子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

神野直彦

希望を生み出す教育を

 2時間近くのテープを起こした。やや聞きづらいところは、正確性に欠ける。彼の考えをくわしく学びたい人は、次の三つの著書を推薦する。「人間回復の経済学」(岩波新書)「『分かち合い』の経済学」(岩波新書)「教育再生の条件」(岩波書店)
 小中学校時代の同級生でもあり、紹介した本をいつも贈呈してくれたことにお礼を込めて、傍聴をしてきた。9年前に、墨田教組の教研集会に記念講演をしていただいた。また、私の最後の社会科の授業にも講師としてきて、忌憚ない話をしてくれたことに感謝している。 彼の考えとまったく違った方向に、日本の教育がいこうとしている。おしまいに、彼が書いた文の一節を紹介する。
 「小泉政権は、『改革なくして成長なし』をキャッチフレーズにしていたが、その真意は『失業と飢餓の恐怖なくして成長なし』というものである。『改革なくして成長なし』とは、『貧困なくして成長なし』と言い換えても良いのである。新自由主義の傭兵たちは「改革を止めるのか」とたちまち牙を剥く。それは「失業と飢餓の恐怖」を創り出さなければ、より豊かな富を手にすることができないと信仰しているからである。」
     「分かち合いの」経済学(岩波新書)

神野 直彦

第60回日教組教研集会 全体会 記念講演の記録 
茨城県水戸市2011.1.21

危機を越えて「教育社会」へ

神野 直彦(東京大学名誉教授)

第一回記念講演は、大内兵衛先生

 60年の記念すべきこの研究集会に、私のようなものが招かれて、感謝しております。60年の歴史の中で、第1回の記念講演は、大内兵衛先生がなさってでおります。私、東京大学で「財政学」の講座を担当していました。大内兵衛先生の後を継いでおるものです。第2回目は、同じ経済学教授でいらっしゃった矢内原忠雄先生が講演されております。矢内原忠雄先生は、昭和12年「平和主義者」という理由で、教壇を追われます。その翌年大内兵衛先生をはじめ、東大の経済学部の多くの教授が治安維持法で逮捕されます。私も東大経済学部長を勤めておりましたが、任期は、10月からでした。大内兵衛先生が逮捕されたその年に、当時の日高経済学部長は、東大経済学部には自治能力がないと言われ、自らやめます。その後、経済学部長は、ずっと不在の時代が続きます。そして、ようやく終戦後、大内先生をはじめ多くの人たちが、大学に戻ってきました。そして、選挙をして経済学部長を決めたのが、10月でしたので、今でもそれが続いております。大内兵衛先生が教壇に復帰されたときには、多くの学生たちが、拍手を持って迎えたということです。そういう光栄ある記念講演を引き受けたことを誇りに思っております。

時代の大転換期に来ている

 さて、私は教育の専門でもない人間が、お役に立てる講演ができるか心もとないです。最初に結論だけお話ししておきます。私も余命幾ばくもないのですが、私が歩いてきて人生の中で、「真実」だと思われることが一つだけあります。わたしたちは、時代の大転換期に来ておりますが、その時に、人間が圧倒的力を発揮しなければなりません。その時は、人間がお互いに疑いあっているときではなく、お互いが信じ合っているときであり、憎しみあっているときでなく、お互いが愛し合っているときに、大きな力となると言うことを、私の人生の中で知りえた真実です。

人間が命を存続させていく行為は、「教育」

 しかしながら、現代の日本の社会は、この真理は間違いであると、私が考えている真理を否定しようとしている動きに入っている気がします。今日、お話ししようとしているテーマですが、「危機を越えて『教育社会』へ」と言うことですが、中国語では、「危機」とは危うい変化という意味です。英語で言いますと、プライムという意味です。プライムとは、「分かれ道」という意味です。破局か肯定的な解決かと言うことになります。「教育」という意味ですが、「共に生きている」と言うことではないかと考えます。私も、もうじき死にますけども、「生きる」と言うことと「死ぬ」と言うことは必然的なことです。社会の構成員は、いつでも入れ替わっているんですね。人間が命を存続させていく行為は、「教育」であると定義しています。

第一高等学校の阿部能成校長の心意気

 今わたしたちは、破局的な道に行くのか、肯定的道に行くのかの分かれ道に立たされています。最初に、私の恩師であり、世界でもっとも偉大な経済学者である宇沢弘道先生についてお話しします。風貌からして、「オサマビンラビン」とにていて、お名前の「うざわ」からも似ているのです。その宇沢先生は、最初医学を志していたが、社会科学の道に変えていく転機になったのが、第一高等学校に入学したときに日本は、敗戦を迎えていました。その時に、占領軍が、第一校等学校(今の東京大学の教養学部)に接収しに来ます。その時に、ときの阿部能成校長は、「ここは、あらゆる学問の基礎である真理を探究する聖なる場所である。戦場という俗世界の出来事には、適さん。」と、おっしゃったそうです。そういうと、占領軍は、そそくさと引き返していったと言うことです。それを見ていた宇沢先生は、自分は「社会の医者」になろうと決意します。その翌年に阿倍先生は、文部大臣になります。当時マッカーサーは、日本が戦争に突入していったのは、教育の力によるものが大きかったと認識していたのです。だから、アメリカから教育使節団が乗り込んできます。阿倍先生は、教育使節団に対して、歓迎のあいさつをしなければならなかったのです。「日本が、今次の大戦で犯した最大の罪は、それぞれの国々の歴史と伝統と文化があるにも関わらず、日本の文化を押しつけた点にある。わけても、日本の教育制度を他国に押しつけたことである。あなた方は、日本が犯した誤りを、二度と犯さないでいただきたい。」とあいさつしています。そうすると、教育使節団から、割れんばかりの拍手が起きたと言うことです。団長は、感動のあまり壇上に駆け上り、阿倍先生に握手を求めたと言うことです。どうしてこういう事態になったのか?この使節団は、アメリカの哲学者のジョン・デューイのお弟子さんだったり、その影響を受けた人々だったのです。「民主主義と教育」や「学校と社会」などで有名な方でした。

他者は信頼できない日本人

 最初に私が提起した、「教育」というものは、「共に生きる」過程そのものなんだと言う考え方です。日本の社会は、この教育の原点を完全に忘れたと言っていいのではないか。日本では、子どもたちに「金儲けの手段を教える」と言うところとなってしまったのではないか。「教育格差」と言うことは、いけないことです。金儲けをする能力に格差をつけてはいけないからです。子どもたちが、わたしたち人間の聖なる存続を構成する社会の一員であると言う意識が、まったく薄れてしまったと言うことです。
 世界の統計の一つに「他者は信頼できますか?」という問いに、「基本的に信頼できる、まあまあ信頼できる。」と肯定的に回答している国の中で一ばんは、ノルウエイです。その中で、日本は、最低です。他者をまったく信頼してないと言うことです。
 教育というのは、そうではないと、考えられてきたのです。宇沢先生の友だちで、カンボジアでボランティアをしている人が、子どもたちに「あなたが一番大切にしているものは何ですか?それを書きなさい。」と言うと、宇沢先生が言っている、社会的な共通資本である「森・家族・自然」などを書くのです。きらいなことは。「人身売買」「売春」と書くのです。

「分かち合い」とは、「共に生きる」

 私がこれから言いたいことは、大転換期には、危機を乗り越えて、日本はこのままで良いのかと言うことです。去年ある高校生が、私に手紙をくれました。私の書いた「『分かち合い』の経済学」(岩波新書)と言う本を読んで感動しましたと。それで、自分の高校に来て話をしてほしいと言うことでした。名古屋の高校生でした。それで、私の家まで友だちと一緒にわざわざ来てくれました。その時に、パンフレットを作ったので見てほしいと言うことでした。その中に、「分かち合い」と言うことは、「共に生きる」と言うことだと解説がついているのです。私のその本の中には、どこにも書いてなかったのですが、そう分析したのです。高校1年生ですよ。私はそれを見て、えらく感動したことを、ある新聞社の論説委員の方にこのように書けるかとお話ししました。スウェーデンでは、社会科という意味は、ソウシャルスタディーと言う意味なんですが、それには、福祉・医療だけではなく、教育も含まれる。元々の意味は、悲しみの分かち合いという意味なんで、「教育も悲しみの分かち合いなんですか?」と聞くと、「そうです。」という言葉が返ってくるんです。わたしたちは、悲しみを分かち合うために、生きていくのです。なぜなら、人間が幸福だと感じることは、他者にとって自己の存在が必要不可欠であるんだと言うんです。自分も自分の存在が、必要不可欠なんだということです。スウェーデン語で、オムソーリと言う言葉です。「悲しみを分かち合い」「優しさを与えあい」ながら生きているのが、スウェーデンの社会では生きています。そのことが、歴史の峠を乗り越えていくと言うキーワードになるのではないかと言うことです。

軽工業基軸の工業社会から重工業基軸の工業社会へ

 今から80年以上前のことです。1929年の世界恐慌がありました。それ以前は、イギリス中心の軽工業基軸の工業社会から、アメリカ中心の重工業基軸の工業社会へと舵を切る出来事でした。その上に大きな福祉国家というものを備えていたのです。戦後1ドル360円という固定相場の為替で出発します。それで、自由な貿易を補償していくのです。その後現在にいたって、あらたな世界恐慌は、ゆっくりと進行しています。

新自由主義者の悪魔のような顔

 現在は、歴史の大転換期にさしかかっています。それはいつ頃から始まったのかというと、1973年頃から始まったと言われています。その1つは、石油ショックです。重化学工業の原料である石油が高騰して、警告を発したのです。もう1つ、固定為替が変動為替になります。1ドル360円という為替が崩壊します。もう1つの事件は、9.11事件です。1973年9月11日チリの大統領サルバドール・アジェンデが暗殺されます。彼は最後の演説を、大統領宮殿のベランダから国民に向かってするのです。「私は、チリ人民の忠誠に従い、決して辞任しない。この歴史的な危機に際して、私は、支持してくれた人民にわが命を持って報います。我々の蒔いた種子は、数千のチリの人々の誇り高き良心に受け継がれ、決して刈り取られることはないと、私は確信しています。歴史は我々のものであり、人民がそれを作るのです。歴史は、彼らを裁くでしょう。チリ万歳!人民万歳!労働者万歳!これが、私の最後の言葉です。」この放送の後、アジェンデは、反乱軍の降伏勧告を拒否。自ら自動小銃を手にして、わずかな数の武装民兵とともに、激しく交戦した。炎上する大統領府の中で、午後2時頃65才の生涯を閉じました。殺されたという説と自ら命を絶ったという説がありますが、はっきりしません。福祉国家をめざしていたものが、ここで中断させられます。宇沢先生は、その時のようすを、手紙に託して私に下さいました。「私は、その時シカゴにいた。ハーバード大学のかっての同僚たちとの集まりのときだった。チリのサルバドール・アジェンデ大統領が暗殺されたというニュースが入ってきた。その時の何人かの新自由主義者のものが歓声を上げて喜んだ。私は、その時の彼らの悪魔のような顔を忘れることができない。それは市場原理主義が世界に輸出され、現在の世界的危機を生み出すことになった決定的瞬間だった。私にとって、シカゴの新自由主義者と決別する決定的な瞬間でもあった。」

大きく分けて、三つの流れ

 アジェンデが暗殺され、独裁者ピノチェトは、独裁政治を完遂すると、経済学者をすべて新自由主義者にしました。そして、「小さな政府」「規制緩和」「民営化」推進していきます。それを新自由主義者は、チリの奇跡とたたえるわけです。
 1979年には、新自由主義を標榜する「鉄の女」と呼ばれたサッチャーがイギリスの政権に就き、それまでの福祉国家を完全に否定していったのです。1981年には、アメリカでレーガンが大統領に就任します。日本では、1982年新自由主義を唱える中曽根政権が誕生します。福祉国家が行き詰まった後に、、次にどんな公共空間ができあがっていくのかと言うことです。1929年の世界恐慌前の自由主義国家にもどれという勢力と、そうではない勢力とに分かれてくるのです。大きく分けて、パターンは三つになります。1つは、新自由主義を狂信する。福祉国家を根底から否定する国とヨーロッパ諸国の国に分かれます。ヨーロッパ型も、二つに分かれます。フランスやドイツなどのモデル、もう一つはスカンジナビア諸国(スエーデン・デンマーク・フィンランド)などの国々をモデルです。たしかに福祉国家が行き詰まったが、福祉国家が持っていたメリットを大切にしていこうとするのと、それを根底から否定するのとに分かれてきます。

貧富の格差は広がる

 社会保障の割合を見てください。小さな政府をめざす、アメリカ・日本は、ドイツやスウェーデンに比べて1割近く低いです。経済成長率は、アメリカが高い。しかし貧困率を見ると、アメリカや日本は、ドイツの二倍、スウェーデンの三倍です。新自由主義を掲げている二つの国では、貧困の格差が広がってきています。ここで言えることは、大きな政府にすると、格差は、おさえることができます。ただし、ドイツのように経済成長を抑圧してしまう場合があります。小さな政府にすると、アメリカのように、経済は成長するが、同時に貧富の格差は広がってしまうことです。しかもリーマンショック以降、財政の赤字は、ますます悪くなる一方です。日本は、2002年から、2008年まで小泉政権の経済効果が現れて、いざなぎ景気がずっと続きます。しかし、この成長は低い成長率で、労働者の賃金は低く抑えられ放しでした。景気が成長しているのに、労働者の生活は苦しくなってきています。国民の生活が豊かにならなければ、成長していても意味がないのです。

現金給付より、サービス給付

 さて問題は、どうしてこうなってしまったかと言うことです。これは、社会保障の再分配に問題があるのです。生活保護を給付すればするほど、その国の貧困の格差はますます広がっていくと言うことです。アメリカ・イギリスは、生活保護の割合が他の国に比べ大きいと言うことです。それに対して、スウェーデンやデンマークなどの北欧の国は、その半分以下です。ドイツやフランスは、その中間です。その中で、日本は、あらゆる数字で、他の国と比較しても失敗しています。社会的給付(子ども手当や高齢者サービスや医療など)の割合も、日本・アメリカ・イギリスは、北欧の国と比べるとはるかに少ないのです。しかも、北欧の国々は、現金給付より、サービス給付の割合にシフトして切り替えていると言うことです。

ソフト産業基軸(サービス産業中心)の知識社会に変化

 さて、重化学工業の発展していたわたしたちの時代は、どういう時代だったのでしょうか。それは、男性の人たちが、仕事の中心であったのです。それは、同質の筋肉労働を、大量に必要としますから。男性は、外へ、女性は家庭にと言う時代でした。一九二九年の世界恐慌が起きるまでは、男性は働きに行っていません。日本でも、軽工業中心でしたから、製糸業や綿織物業などの女工さんが中心でした。戦後は、重化学工業基軸の工業社会になり、男性中心の労働者になったのです。その後の現在は、ソフト産業基軸(サービス産業中心)の知識社会に変化してきたのです。それまでは、男性は自分の配偶者のことは「家内」と呼び、他人の配偶者は「奥様」と呼んでいたのです。「家の中」にいたのです。しかし、今は、「家内」ではなく「家外」つまり、外で働くようになってきたのです。生活を支えていた家庭の中に女性がいなくなると、サービス給付(育児や養老など)を出していかないと、産業構造の転換にうまく合わなくなってしまうのです。ドイツは、成長しないのか。それは、依然として、保守主義モデルです。つまり、パートの労働市場とフルタイムの労働市場に二極化してしまうのです。特に日本の労働市場は、そのように変化してきています。そこに格差が広がってきているのです。この状態で一番苦しんでいるのは、女性と若者たちです。ひとたび労働市場が、拡大再生産されると、不況のときは、新たにに労働市場に格差が生じてしまいます。労働市場に採用されるときに、活動保障を作り、新たに産業構造を変えていかない限り、格差と貧困があふれ出て、経済成長はしなくなる。日本が経済成長をしようとすると、お隣の中国が、一周遅れの重化学工業走っていますから、そこに産業構造を変えないまましかないのです。

工業社会から「知識社会=教育社会」へ

 スカンジナビア諸国は、工業社会から「知識社会=教育社会」へと移行しています。生きている自然に働きかけて、人間に有用なものを取りだしているのが農業。それに対して、死んだ自然を原材料にして、産業が成り立っているのが工業。工業というのは、農家の副業から産まれている。「知識社会=教育社会」というのは、どういうものかというと、工業の周辺から産まれてきている。サービス産業にしろ、知識周辺産業にしろ、人間に働きかけることです。これからは、人間そのものが重要になってくる社会になってくる。人間の発展の歴史から、当然のことなんですね。今までは、人間の筋肉系統の能力に使っていたけれど、これからは、人間たるゆえんの神経の能力が、相手に対する思いやりを含めて大切になってくる。人間の知識に有用なものを創り出している。情報というものは、形を与えるものという意味です。心臓のペースメーカーを作るには、自然に存在する物量に対して、莫大な知識情報量を投入する。つまり、量的な変化が、質的なものへの転換。このことは、決定的です。工業生産大量消費は、続けられないのです。自然が持たないのです。私達は、自然を使うものを少なくして、なるべく知識量を多くして、やらなくてはならない時代に入ってきているのです。私は、夏のどんな暑いときも、ネクタイはずしません。地球の環境破壊の時限爆弾のスイッチが押されているときに、「そうだネクタイをとろう。」などと言うばかげた政策を打つなと申し上げたい。そんなことを言うなら、冬になって、オーバー着て仕事をやればいいのかと言うことになる。

知識というのは、惜しみなく与え合う

 これからは、単に個人的な知的能力だけではありません。もう一つ重要なことは、社会資本が大切になってくる。人間の絆、共に一緒に生きていると言う感覚がなければダメだと言うことです。知識というのは、惜しみなく与え合おうと言うことなんです。工業生産の生産物は、腐りませんから、蓄積する。市場でもって、動かし売るものは、腐らないものなんです。したがって、農業に市場原理を与えるのは、適切かどうかというのは、わからない。知識というのは、、惜しみなく与え合わない限り、発展しない。日本やアメリカでは、その方向はとらない。知識というのは、知的所有権を市場で取引をする。私などは、金をあげると言われたら、とたんにやる気を失う。金を持てると言うことは、インセンティブ(やる気を起こさせるような刺激。奨励金。)になりません。ローマの奴隷制の時代のものだ。確かに、賃金を上げたりすれば、やる気が出るが、ある一定の水準に達すると、もうやる気がなくなる。これからは、再生可能なエネルギーで人力発電をしようと。はつかねずみのように、ベルトコンベヤーの上を人間を走らせる。どんどん走らせて、出来高によって、賃金を払う。ある程度の水準に達している人は、やる気を失ってしまうんですね。ところが今の日本でもって、やっても無駄なんですけど、発電機を起こすと言ってやらせたら、みんな真剣にやるんです。うそだと思ったら、スポーツクラブなどジムに行ってみてください。みんな真剣にお金を払って、走りまくっていますからね。なぜやっているのか、それは、自分のやっている行為の意味がわかっているからです。なぜ自分は汗水たらして、真剣にやるのか。自分の目標があるからです。目標とは、他者が作るのでなく、自分が目標を設定したときに、人間はやる気が出てくるのです。量から質に転換していかなければならない。教育のミッション(任務、使命)は何かと言うこと。公務員が携わっているミッションとは何かと言うこと。ミッションの方が、はるかにやる気が出てくると言うことを自覚することだ。そういう時代に入っちゃたということです。知識を抱え込んじゃっている人は、学会ではそんなにいませんよ。

知識は、社会的な共有資本

 今アメリカの製薬会社が新薬を開発しようとしている七十パーセントは、南米のアマゾンに住むシャー(王族)の人に聞き出している。彼らは、この病気になったらこの木の皮をはぐと、これが効くと、五千種類くらい知っている。それを効いて分析して、これが効いたのかと特許を取って、大もうけしている。そのことを、ブラジル政府は抗議している。ところが、アマゾンのシャーは、この知識は私達だけのものではない。すべての人々のために使えと祖先から伝わっていると言っている。こうでないと知識というのは、発展しないのです。市場で取引する所有権を誇示しない。つまり社会的な共有資本なんですね。そうしないと、うまく発展しないのですね。そうすると、福祉国家をめざす、今までの私達のやり方は、市場の取引でおっこったら、安全のネットで支えますよというやり方です。

人間の全体性を要求する教育

 新自由主義の人たちは、おこったら死ぬぞと言われたら誰も真剣に仕事をやらないから、
安全のネットで支えますと言った。しかしこれからは、安全ネットと同時に、おこったらもう一度もとの演技にもどると言うチャンスを与えると言うことです。この跳ね返すチャンスが、教育なんですね。私達は、知識社会、人間そのものが発展するようにしなければならない。人間が生きていくと言うことが、教育そのものなんです。誰でも、いつでも、どこでも、ただでの原則で参加していく。単なる知的能力だけでなく、人間の全体性を要求する、教育というものは一部のものではないんですよ。金儲けをする能力だけではありません。私達の市場社会と言うところは、ものを作る生産の場・仕事をする経済システムと生活をする場・社会システムと言うのは、分担されている。これは共同体です。そして、政治システム・民主主義と三つに分かれるんです。この三つのシステムをすべて身につける、全人格的な能力を身につけるんです。これ必要がないという能力でも、身につけておかないと、どこからどうアイディアが出てきて、どういうものができるかと言うことがわからなくなる。
 多くのヨーロッパの国々では、普通に大学には行かない。日本でも、誰でもいつでもどこでも採用してくれるんですね。

民主主義をたたえる人間を育てる

 最後の問題になりますが、教育社会における学校教育というのは、学校教育と成人教育と言うのが車の両輪のようになっていて、いつでもできあがれるような生涯学習教育体系ができていなくてはならない。スウェーデンの文部大臣が提唱したいつでもやり直しのきく教育制度。国民が自主的にする教育が、「社会」と書いてある「学習サークル」と「国民大学」「国民高等学校」です。制度的フォーマルな教育体系が二つに分かれている。「学校教育」と「成人高等学校」義務教育が九年制で、小学校と中学校までが一緒です。後期中等教育(高校)が「普通科」と「職業科」に分かれている。その後大学と続く。そこまでの教育費は無償です。成人高等学校が「成人基礎教育」(これ義務教育)と成人後期中等教育(高校課程)そして、補完教育(職業訓練教育)となっている。いつでもやり直しがきくと言うことです。赤字企業と黒字企業で働く労働者の賃金は、同一労働同一賃金です。ILO条約を批准してない日本は、先進国では日本くらいでしょう。もう一回仕事を辞めて、七五パーセントの賃金をもらいながら教育を受けることができる。例えば、正教員でない人が、単位の一部をそこで取り、正規の教員資格を取ることができる。あるいは、今の職業はあわないので、いくつかの単位を取れば医者になれるという人が、もう一度やり直しがきく。大事なことは、いつでも学び直せるという体系を保障することです。人間が、「生きる」と言うことと「学ぶ」と言うことがイコールなんだという社会になっていく。私達は、働くことのために知識を学んでいるのではないと言うこと。人間として成長し、社会の構成員として生きていくことが大切である。民主主義をたたえる人間を育てることが大切である。仕事そのためだけではないことをやるために、教育で学んでいくのです。これは市場主義を最初に提唱した、アダム・スミスの考えです。市場社会になると、人間が仕事上要求される能力は、部分的になる。教育制度を作るという意味は、全体的な人間的能力をやるために必要なんだ。

絶対教えると言うことはしない教科書

 スウェーデンの中学二年生の教科書に載っている詩を、最後に読んでおしまいにします。
スウェーデンでは、絶対教えると言うことはしません。どれが正しいかと言うことは、教師もわからないからです。考えさせるように編集されています。
   子ども  ドロシー・ロー・ノルト
 批判ばかりさせられた 子どもは
 非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは 
 力にたよることを おぼえる
 
 笑いものにされた 子どもは
 ものも言わずにいることを おぼえる
 
 皮肉にされた 子どもは
 鈍い良心の もちぬしとなる

 しかし、激励を受けた 子どもは
 自信を おぼえる

 寛容にであった 子どもは
 忍耐を おぼえる

 賞賛をうけた 子どもは
 評価することを おぼえる

 フェアプレーを経験した 子どもは
 公正を おぼえる

 友情を知る 子どもは
 親切を おぼえる

 安心を経験した 子どもは
 信頼を おぼえる

 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは
 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる
 
 この詩は「子どもと家族」というタイトルの中に載っています。私達は、学校、職場、余暇活動などで、さまざまなグループに属しています。しかし、私達にとってもっとも大事なグループは、それがどんなタイプであるかに関わりなく、家族です。人々は、「家族は、社会全体がその上に成り立っている基礎である」と、やや重々しく表現します。
 この詩の後に「課題」として、
① 家族の一員としてみて、家族の中で一番好きなことと嫌いなことを、それぞれ五つ挙 げましょう。友だちの挙げたものと比較しましょう。
②a、子どものいる家族への、現金援助を五つ挙げましょう。
 b、社会保険庁やコミューンの社会事務所で、規則や、現金援助  が実際にいくらである  かを調べましょう。
③ 各政党が、家族政策についてどんな意見を持っているか調べま しょう。
④ あなたは、詩「子ども」のどこに共感しますか。激励や賞賛が 良くないのはどんなと きですか。この詩は、大人に対して無理 な要求をしていませんか。両親が要求にたいし て、応えきれな いのはどんなときか、例を挙げましょう。

 日本は、読み書きなどの計算能力は優れています。人間が生きていく上で、ぶつかる様々な問題点の所在を明らかにして、解決能力を身につけさせる国語の能力は、スウェーデンの方が優れている。大変雑ぱくな議論でしたが、以上で終わりにします.

「情報『チリのサルバドール・アジェンデ大統領の最後の演説』を検索すると、ユーチューブで見られます。」

 この事件が、その後の歴史に大きく影響し、今に至っていることを遅まきながら知りました。派遣社員で苦しんでいる、今の日本の実情が、歴史の大きな流れの中でとらえることが出来ました。中曽根の臨調行革路線によって、国労がつぶされ、日教組が分裂させられ、総評が解体していった流れがはっきりつかめました。今残りは、自治労があぶないと言われています。小泉のあの演説に、多くの者がだまされて若者が今苦しんでいることも、点でなく線として、とらえることが出来ました。そうやってテレビなどのコメンテーターの発言を聞くと、ほとんどの人たちが、今の体制を維持する側の発言に聞こえます。

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