子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2003年版年刊文詩集を読む

2003年版年刊文詩集を読む

「日本子ども文詩集」特集「学校が変わった!」を読む。

2003.9.6

特に心に残った作品          

特集「学校が変わった!」

「しゅくだい」一年いとうなつほ

 こういう事を宿題の課題にする先生は、すてきだ。この課題を楽しそうに、家に帰ってきて、母親や父親と取り組んでいるところが、うれしい。したことをその通りに会話を入れながら、丁寧に書いているところが、値打ちがある。子ども達の心を解放していくところから、子ども達の学校への姿勢も変わって行くに違いない。

「ゆかいな算数」二年熊岡亜美

 授業中は、思わぬところから笑いが起こる。それをこのように、楽しみながら授業を進められる教師の姿勢がうれしい。最後の一行が光っている。

「ハロー!ワイアット先生」二年佐藤優香

 総合の時間に外国の先生との授業であろう。子ども達にとっては、どんな授業なのであろうかという、期待があるが、緊張感の中にも、楽しいふれあいが出ている。
「土台のがんばり」

「かなしい話」二年むろ田ゆめ

 いつでも転校生が出る時は、かなしい。このように、別れをみんなで惜しむクラスは、当たり前であるが、大事にしたい。

「まねしたのかなあ?」三年田光るい奈

 蝶が羽化するのは、明け方と聞いていたが、授業中の「蝶の羽化」のビデオを見終わってから、羽化を始めたのだから驚きである。羽化をしているところを、もう少していねいに観察して書いていれば、もっと良かった。

「かんくん」五年朝井祥太

 国際化して、外国からの子弟が日本の学校に転校してくる。このように取り組めれば、この子にとっても、きちんと受け入れられたと解釈して良いだろう。言葉の問題を含めて、なかなかなじめずに、居場所がない子が多くいる。

「土曜日なんてつまらない」

 どの子も、学校五日制になって、積極的に良かったという意見が多くない。子ども達自身も、忙しいというのが実感のようだ。授業が上乗せになり、帰ってからの子ども達の生活もバラバラであり、塾通いが増えていっているのが実情だ。「ゆとり」とは名ばかりで、一部のエリートのみが必死に勉強し、後のほとんどの子どもが、勉強などを全くやらなくなってきているのが、現状ではないだろうか。「週五日制になって」六年篠田亜美の作品などを吟味することによって、今の子ども達の不満を考えてみたい。

中学年の作品を読む 三年

「冬お知らせカラス」三年組田実菜未

 最初の十一行は、必要な文なのだろうか?入れるのであるならば、終わりに持ってきた方がよいのではないだろうか。「冬お知らせカラス」という言葉を、この子どもが考えて、作っているのがうれしい。ちょっと楽しい文である。

「イチゴそうだつせん」三年おび屋けん太

こんなお母さんの子だから、このようなおもしろいことにのって家族が楽しんでイチゴを食べているのだろう。

「八時十五分・・・・広島では」三年高木双葉

 きっかけがとてもいい。原爆の平和学習が夏休みになっているので、平時の授業の中では、なかなか取り上げずらい。しかし、意図的に子どもに働きかけておけば、子供らの意識もこのように向き合っていくであろう。

「紙ずもう」三年吉森あき子

 指導者の馬田さんは、退職されて十年以上になる方である。国分さんのところにも、毎年熊本作文の会で発行している「作文集」が送られてきていた。天草の方で議員さんをされている方で、今年の大会にも参加されていた。今は、議会の議長をされているとのことだ。熊本は、昔から「文章表現指導」をていねいにされている地域である。こういう作品を書かせていくことが、表現力を高める指導につながっていくのである。

「せみの羽化」三年こまさあや

 動物を観察する文というのは、なかなか生き生きとした文になる。昔は、このように、牛や豚や蛇などのどうぶつとのかかわりを、しっかりと書いた作品が多かった。自然とのかかわりは、このように意識させて書かせていかないと生まれてこないであろう。

「死んだ鳥」三年池田裕貴

 ツバメの赤ちゃんが落ちていることに気がつき、それを必死になってえさをあげて育てようとしているが、結局死んでしまう。そこに行くまでのこの子の行動がすばらしい。
 三年の作品は、力作が多かったが、「せみの羽化」「死んだ鳥」のに作品が力作だった。総合的には、「せみの羽化」であろう。

中学年の作品を読む 四年

 三年の元気さに比べて、四年の方は力作が乏しかった。あえて言えば、「お父さんに会えた」「お金がない」「ひいばあちゃん」くらいだろう。三年の作品が良かったので、ちょっとがっかりである。「お父さんに会えた」の作品も、この父親の仕事が、一度出かけるとどのくらい帰ってこないのかがわかるくらいの説明がほしい。それと、父の仕事の中味についても、もう少し掘り下げた表現があると、内容に深まりが出てくるのにちょっと惜しい。「お金がない」も、自分がよいことをしたのに、いえなくなってしまった雰囲気をもう少し掘り下げて書かないと、状況が良くつかめない。「ひいおばあちゃん」は、こういう題材を取り上げて、考えたところに値打ちがある。指導者が校長だから、もう少し掘り下げて指導をしたかったのであろうが、一週間に一時間では、思うようにはいかないのかもしれない。

詩作品

 両学年とも、特に優れたうなるような作品は、なかった。子供らの日々の生活に、感動がなくなりつつあるということなのであろうか。人間との心のふれあいや動植物との関わりをとらえてきたものは、良い作品が多かった。いずれにしても、子供らの生活に「ゆとり」がなくなってきたので、感動のある生活がなくなりつつあるのかもしれない。

四年「いっさいのくみちゃんが歌っておどった」垂水志織の詩は、ここに現れている、人間的なつながりがうれしい。姉妹なのだろうか。「お母さんの誕生日」田辺りほの詩は、後半がいい。「楽しみ」中野耕太郎の詩は、教師の姿をいつもよく見ていたから、変わってきた姿やしぐさがよくわかるのだろう。「たん生日」平見留奈は、娘が父親に面と向かって言えない心の中がよくわかる。

三年「じいちゃんとふろに入った」荒金勇多の素直の気持ちが嬉しい。「おおいぬのふぐり」佐藤芙美子のムダのない言葉の配列がいい。会話も値打ちがある。「平和ミュージアム」は、作文にした方がいい。「秋の空でかげおくり」山口美幸は、どこかで目を閉じているのだから、そこを書いて欲しかった。「ねこの幸せ」高橋洸貴は、ねこといつもいるから、このような観察が出来たのであろう。「にわとりのおはか」柴ゆうきの生き物をこのようにいとおしむ気持ち行動が嬉しい。「うちの赤ちゃん」畔柳秀哉のむだのない言葉とリズムを大事にしたい。最後の一行は、入らない。

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