18号
はじける芽18号
世界のニュースを引き寄せよう
どこかおかしい中国
私が中国のニュースをよく見るようになったのは、5月の連休の頃からでした。その頃は、天安門広場に学生たちが集って、デモや集会をしているという内容でした。テレビを見て、すごい教の人が天安門広場に集っているのでびっくりしました。
その後、ソ連のゴルバチョフ書記長が中国に行った5月15日には、歓迎式典が人民大会堂で出来なくて空港で行われました。〈省略〉
5月20日なって、北京で新中国になって、初めて戒げん令が出されたというニュースが流されました。〈省略〉
5月30日、天安門広場に民主の女神像がたてられたというニュースが流されました。私はそれを見て、
(アメリカの自由の女神にちょっと似ているなあ。)
と思いました。6月3日、広場に軍隊が近づいたが、その時、武器は持っていなかったので、すぐに帰ってしまったということでした。
6月4日、朝から中国のニュースばかりでした。
次の日、新聞には第一面に大きく、6・4血の日曜日という見出しが出ていました。ニュースでは、戦車が焼けているところや、血だらけの人が自転車やタンカなどで運ばれているところや、道ばたで倒れて血だらけで死んでいる人などがうつっていました。この事件で日本人は、あわてて日本に帰国したというニュースが流れました。帰ってきた人の中には、
「じゅう声を聞いたJとか、「戦車を見た。」とか、「こわかったJとか色々言っていました。日本人の週刊誌のカメラマンが足をうたれて入院したというニュースもありました。〈略〉
母は、
「これは、今本当に中国でおこっていることなんだから、しっかり目を開けて見ておきなさいよ。」
と言ったので、おそるおそる手をどけました。私は、
(なんで中国が、こんなおそろしい国になったのだろう。)
と思って、私は母に、
「なんでこんなことになってしまったの。」
と聞くと、母は、
「そうだねえ、何も殺さなくてもいいのにねえ。これから中国はどうなるんだろうねえ。」
と言いました。続けて母は、
「共産主義の国には、どこか無理があるんだよね。ソ連にはゴルバチョフがいるからうまく変わろうとしているけどね。やっぱり自分の言いたいことの言える世の中はいいね。」
と言っていました。
6月10日ごろになると、中国からのニュースで、学生やデモに参加した人たちが、っかまえられている所が何度も流れました。中国では、今度の民主化運動を反革命として、それに参加した人を政府に電話で密告するように、どんどん呼びかけて、親せきの人や兄弟や近所の人の電話でっかまった人もいました。
その後、中国は天安門広場で学生や市民は、一人も軍隊に殺されていないと言いはじめました。死んだのは、軍人が悪い暴徒に殺されたのだとさかんに中国のテレピで言い始めました。それを見て私は、
(全部うそじゃないか、この間私の見た血だらけの人や死体は、軍人じゃあなかったのに。)
指導題自「世の中のニュースに関心を持ち、自分の眼や耳で確かめたことを、ありのままに書いてみよう。」というねらいで、一ヶ月の取材期間を与えて綴らせた。一学期最後の作文の中から出てきたものである。書いた人は、下原道子さん〈仮名〉だ。
ちょうどこの頃は、消費税導入3ヶ月後の時期であり、都議会選挙や七月には参議院選挙もひかえており、世の中の動きがあわただしく、ゆれている時期でもあった。
その年でなければ書けないものを
昨年の一年間も激動の一年であった。年の瀬を迎える頃に、大きなうねりとなって出てきた東ヨーロッパの民衆の動き。つい最近46年ぶりのタイのジャングルから帰ってきた2人の日本兵のこと。次から次へとニュースは伝わってくる。そのようなことを子どもに関心を持たせ、朝のニュースや日記などの中に出てきたら、かならず取り上げて、事実を少しでも伝えておく必要がある。
できることならば、新聞の記事のかんたんな見方を教えたり、一日一回はテレビのニュースに関心を向けさせるようにさせたい。一年が過ぎる頃には、その年の大きなニュースには、何らかの形で向きあい考え合う子ども達にさせたい。
1990年1月25日
世の中の出来事に注目させる。
高学年になると、子供達には「新聞の切り抜き帳」を持たせた。最初は、同じ記事を、みんなで読み合う。心に残ったところは、アンダーラインをつける。その後に、クラスで話し合う。最後に、自分の感想を書く。そのようなことを何度か授業で取り上げた。新聞の投書欄の読者の声や、コラムなどを読み合った。やがて、自分の家で取っている新聞の記事で、みんなで考え合うような記事を「新聞の切り抜き帳」に張り、アンダーラインをつけ、感想を書いて提出させた。最低一週間に1~2回は、出すように仕向けた。
最近は、新聞を取ってない家庭が増えてきたので、自分の家で取っている新聞を持ってきたり、学校で取っている新聞を集めておいて、それを渡したりした。事前に良さそうな記事を、コピーして、渡したりする時もあった。このようにして、世の中の出来事に関心を持たせるようにした。
2011.12.2