子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

16号

はじける芽16号

平和教材を大事にしよう

「えんびつびな」(二年)「おこりとぞう」(三年)「一つの花」(四年)「お母さんの木」(五年)「川とノリオ」(六年)。現在使われている国語教科書の平和教材である。上巻の終わりの方にのっているので、九月下旬から十月上旬の単元になる。このような単元は、なるべく時間をかけ子ども達と一緒に、戦争と平和の問題をじっくり読み味わうようにしている。
 このような教材を扱う視点は、学年によっても異なってくるであろうが、いくつか出てくる。
 ・戦争は人々の幸せをなくしてしまう。
 ・建物・動物・人々の命までもほろぼす。
 ・被害者意識・加害者意識をみつめなおす。
 ・平和を大事にする考えを持たせる。

戦争中のくらしを綴らせる.

 戦後44年の今年の夏、テレピの特集は色々な形で戦争を取り上げていた。南洋や東南アジアの国々への侵略の映像も、初めて見る物も多かった。今の子ども達には、映像から受ける印象がかなり強いので、支部から借りたり、自分でとったどデオを見せるようにしている。特に墨田区は東京大空襲の被害も大きかった地域なので、三月十日に関係した取材を行うと、まだまだ地域を掘りおこせる。
・「夜、てきのひこうきがきて、しよういだんを、落としたんだよ。てきはアメリカだったんだよ。よそでは何百人しんだよ。あと横川小学校もやけてしまったんだよ。ぼうくうごの大きなあなを家の前にほっといて、そこにかくれたんだよ。」〈小梅小 二年女子)
・となりのとこやさんの家に行って、空しゅうの話を聞きました。「何時ごろからはじまったの。」と聞いたら、おばさんがおじさんに、「何時からはじまったんだっけよ。」と聞きました。おじさんが、「九時ごろ。」と言いました。そしたら、おばさんが、「夜の九時ごろから朝まで。」と言いました。ぼくが、「空からどんなものが落ちてきたの。」と聞いたら、「しょういだんがいっぱい落ちてきて、本じょ、ふか川がまるやけになってしまったんだよ。」といいました。「その時、自分はどうしたの。」と聞いたら、「にげ回っているうちにあぶらをまかれて、目が見えなくなったんだよ。小梅小学校で、おいしゃの手あてをしてもらったんだよ。」とおばさんが言いました。
(小梅小 二年男子)
・.お父さんは、港区の赤坂に住んでいて、近くの野木小学校に入学しました。お父さんは、一人ぼっちでそかいしたそうです。〈略〉だいとく先生という女の先生につれられて、ぼうくうごうにかくれた時のことです。〈時〉まもなく赤ちゃんをだいて、ぼうくうごうの方にかけてくるだいとく先生が見えたとたん、〈略〉校ていの土がはねるのが見えて、だいとく先生はたおれてしまいました。お父さんたちは
とてもこわくてクラスの人たちとだきあって、しばらくじっとしていました。〈略〉「もう出てきていいぞ。」と言ったので、行って見ると、だいとく先生はせなかに、おおきなあながあき、まわりは血だらけで死んでいました。赤ちゃんはそばで「ギャーギャー」とないていたそうです。〈略〉
 お父さんたちは、校ていのすみで長いことないていたそうです。今でも学校のうらに、だいとく先生のおはかがあると言っていました。それはいばらぎけんのねもと小学校のできごとです。たすかった赤ちゃんは、その先生の男の子で、今はいなかで高校の先生をやっていると、お父さんは教えてくれました。〈略〉(小梅小 二年 女子)
全文は「墨田の教育」第一集参照

 三月十日は、三学期の終わり頃にあたり、大へんあわただしくじっくり聞き書きは、しづらい。半年前の平和文学教材を完了した後、引き続き作文教材を組みこんでいる。聞き書きは時間もかかり、何回かの取材をして記述することもある。推敲〈推考〉などすると、半年近くかかってできる作品もある.
1989年10月12日
 

平和教育の出発

これらの戦争体験の聞き書きの詳しい作品は、「私の平和教育」「私の実践記録」に詳しく載っているので、その項を参考にしてほしい。小梅小学校での実践が、平和教育の出発になった。ここに出ている作品が、その後の私の聞き書きの大切さを教えてくれた。
2011.11.26

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