます。分析の仕方が綿密というか、半端じゃない。それなら少しくらいまともな結論に行き着くのかというとそうはならず、《このような教育を行なうことは「コミンテルン及ビ日本共産党ノ目的遂行ノ為ニスル行為」であり、治安維持法違反で有罪である》となっていくのですから不思議でなりません。
 国分先生が触れられなかった部分、「生活主義綴方教育の内容 」という部分を田中さんが引用しているのですが、ここなど全くその通り。
《 以上のごときプロレタリア教育方法論として生活主義綴方教育の教育方法には次のような配慮がなされている。即ち、
第一、生産的労働運動場面に取材させる事である。……
第二、批判精神の啓培である。……
第三、意欲性ないし強靱な行動性の啓培である。……
第四、協働性の涵養である。……
第五、労働参加を強調し、これを奨励する事である。……
第六、レアリズムの手法にのっとり長文を綴らせる事である。……
第七、新課題主義の採用である。……
第八、児童の心理の発達段階に即した指導が為されること事である。…… 》
 このあたりの分析は精緻そのものといっていいように思うのですが、最後に出てくる結論は、結局、このような指導を採用しているのは、「階級闘争を遂行する上においても必要」であり、「共産主義社会においても必要な性格であるから」だ、となるのです(この強引さ、何か某政権の論理と酷似している?)。
 この文書の執筆者に関連して「伏見猛彌」(今で言う「御用学者」?)の名が出ていましたが、『小学教師たちの有罪』と比べながら読んでみてそうなのかなと思うのですが、この『生活主義教育運動の概観』がまとめられていく出発点のあたりで、「砂田周蔵」の関わりがあるようです。
田中さんが「国分一太郎年譜」を作ってきました。「国分の足跡」を縦軸をとしてしっかりとらえていく。それと一緒に、その時の「国分の実践・論文等」、「綴方教育界の動き」、「社会の動き 他」等を横軸として関連をとらえていくようにすると、問題のありかが分かりやすいのではないかとのことでした。また『小学教師たちの有罪』の話になってしまいますが、P231に、「治安維持法が公布された年、1925年は、わたくしが、師範学校令改正により、新規入学した年であり…」という記述があります。「国分の足跡」と「社会の動き 他」という観点でこのようなあたりも押さえてみると、やっぱり分かりやすいですね。自分たちで、このような年譜に、書きこみをして活用していくようにすれば、勉強しやすくなると思います。今回、添田直人さんの参加がありました。いらしていただいて早々で申しわけないのですけれど、お願いをして、1月例会では、豊田正子について語っていただくということになりました。楽しみです。(文責:工藤)

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