子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

34号

はじける芽34号

人間への注目の詩

りんご 4年女子

いなかから父が買ってきた。
小さな小さなりんご。
まるでりんごのおもちゃのように
おやゆびと中ゆびの先をあわせたように
小さい。
世界一小さいりんご。
でも味は、とびきり甘くて、
ふつうのりんごに負けないくらい
小さくておいしい。
この品名はアルプスおとめ。
作ったところは、長野県だ。
ひめりんごのちょっと大きくしたくらいの
りんご。

父親が旅行から買ってきた小さなりんごに愛着を感じて、じっくり見た通りに表現しているのがいい。りんごの大きさを親指と人差し指を丸めたと大きさを表しているのもいい。とびきり甘くておいしいものを買ってきてくれた父親に、りんごを通して喜びをすなおに表現している。

じゅ業参かんの終ってからの父 4年 男子

「ただいま。」
ぼくが、言った。
でも、へんじがこない。
父の方へ行った。
するときゅうにおこった声で、
「なんでかけざんもあんなにおそいんだよ。」
と言った。
ぼくは、びっくりしたのとこまったので、
下をむいてしまった。
するとまた、
「面せきのもんだいならったんだろ。」
と言われた。
「うん。」
と言った。
今度は、ちゃんとやろう。

二学期になって初めて授業参観。この日、両親そろって見えた方が渡瀬君の家だった。人一倍緊張してしまったのだ。復習のプリントの計算と面積の問題がなかなか解けなかった。家に帰ってからのお父さんとの対話。「だまって下を向いてしまった。」というすなおな表現がいい。父親の期待に精一杯気をとり直そうとしている姿勢がいい。ここにも、父親の会話から人間をとら直そうとしている。

おばあちゃんのちえぷくろ 4年 女子

「それなあに?」
細いタッパーを指さした。
「だいこんあめだよ。」
ふたを開けると、
プワーン はちみつのにおい。
小さいおちょこに入れて思い切ってのんだ。
はちみつを水でうすめたようだ。
はちみつが大根よりもつよく、
さとうのようにあまい。
「だれにおそわつた。」
「おばあちゃんだよ。」
おばあちゃんのちえから生まれた、のどにいい
大根あめ。
おばあちゃんのちえぶくろの中には、
いったいいくつのちえがあるのだろう。

四国の高知県に住む母方の祖母から宝もののように受けついでいるかぜの治りょう法。ここから、祖母のかしこい言い伝えを大切に守っている母親に愛着をさらに感じ、祖母への思いも強くしている。会話から場面を切り取っている。  

 

電信柱で何かをしているおじさん 4年 男子

おうだん歩道を歩いて上を見たら、
電信柱の上で何かをしているおじさん。
もっと近よって見た。
手で何かをしている。
とうめいのビニールを
電線と頭でおさえでぬれないようにしている。
白いヘルメットをかぶって
水色の作業服を着て、
何かをしている。
下にヘルメットをかぶってなくて
作業服を着ている人がいる。
どこの人なのかわからない。

電柱を電信柱と書いているのが値うちがある。見知らぬおじさん達の労働に心を寄せてじっくり観察しているのがいい。音は、子ども達の生活の場に、石屋・いかけや・金魚屋・ポンセンベイ屋・道路工事人等、路上でじっくり労働している姿を観察できた。学校の帰りや家に帰ってから、一時間位じっと見つめる事ができた。ほんのわずかだが、見知らぬおじさん違の姿をとら直そうとしている。

はん日記を読むえのさん  4年 女子

口をとじて一つの物に集中する。
えのさんの班日記。
じいっと見ている。
鼻の下のおひげをさわりながら読む。
口びるの下のおひげをさわりながら、
少し前歯を見せて
ニコニコしながら読む。
きゅう食を食べ終った後でも
フッフフフ
と突いながら読む。
「何がおかしいの?」
だれかが言う。
「班日記の○はんの人のだよ。」
と言う。
えのさん宝ものだね。

一日に六さつの班日記が提出される。A・B二さつ代り番こに出されるので、その日に読んだ日記は次の日に返す。その班日記を読んでいると、子供達や物の見方、考え方が手に取るようにわかるので、いつも楽しみにしている。

 その読んでいる瞬間を、そっとじっくり観察していたにちがいない。読みながら、動き、顔の表情の変化までを、しっかり見つめとらえ直しているのがうれしい。
 子供達の共同日記であり、親の参加もあり、五日に一回で大へんな日もあるようだ。しかし、赤ペンとかんたんな評定いつも楽しみにしている子が多い。 [#c71c4572]

人間への注目

1970年代に、日本作文の会は「70年代の作文教育はどうあるべきか」という重要な提案をされた。自然・社会e人間という今までに大切にしてきた作文の題材を、この十年間もさらに発展させようと、全国の教師に訴えた。その中でも特に「人間への注目」という事も強調された。それは、高度経済成長の発展とともに、子どもを合めた一人一人の人間が、,“人間らしさを失いつつある”ことへの警告の意味でもあった。
 受験体制が進行し、・中・高校生などに無気力、無関心・無感動な子ども達が増えている。いわゆる三無主義への克胆のために提起された。
 子ども達本来が持っているみずみずしい感性・人間的な感情・情熱を、何とかはぐくむようにしてもらいたいという願いからでもあった。
 ものごとや人間の姿・動きを生き生きとした力で受けとめる子にしたい。そんな大きな目標が出された。
 あれから二十年以上たった。子ども達の生活はどう進行していっただろうか。金で子どものめんどうを見てもらう受験産業は、さらに増え、小学生の生活までおおってきている。
 子どもの評価をテストの点のみで一喜一憂する親が増えた。人間らしいやさしさ、ペーパーテストなどではわからない子どもの本当の可能性は、どこかに追いやられつつある。
 きょうも疲れた体をひきずって、多くの子ども達が塾カバンを背負って夜遅くまで精一杯努力している。
 子ども達にゆとりと、第二土曜が休みになった。体が十分休めたという子や、楽しく過ごせたという子が多い結果にホ?とする。
 私立受験組は、そんな世界は別という思いで、これからも過すのであろうか。
1992年11月12日

さらに悪化した

 20年前は、第2土曜日が休みだった。現在は、土曜日が全部休みになり、学校5日制になった。「ゆとり」のある生活が1つの売りだった。しかし、今は、学力低下が進行しているので、「土曜補習」だとか、月1度土曜日授業を再開してる区が増えてきている。
 子ども達に自殺したくなったときがあったかという問いに、かなりの子どもたちが「あった。」という回答だったという結果が最近報告された。私の知る限り、現場の子どもと対応している教師の話を聞くと、かなりの子ども達が「いつもいらいらして過ごしている」「相手のことをひどく中傷する」そんなクラス集団になっている。その子ども達に共通する点は、愛情に飢えている子が多い。
 新自由主義のもとで行われた昨今、格差社会が広がってる。貧富の差が大きくなっている。生活保護家庭・準用保護家庭も減りはせず、増え続けている。高校・大学を卒業しても、正規の職員になれず、派遣社員・フリーターに甘んている教え子が結構いる。
 世の中全体が、閉塞状況に陥っている。
2012.3.27(火)

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