子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

8号

はじける芽8号

秋をさがそう (援業例)

(1)あき
豊島区立池袋第三小 二年
さかいすけのぷ
ひまわりが かれた。
くきをおると 木のえだのように
パキンと 音がする。
やっぱりあきだ。

(2)秋
高知県中村市具同小 二年
高畑 けん一ろう
草むらにはいってみたら
け虫が 草のはっばを食ベていた。
体が黒と黄色で きれいだ。
足が九十八本もありそうだ。
草の中から出てみると
ヌスピトハギが
ふくにいっぱい ついていた。
体をうごかしたら、ちくちくした。
ていぼうに上がって
カラスウリをふりながら
びゅんびゅん走った。
風が足や体にあたってすずしかった。

(3)おちば
東京都三鷹市明星学園 二年
かね平 けい子
大国たまじんじゃまで くると
木のはがちらちらと
ほうぼうの 木から
ゆきのように ちってきた。
わたしは
しばらく
たちどまって みていた。
ぜんぶちってしまって
からからな 木も あった。
わたしは また きた道を かえった。

(4)野原の中で
高知県高岡郡鍋床小  五年
山崎 寿代
どこからか、
おがくずがとんできて、
水の面にたくさん浮いて、
流れていった。
野原の中で、わたしはひとりで
すわっていた。
枯れたよもぎが
からから、風に音をたてていた。
川下のほうで、
白いあひるが 一羽あそんでいた。
ときどき、
ぱたぱたと羽をふる音が、
静かな水の上にひびいた

(5)夕日 新潟県  大関松三郎
たんぽからかえってきた時
家のかベのところで
ぴかっと光ったものがあった。
はっと思ったら 赤い柿だった。
まっかな柿のみに
夕日がとびうつったように光っていた。

 このような秋の季節感をとらえてきた作品をプリントして、子ども達と読み合い、気づいたことを発表しあう。この場合、順番に読み終えた後、どの作品からでも、発表しあうようにするとよい。
(1)ひまわりのかれた茎の音を、パキンとした音でとらえている。目と耳を働かせている。
(2)草むらから出たら、ヌスピトハギが服についていることに気がつく、いい目。カラスウリをふりながら、びゅんびゅん走るところは、明るく健康的だ。カラスウリは、秋に実になる。
(3)木の葉、ちらちらと、ちっていくことに気がつく目。葉のついていない木にも目がいく。このようなことに、心がゆれ動いている。
(4)枯れたよもぎは、夏の終わった証拠。川下の方の一羽のあひるにも、目がいく遠くの方にいるあひるの羽の音が、ひびくことに耳が働く。
(5)ぴかっと光ったものが、赤い柿であった。そのぐらい見事にうれていたのだろう。柿の葉は、ほとんど落ち、実だけがみごとに見える。目と心がすてき。最後の一行は、たとえをつかう。

生活者としての子どもがとらえる自然

 からだのどこをよく働かせて、この頃の天気のことや、木や草のことや、動物などのことをとらえているかを考えあった。共通することは、子ども達がいつも自然の中に入りこみ、その中から積極的に働きかけたり、かけられたりして、秋を見つけていることだ。
 目や耳や皮ふを働かせることから、自然の中の秋をとらえてきている。私たちの五官には、鼻や舌もある。秋のにおい(草木の花の香りや魚をやくにおいなど)や、食べものの味からも、秋は見つけられる。みなさんにも、このように体を働かせて、秋をつかまえてきてほしい
 きょう勉強したことを頭において、もう一度、声を出して読んでみよう。できたら、好きな詩は暗誦してみよう。
1987年11月20日

詩心を育てよう

 このように心と体を生き生きと働かせて、秋を感じるには、季節感を感じる心の余裕がないと、つかむことができない。果たして、今の子供達にその余裕があるのだろうかと考え込んでしまう。自然の中で、働きかける時間的保障がなくてはならない。だいたい、子供達に、そのように仕向ける教師に余裕がなければ、詩心は育たない。教科書から、『詩』を味わう単元が、皆無に近い。しかし、子ども本来は、働きかけさえすれば、みずみずしい感性は、必ず復活する。
2011.11.17

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