子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

綴方理論研究会 6月例会のご案内(2016年)

綴方理論研究会 6月例会のご案内(2016年)

と き 2016年6月18日(土) 午後1時より 

ところ  駒場住区センター
         目黒区駒場一丁目22番4号
         TEL:03-3469-2613

◇講義・乙部武志さん 
 とつおいつ 83
◆提案 東根の記念講演のための資料作りと、国民学校時代の若干について、田中さんから続きの話。 

◆提案者 田中 定幸さん

新しい人、大歓迎です。 


 カメラなど持参し、石川啄木関係の資料作りをするので、乙部さん資料の持参よろしく。
「とつおいつ」乙部さんの講義について
 前回、宮沢賢治について、中学生向けに国分さんは、本を書いた。その時に、その前に、啄木の方を賢治以上に研究したがっていた。と言う話をされた。その裏付けの資料となるものを、日色さんが見つけて、資料提供をされた。それによると、「作文と教育」1954年5月号に「啄木の日」という題で、国分さんは、明治45年4月13日に、27才の若さで亡くなった石川啄木を偲んで、「林中日記」と「林中書」を読んでいる。国分さんが、その1年1ヶ月前に誕生している。その文の1節を紹介する。「日本の教育者には、規定の時間内に規定の教材を教えれば、それで教育の能事了れりとして、更に他を省みぬ人がないであろうか。如何。」今から半世紀以上前に、啄木の文を引用しながら、現場の教師たちに、檄を飛ばしている。国分さんが亡くなり、32年目の今、現場はもっと嘆かわしいほどに変貌してしまった。今、ここで啄木の嘆きと国分さんの想いを再現し、教育現場に活を入れることは意義があることになる。乙部さんは、そのような気持で、米寿を迎え、東根の記念講演を引き受けてくれた。
◆国民学校と国語・綴り方教育」学芸大学での国分さんの集中講義のテープ起こしと開設。(田中定幸さん)
 国民学校令ができたのは、1941年の太平洋戦争開始の年である。その後、1946年3月まで続いた。年数にして、5年間の学制制度であるが、その時の受けた教育の実態が、意外と知られていない。GHQマッカーサーによって、軍国主義時代のものは、すべて否定され当局によって埋葬されたのであろう。しかし、過去の誤った資料を学んで、それを引き継いでいかないと、また同じ過ちを犯すことになる。国民学校時代に教師になられた乙部さんには、そのような意識は、当時それほど強く残っていないと話された。一方山中恒に代表される「少国民世代」は、この時代に受けた教育を徹底的に批判している。乙部さんは、その時代の当局からの貴重な資料を大事に保管されているので、次回も持参し、田中提案の補強をお願いしたい。

地図はここ!
(分からなくなった場合は、事務局:榎本 090-4920-7113へTELを)

◆駒場住区センターへの道順。
 まだ、2度目なので京王井の頭線・駒場東大前駅下車・出口は、渋谷から来ると、最後尾の出口。12時45分に集合。


地図はここ!
(分からなくなった場合は、事務局:榎本 090-4920-7113へTELを)


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