子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月6日(土)蔵本穂積さんの「生活つづり方論集」を読んでその1

1月6日(土)蔵本穂積さんの「生活つづり方論集」を読んでその1

 昨年の暮れに、大阪で人権教育研究会に参加した。そこで、上下2冊の分厚い本をいただいた。理論研究会にと、5人分下さったのである。立派な表紙の裏を見ると、「蔵本穂積生活綴り方論集上下」定価3500円と書かれていた。5冊分だと、1万7500円になる。一緒に参加した日色さんと相談して、1万円のカンパをした。理論研究会では、まだ、みなさんに紹介してないが、2月の理論研究会の時に、日色さんが持参することになっている。私は、12月中に手に入れたので、一挙に読み終えた。
 上巻の目次を見ると、「私の歩んだ集団主義教育」生活綴り方をたよりにからはじまり、「教師も書こう」「推考のすすめ」「小さな自然」「つねひごろのつづりかた指導をこそ」 「教師がつづるとき」 「105時間をもてあますまい」と、具体的なテーマが並べられている。

生活綴方との出会い

 さっそく読みはじめてみた。1948年に教師になる。教師になって、5年目の年に、同学年の教師から、『新しい綴方教室』〈国分一太郎著〉と『山びこ学校』〈無着成恭著〉を紹介してもらう。その同僚のクラスの子どもたちは、その担任が休んだときも、生き生きと授業が展開されて、大きな刺激を受ける。自分がすばらしいと感じた子どもの作文を、その教師に見せると、「君のは『赤い鳥』だ」と批判され、最初その意味がわからなかった。その意味について、理解するまでには、何年かの日数を経なければならなかった。そのことを、少しずつ理解していったのは、被差別部落のある職場に勤めるようになってから、徐々にその意味することを、理解していった。この本の至るところに、国分一太郎さんの文章が引用されている。例えば、伝統的な生活綴方の定義を、「生活綴方事典」から、引用している。

生活綴方の定義

「生活綴方とは、生活者である子どもたち〈またはおとなたち〉が、外界の自然や社会・人間の事物、または自他の精神の内部に触れたときに、考えたことや感じたこと、つかみ取ったものを、それが出てきたものである事物の形や動きとともに、ありのままに具体的に生き生きと文章に表現したものを言う。この際生活綴方に「生活」という限定詞を加えるのは、生活者が書くからであり、「綴方」と言われるのは、大正の初め以後、わが国の民間教育運動の中で育ったリアリズムの綴方の伝統・遺産を受け継いだ性格の表現をとらせるからである。またこの生活綴方の作品では、自分のものになったコトバ、体験に裏づけられたで書かれることをことのほか大事にする。〈国分一太郎〉
 さらに生活綴方の起点にさかのぼって、『綴方生活』〈1929年創刊号〉や小砂丘忠義の文章〈1931年〉の文章なども引用しながら、現在の部落の子どもたちは、どうであろうかと、これからの解放教育は、どうあるべきかと問い直していく。
 再び、「解放教育」19号で強調された、国分さんの文章を引用している。
「生活現実、人間の生活現象の生き生きとしたリアルな描写のそこに、科学的な知識や法則、本質的な認識にもとづいて分析され総合された知見〈見解・信念・判断・意志などとこまかくいうてもよい〉や、そこから出てきたすみきった、激しい感情・情動がもりこまれているもの、こういう質のものが、あたらしくうまれてこなければならない。」

子どもと綴る

 子どもたちに文章を書かせる教師は、自らも文章を書かなければいけないと問うている。そのためには、「つづり方部会」を作り、志を同じにするものが集まり、理論的・実践的に会員で追求することが大事と説く。その中で、天野里子さんの指導した子どもの作品を何点か、紹介している。天野さんは、赤ペンで説教せず、自分自身を正直に語っている。

天野里子さんの文章

「 先生が小さかったころ、家は百しょうをしてたんや。 田うえのころは、暗くなっても、お母ちゃんはなかなか帰ってけえへんかった。暗いあぜ道を、すぐ上の兄ちゃんと手をつないで、歌をうたいながら、お母さんをむかえにいった。途中でこわくなって、一歩もあるけんようになって、ふたりでワァーワァー泣いとったら、声が聞こえたのかしらんが、お父ちゃんが、自転車をおして、お母ちゃんと、たうえ終わって帰ってきたんや。お父ちゃんとお母ちゃんは、はだしや。お母ちゃんのもんぺは、ひざの上までぬれとった。〈後半も続く〉」
 このような文章を読んだ、クラスの子どもたちは、書き出さないはずはないと思うのだ。蔵本さんは、天野さんのことを、尊敬しながら、教師も文章を書いた方がよいと説く。私も、天野さんとは、1年に1回、研究会でお目にかかるのであるが、いつもにこやかに挨拶して下さる。その天野さんの小さかった頃は、寂しい思いをしながら、暮らしていたんだなあと、ドキドキしながら、この文章を読んだ。心にしみ通る文章である。 次の文章は、天野クラスの子が書いた文章である。

蔵本さんのクラスの作品

「机の前へ座って水滸伝物語を読んでいた。すぐ横上に電燈がついていて、本の半分が暗く影になっている。母は、しまいごとをするためのお湯をわかしに、かまどに座っていた。そこへ、くつの足音がパリパリと聞こえて、にいさんが会社から帰ってきた。
 かばんを上がり口において、オーバーをぬぎ、私に「富佐子、オーバーかけといてくれ。」といい、母に向かって、「おかあちゃん、きょう定期買うてくるで、かね出してきてくれたか。」と、きいた。「うん、出してきたんで、駅行って買うといでや。」「うん、めし食てから買うてくるわ。もう5500円残ったるやろ。」兄は、去年の10月に、メッキ会社を退職した。その退職金として、2万円あまりのお金をもらった。そうして、そのうちの1万円を銀行へ貯金した。それから後、いろいろなことにお金を出して、あと5500円残ってあるはずなのだ。
 母は、返事をしないでだまっていた。兄はまた、「ねえ、おかあちゃん、もう5500円のこったるやろ。それよりたらんけ。」と、返事をさいそくした。すると母は、こまったようなようすをして、「千円たらんに。いれとこ、いれとこと思ってたんやけど、米買わんならんよってに、そのままになったんやあ。」と、小さな声で言った。

現代つづりかたの伝統と創造

 このあと、もう1作品紹介し、その後に、私の念頭には国分一太郎さんの『現代つづりかたの伝統と創造』〈百合出版〉の次の一文が浮かんでくる。
「真実なことを、よくわかるように、ひとをなっとくさせるよぷに、ひとに感銘をあたえるように、そして自分でも満足がいくように、しっかりと文章にすることができるようにするために。」


→蔵本穂積さんの「生活つづり方論集」を読んで その2 へ

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