子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月27日(日)ビックリな話

1月27日(日)ビックリな話

ゾフルーザと言う薬

 今、インフルエンザが大流行中だ。私も、正月明けにA型のインフルエンザにかかり、大変な思いをするはずだったが、たった1錠の薬を飲んだおかげで、熱などはいっぺんに収まった話をした。その薬の名は、ゾフルーザと言う薬である。開発した会社は、塩野義製薬という会社である。

50年前の教え子

 そこの社長は、私が教師になって初めて勤めたときに担任した4年生の中にいた。私が23才で、彼等が9才である。今からちょうど50年前のことである。その子どもたちは、今年ちょうど60才になる。手代木功君という子どもである。昨年、私は出版した「作文名人への道3・4年」(本の泉社)を送った。何日かして、社長秘書の方から、その本の感想の手紙と、お礼の返事が届いた。その後、何日かして、彼から直接電話が来た。「先生、ご無沙汰しております。本ありがとうございました。今ちょうど会議が終わり、やっと先生に電話が出来ました。大変忙しくて、明日から、またアメリカに仕事で出かけなくてはならないのです。」そんな話をしてくれた。ぼくは、「お母さん元気かな?」というと、「実はもうかなり前になくなりました。」という返事であった。そのお母さんのことは、大変印象に残っているお母さんであったのだ。4年生の最後の懇談会が終わった後に、「先生、せっかく担任していただいたのに、来年は、転勤で、宮城県の仙台の方に戻ります。」と言う挨拶だった。お父さんが、東北電力の会社に勤めていたので、転勤が当たり前の職場らしい。

転校してからもしばらく交流

 たった1年間の担任だったが、印象に残っている親子である。ガリ勉型の生徒ではなかったが、頭がよくユニークな意見をよく発言していた。転校してからも、年賀状などのやりとりがしばらく続いた。最後は、彼が東京大学の理科2類に合格したことを知った。その時に、「ぼくの彼女が川口に住んでいるので、時々川口まで行くことがあります。たまには、会いましょう。」などと言う話をして、そのままになってしまった。
 昨年、何年ぶりかの同窓会が開かれたときに、幹事から、「手代木君と連絡を取り、直接電話してほしいという依頼を受けたので、今回電話をしたのだった。その時に、「社長を辞めたら出席します。今は、みんな断っているんです。ごめんなさい。」という返事だった。
 先週の木曜日の夜10時から。7チャンネルの「カンブリア宮殿」と言う1時間番組で、手代木君がずっと出ていたと言うことを、あとから知った。あとで、「ユーチューブ」で見られるので、その時にみてみようと考えた。「ユーチューブ」で調べてみたら、3年ほど前に「日本記者クラブ」で講演もしているので、それを見ていたら、凄腕の社長で、会社をどんどん改革しているという話を堂々としていた。それにしても、生まれて初めてインフルエンザにかかった。クラスが「学級閉鎖」になってもうつらず元気だった。インフルエンザになり、たった1錠の薬のおかげで、高熱におかされずにすんだ。その薬の開発をした会社の社長が、50年前の教え子とは、感謝感謝である。

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