豊島作文の会 活動方針案
豊島作文の会 活動方針案
2011年度 第458回 4月例会 豊島作文の会方針案
2011.4.9(土)
はじめに
政権交代したが
政権交代して1年半が過ぎた。民主党政権も、国民の期待を裏切り、人気も下がる一方である。外国人からの政治献金問題で、前原外務大臣が辞任した。在日の人を外国人扱いすること自体、疑問である。日本で生まれ、税金も払い日本で暮らしているのに、外国人扱いが正しいことなのだろうか。それでいて、朝鮮の高校生には、無償制を適用せず、法律を通そうとしている。北朝鮮の韓国のヨンピョン島への攻撃や拉致問題を理由にしてである。
ゴタゴタしているときに、菅総理にも外国人献金が問題になろうとしていた矢先、日本列島を揺るがす自然災害が起きた。「これで菅総理の首が飛ばずにすんだ。」と考えた人は、私だけではなかったようだ。
2011年3月11日、それこそ未曾有(みぞうゆうと読まない?)の自然災害である。あれほど津波が襲うとは、誰も予測しなかった。いまだに行方不明者は1万7053人(3月25日現在)で、死者と行方不明者は合わせて2万7155人になった。家もすべて流され、避難している方々が、公共施設などに一時避難されている。
福島原発事故
その地震による最大の恐ろしさは、原子力発電所を破壊してしまったことである。
その後の東電(東京電力)職員と政府のその都度の見解は、「安全安心」を強調するばかりで具体的な危険度が伝わってこない。最初は、政府と東電の見解が食い違い、どちらが正しいのかと、不安が助長してしまった。やがて、事故が起きて、数日後には、20キロメートル以内の人々の強制疎開が始まった。政府と地震予知連の双方から、マグニチュード8.9を9に変える操作が加えられた。自然災害がこんなにも大きかったのだから、やむを得ない被害であったのだというふうに聞こえてくる。
そんな情報が飛び交っている間に、外国からの情報は、もっと大変な事故であると伝わってくる。日本に在住している外国人に、早く本国へ帰るようにと言う国も出てきた。事実、私が勤めていた堤小の日本語学級に通ったりしていた外国籍の児童は、終了式前に、次々に帰ってしまった。あの事故が起きてから、1ヶ月近くになろうとしているが、何ら本当に「安心」と言う材料は届いてこない。むしろ、不安を助長することばかりがニュースになって届いている。福島・茨城の野菜から、たくさんの放射能汚染の反応が出ている。東京や埼玉県の水道水からも、危険信号の値が一時出た。放射能に汚染された水が漏れて、海に流れはじめているのを食い止めようとしているが、うまくいってない。
次から次に出てくる御用学者
やがて友人から、メールが届く。「広瀬隆・福島原発」や「広河隆一・原発事故」などを検索すると、日本国内のテレビや新聞とは、かなり違う事実が伝わってくる。それぞれ、動画で見ることもできる。それを見ていると、日本の国内で出てくる学者が、いかに御用学者であることがよくわかる。
4月5日現在、2号機の原子炉については、施しようがないと考えても仕方がない段階なのだろうか。汚染された水が、どこから流れているのか解明できず、『基準値より弱い』とされる水を、海水に垂れ流している。『いったい日本は、何をしているか!』と海外の国から指摘されるようなことを、公然としている。
日本並びに東京の実情
原発事故で、「安心神話」を垂れ流している御用学者が明らかになりつつある。今の日本は、このようにマスコミも含めて、どこかで「操作」されているとますます感じてきている。最近何かと話題になっている「記者クラブ」制度も同様だ。大手の新聞社が中心となり、個人の記者や小さな新聞社が弾かれている。だから、新聞社の記事が、どこも似たり寄ったりの記事になり、個性のない新聞になりつつある。むしろ、地方の新聞社の社説などの方が、はるかに鋭い分析をしている。
教育問題についても同じである。「君が代・日の丸処分に行きすぎがあったと」高等裁判所が東京地方裁判所の判決を覆した。しかし、ほとんどの新聞社が、軽い扱いであった。唯一東京新聞が、目立つ記事で取り上げていた。これでは、現場の教師が処分されたときは、見せしめのように記事にして、権力者の側に立った中立でない。
昨年取り上げた西山記者のことに共通する。
『沖縄が日本に復帰したとき、「核密約」があったと、毎日新聞の西山記者が追求した。当時の社会党の横道孝弘(現衆議院議長)は、その資料を基に国会で自民党に詰め寄った。しかし、その資料を漏らしたと、当時の外務省の女性職員が懲戒処分された。西山記者を、女性問題に陥れ国民の目をそらしたのは、当時の週刊誌である。西山記者を、毎日新聞の職員として守れなかったすべての報道関係者が、今になって西山記者の功績をほめている。佐藤栄作総理大臣は、「沖縄復帰」を成し遂げて「ノーベル平和賞」までもらっている。少なくてもマスコミ関係者は、「ノーベル平和賞返還運動」ぐらいの動きを取ってしかるべきである。』このように、昨年書いた。リビアや北朝鮮のことを批判する前に、自分の国のことをきちんと批判すべきである。マスコミが、体制側に寄り添った記事を書いたり、放映したらおしまいである。
東京の教育現場は
教育現場では、校長・副校長・主幹・主任・一般教諭と完全に5段階賃金格差ができ、上意下達のピラミッド階層ができあがってしまった職場が多い。朝会が夕会になり、職員が全員そろっている朝でなく、勤務時間15分前に招集されている職場が増えつつある。伝達機関ととらえている側にとっては、一番都合がいい。『話し合い』はする必要がないのである。あとは、パソコンを開いて各自が受け止めればいいのだ。『話し合い』をして、異議を発言されては困るのである。職員会議が、伝達機関になりつつある。このようにならしめた原因は、批判をして民主的な話し合いを大事にしようとする勢力が、弱くなってしまったからである。60年代・70年代の世の中は、高度経済生活のまっただ中だった。しかし、民主的な勢力も広範囲に広がり、それぞれの場で『人間は、幸せに暮らす権利がある』とロマンを持って暮らしていた。『憲法を暮らしに活かそう』という垂れ幕が、埼玉県庁にいつも吊されていた畑革新県政が、土屋保守県政になり、引きずり下ろされたことをよく覚えている。美濃部革新都政が崩壊させられた後に、青島に引き継がれたが期待薄であった。ファシスト石原都政が3期目になろうとしている。地震の起きた3日後の定例記者会見で、報道陣に、大震災への国民の対応について感想を問われて『この津波をうまく利用して我欲を1回洗い落とす必要がある。やっぱり天罰だと思う 』と答えたと言う記事が、次の日、小さな記事で扱っていた。さすがに次の日、撤回をしたようだが、その場で『撤回しますか』と詰問され、「『被災された方には非常に耳障りな言葉に聞こえるかも』と(前置きで)言ったんじゃないですか」などと強気の発言をされ、記者は沈黙してしまっている。石原は、実際にはそのような発言していない。記者たちは、そこのところを、つっこんで聞いてほしいのだ。その後、この記事は、釈明したんだからと、どこの社も記事にしていない。被災されて苦しんでいる人たちの怒りを、押さえ込んでいるのが現在のマスコミであると考えられてもおかしくない。
放射能汚染の恐怖
その石原は、原発は必要だと言うことをすぐに発言したらしい。それと当時に、こんな事態だから、「国民は、自粛した方がいい」と政府と同じことを言っている。はたしてそうだろうか。東京を中心とした首都圏の電気確保のために、ぜんぜん直接の利益などない福島県民が、原発のもとで暮らしていた。それが今回のような事故によって、家から強制的に避難させられたりしている。福島は、有力な農業県である。酪農家もたくさんおられた。放射能の基準値より高い牛乳は、販売できない。そこで、搾った乳をそのまま捨てている。茨城なども、ほうれん草などの野菜が出荷しても売れない。行幸に運ばれた、「こうなご」の稚魚が、汚染されていた。それを食べる魚は、さらに汚染が蓄積されていく。何ヶ月後は、大きな魚も汚染されていく可能性がある。こんな暮らしにさせられた福島県民お気持ちは、さっするにあまりある。
希望を生み出す教育を
日教組教育研究会の全国教研の記念講演で、私の小中学校時代の同級生神野直彦さんが、『希望を生み出す教育を』と、我々教育現場に携わる人々に訴えた。
『最初に結論だけお話ししておきます。私も余命幾ばくもないのですが、私が歩いてきて人生の中で、「真実」だと思われることが一つだけあります。わたしたちは、時代の大転換期に来ておりますが、その時に、人間が圧倒的力を発揮しなければなりません。その時は、人間がお互いに疑いあっているときではなく、お互いが信じ合っているときであり、憎しみあっているときでなく、お互いが愛し合っているときに、大きな力となると言うことを、私の人生の中で知りえた真実です。』
『1973年9月11日チリの大統領サルバドール・アジェンデが暗殺されます。』『それは市場原理主義が世界に輸出され、現在の世界的危機を生み出すことになった決定的瞬間だった。』『1979年には、新自由主義を標榜する「鉄の女」と呼ばれたサッチャーがイギリスの政権に就き、それまでの福祉国家を完全に否定していったのです。1981年には、アメリカでレーガンが大統領に就任します。日本では、1982年新自由主義を唱える中曽根政権が誕生します。』『小泉政権は、『改革なくして成長なし』をキャッチフレーズにしていたが、その真意は『失業と飢餓の恐怖なくして成長なし』というものである。『改革なくして成長なし』とは、『貧困なくして成長なし』と言い換えても良いのである。新自由主義の傭兵たちは「改革を止めるのか」とたちまち牙を剥く。それは「失業と飢餓の恐怖」を創り出さなければ、より豊かな富を手にすることができないと信仰しているからである。』
彼の考えをくわしく学びたい人は、次の三つの著書を推薦する。「人間回復の経済学」(岩波新書)「『分かち合い』の経済学」(岩波新書)「教育再生の条件」(岩波書店)(くわしくは、「えのさんの綴り方日記」の講演会の記録・ホームページを検索)
そんな波瀾万丈な時に、今年度も豊島作文の会は、スタートを切った。
豊島作文の会は、今年度も今まで以上に、下記の目標を大切にして歩いていく。
1.目標
*子供たちが、自然や人間や社会に自ら積極的に関わり、現実を しっかりとらえることができるようにします。
*こどもたちが自分の表現したいことを、正しく豊かな日本語を 使って、書き表すことが出来るようにします。
2.具体目標
(1)誰もが、何でも言い合えるクラスの一員として、自覚できるクラスを目指します。(学級集団作り)
(2)こどもたちが、生活の中から、値打ちある題材を選び出す力をつけます。(題材論)
(3)日記指導を大切にしながら、生活のしぶり、書きぶりの良さを赤ペンで認めながら、書く意欲を伸ばしていきます。(自主的作文指導)
(4)指導題目を学期に1回程度は立てて、「指導過程」を大切にしながら、「ひとまとまりの文章」を綴らせます。(意図的・計画的作文指導)
(5)「ある日型」の1回限りの出来事を、ていねいに書かせます。
同時に、高学年は、「いつも型」のたび重なる出来事を説明するような文章に挑戦させます。
(6)詩を書かせることを大切にしながら、その実践を提案します。
(7)作品研究をし、値打ちある作品を読みあいます。「日本児童・生徒子ども年刊文詩集」「東京の子」
(8)作文教育の指導理論を学習していきます。「作文と教育」など。
(9)全国大会や東京大会や国分一太郎研究会(山形と東京)に積極的に参加していきます。本年度は、日本作文の会の全国大会が東京で行われます。5月の巡回講演(田中定幸さん)には、新しい会員を増やすチャンスでもあるので、力を入れます。
(10 )若い人が、職場に増えてきているので、作文教育の大切さを訴えていきます。この会にも、積極的に誘うようにします。
2010年度 豊島作文の会 活動計画 定例の会を基本的には、第( )土曜日。土曜授業開始の区は、第3土曜日が多いのではないか。
名前は敬称略。
例会回数 月日(曜日)と内容 提案者
458回 4/9(土)10年度反省・まとめ・会計報 片桐・榎本豊
11年度方針と計画・名簿作成 鈴木・榎本典
459回 5/14(土)巡回講演・田中定幸さん 田中定幸
460回 6/4(土)または11(土)
461回 7/2(土)または9(土)
7/23(土)~24(日)
国分一太郎研究会(山形東根市)
7/29(金)~7/31(日)
第60回作文教育全国大会(東京)
462回 9/3(土)または10(土)
463回 10/1(土)または8(土)
464回 10月か11月の土曜日にする。
第4回国分一太郎研究会へ合流
465回 12/3(土)または10(日)
466回 1/7土)または14(日)
467回 2/4(土)または11(土)
468回 3/3(土)または10(土)
1.例会 例会は、原則として、月1回の土曜日とするが、提案者の都合を確認の上で決定していく。第3土曜日は、避ける。
2.会場 豊島区立池袋小
3.組織 代表 伊藤(池袋小) 会報 桐山 工藤 榎本豊
会計 榎本典子 名簿 鈴木
東作協 桐山 榎本豊 庶務 片桐
4.会費 年間 3000円とする。1回出席については、300円とする。
5.夏の一日学習会はどうするか。全国大会に向けて、そちらに力 を入れる。
6.国分一太郎「教育と文学」研究会11月の3つの日付から選択
(文 責・榎本)