子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

35号

はじける芽35号

下町の子の冬休みー4年生ー

百人一首 4年男子

「春すぎて・・・」
父が読みふだを持ちながら言う。
「夏きにけらししろたえのころもほすちょう天のかぐ山。」
といっせいにみんなで言う。。
兄の目の前にあった。
ヒュー
ぼくの手がそのふだめがけて手を出した。
なんと兄の手をたたいていた。
くっそう、次はとってやる。
「へっへっへっ。」
兄がこちらを見て笑っている。
よけいにくやしくなった。
「よを…」
父が次のふだをよんだ。
よしっ、ねらっていた清少なごん。
「こめてとりのしらねははかるともよにおおさかのせきはゆるさじ。」
ペシッ。
よしっ、ぼくの手がそのふだの上にかぶさった。
とうとう兄をぎゃく転した。
このしょうぶのけっかは、
母は36まい、ぼくは35まい。兄は29まい。

百人一首、かるた、すごろく、福笑い、トランプ…。お正月、家族でたのしむ遊びが少なくなった。こういう家族のふれあいをとりあげた時、大いにほめ他の子にしむけるようにしたい。

もちつき 4年 女子

「ドン。」
白いもちをじいちゃんがつく。
「はい。」
白いもちをおばあちゃんがつまんで
水でぬらした手でつまんで
またもちの上にのせる。
ほかの人は、じっと見ている。
「わたしもやりたい。」
もうほとんどつけている所で
やらせてもらう。
「トン。」
きねがちょっとおもたくて、
「ドン。」と言わない。
ばあちゃんが、
「うまい、うまい。」と言ってくれた。
来年はぜったい。
「ドン。」
と言わせてやるぞ。

もちつきをするうちも少なくなり、うすやきねも、歴史的な言葉になりうつある。もちがどのようにして出来上がるのか。このように具体的な労働を通してわかる。大人のきねをつく音の方が、力強いことを、実際に参加して感じている。

川崎大師 4年男子

川崎大師だ、すごい人だ。
本通りを通る。
すごい人だかり。
「あっ、たこやきにやきそばだ。」
と、ぼくが言う。
「あめやもあるよ。それにほうちょうで切っているよ。」
と、ぼくがまた言った。
だんだんぎゅうぎゅうになってきた。
とりいをくぐって、
父と母と弟とぼくの4人、
やっと神社についた。
つかれたなあ。
母から10円玉をもらって、
右手にもった。
やっと、神社の中に入れる。
「カーン カーン」
と金の音。
「クックックックo」
と、はとが屋根にしがみついている。

世の中が不況になると、初もうでがふえるらしい。人ごみの中に、親子四人の姿が出ている。終わりの四行のしめくりも良い。混雑の中から、屋根の上の鳩をしがみついていると、とらえた所もするどい。

お年玉  4年 女子

「はい、お年玉。」
母が言う。去年は兄と私が
じゃんけんで勝った方から選べた。
でも、今年はふつうにもらう。
私の部屋でこっそり見たら、
3000円だった。
「はい、お年玉。」
おばあちゃんからは、一万円。
何で子にあげるのは少なく、
孫にあげるは多いいの。

子どもの正月の楽しみの一つは、お年玉であった。昔も今も、それは変わらない。両親からもらう金額より、祖母からの方が三倍以上多い事に、そぼくに疑問を持っている事がおもしろい。

真赤な日の 4年 女子

二つの山の問から
真赤なお日さまが登っていく。
まぶしい光が目の中に、
飛行機の中ではじめてみた真っ赤な日の出。

初日の出を、日本中の子ども達は、さまざまの所で見たことだろう。朝の暗い中から、白々と明るくなり、赤い朝日を見た人は誰でも感動してしまう。

うちのお母さんだけ 4年 女子

お正月なのに
お母さんは休みじゃない。
墨東病院の小児科のかんごふだから、
正月も休みがあまりない。
かんごふの仕事がきついので、
かんごふ不足だ。
ほかの人が休みでも働いている。
しかたがないけど、
もっと遊んでほしかった。
二日の朝、
「行って来ます。」
と言って出て行った。
つまんないな。
早く帰って来ないかな。
何度もまどの外を見た。
「ただいま。」
母の声がした。
ちょっとホッとした。

看護婦不足が社会問題になっている。夜勤、準夜勤などと、勤務時間の不規則がそれに輪をかけている。病人の人に、いつもあたたかく笑顔で接している看護婦さんが、安心して働けるように、すべきだ。渡辺さんは、一年生の弟君のめんどよく見て、家族の大切な役割も分担している。

除夜の鐘と数 4年 女子

「香奈、なんで除夜の鐘、百八回ならすのしている。」
と父が言う。
「えっ、わかんない。」
と言う。
「人間には、百八つの欲があって、たとえ人の物がうらやましかったり、そうゅう百八つある。その欲を打ち消すんだよ。」
と言った。
人間には、悪い心が百八つもあるのか。

墨田区にはお寺がたくさんあるので、テレビからでなく本物の音を聞いたり、つきにいったりしている子もけつこういる。人間には、悪い心が百八つもあるのか。

正月はほっとくらさせたい

父親から、百八つの錘をならす意味を心を動かしている、会話をうまくならベた、リズムのある詩だ。日本中の子ども連が、暮れから正月にかどのようにすごしたのだろうか。昔からあった遊びがへり、路地うらで聞く羽根つきの音も聞こえなくなった。しかし、我がクラスの子の昨品から見るかぎり、暮れの忙しさや、のんびりとしたお正月の風景がまだまだ残っていてホッとした。おもちも、おせち料理も、おぞうにも七草がゆもきちんと大事にしている家庭が多かった。テレビゲームや塾通いから解放され、少しは人間らしい生活にもどってくれたようだ。これからも、季節感を自然に感じ、年中行事のようなものにも、きちんと関わり心おどらせる子ども達になって欲しい。新年になってあらためてそのことを感じている。 [#b7287829]
1993年1月29日発行

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