子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月20日(月)本間繁輝さんの偲ぶ会

1月20日(月)本間繁輝さんの偲ぶ会

 昨年の11月30日亡くなったことを、奥様からの連絡でわかった。ちょうど、福岡の解放教育」研究会に参加し、会を終えて別府温泉に友人3人で宿泊をしているところへ連絡が入った。お葬式は家族で営むので、色々な方に連絡しないでも良いとのことであった。しかし、亡くなった事実だけは伝えようと、「日本作文の会」と、何人かの人には、亡くなったことだけは連絡した。旅から帰り、もう一度奥様に連絡を取り、家族葬の所にお邪魔したいと頼んだら、「ありがとうございます。」というご返事だった。そこで、理論研究会のメンバーと、桐山さん、中川さんには連絡を取った。何とか、そのお葬式に参加できた。そこで、来年の1月に「偲ぶ会」をしたいと言うことを伺った。その日が、1月18日(土)に行われた、何回かの打ち合わせで、私が司会をすることになった。100人近くの人たちが、ご会葬に来てくださった。その日の司会の流れだけを、ここに記録しておく。

本間繁輝さんを偲ぶ会

開 式 13時
司 会
 ただいまから、『本間繁輝さんを偲ぶ会』を始めます。司会は、榎本豊が勤めさせていただきます。本間繁輝さんとは、作文教育を実践する中で、大変お世話になりました。特に1991年度から『作文と教育』の編集長になられました。たびたび原稿の依頼をしていただき、細かな指導までしていただきました。その間、国分一太郎先生のご自宅での『綴方理論研究会』でも、常にご一緒させていただいた仲です。最後までご協力よろしくお願いいたします。
 最初に、遺影に黙祷を捧げますので、ご起立お願いいたします。
 黙祷(1分間) ありがとうございました。おかけください。
13時5分
 次に、本間繁輝さんの「病歴並びに経過報告』をご長男の本間淳平様からご報告があります。(ありがとうございました。)
13時15分

思い出を語る 一人5分間

 本間繁輝さんは、幅広いお付き合いがあり、本来ならば、多くの方々に思い出を語っていただきたかったのですが、時間の関係で6人の方に絞らざろうえませんでした。その点をお許しください。最初に、乙部武志様にお願いします。乙部さんは、日本作文の会の常任委員を長らくご一緒された方です。また、本間さんは、日本書籍で、乙部さんは学校図書で、それぞれ小学校の国語教科書の編集をされ、ともに切磋琢磨された仲でもありました。亡くなる半年前までは、乙部さんのご自宅で、『綴方理論研究会』を奥様とご一緒に参加もされておりました。それでは、よろしくお願いいたします。
(ありがとうございました。)
13時21分
 日中文化交流会の佐藤純子さんにお願いします。本間さんは、日中文文化流会に長らく関わっておられました。奥様の恵美子さんのお父様は、日中文化交流協会の理事長を勤めた、宮川寅雄さんです。その関係で、本間さんは、監査のお仕事をされておりました。
 それでは、よろしくお願いいたします。 (ありがとうございました。)
13時27分
 続きまして、依田逸夫さんにお願いします。依田さんは、町田市立鶴川第4小学校時代の同僚でした。本間さんが、日本作文の会で作文教育に、依田さんは、図書館協議会で読書指導に力を注いでこられた方です。本日は、出席できなかった古藤洋太郎さんと3人で、『入門期の国語教室』という本も執筆された仲でもあります。それでは、よろしくお願いいたします。 (ありがとうございました。)
13時33分
 続きまして、佐野哲史さんにお願いします。佐野さんは、『町田作文の会』創設者の本間さんとともに、現在も続いておる『町田作文の会』を一緒になって育ててこられた方です。『町田の子』の編集に携わったり、町田市の小学校国語部長であった本間さんの後を継いで、国語部長を勤めた方でもあります。それでは、よろしくお願いいたします。 (ありがとうございました。)
13時39分
 続きまして、米屋陽一さんにお願いします。米屋さんは、品川区立大原小学校時代の教え子さんです。東京に出てきて、初めて担任した時に受け持たれた方です。それでは、よろしくお願いいたします。 (ありがとうございました。)
14時05分
 続きまして、成子諒(りよう)さんにお願いします。成子さんは、町田市立鶴川第2小学校時代の最後の教え子さんです。それでは、よろしくお願いいたします。 (ありがとうございました。)
14時11分
 本日残念ながら出席できなかった、古藤洋太郎さんからお手紙が届いております。
 本人に変わりまして、代読を町田作文の会の小柳光雄さんにお願いします。
(ありがとうございました。)
14時15分
 ここで、たくさんの電報や手紙が届いております。本間さんご夫妻は、中国の上海大学で日本語の教師になられました。まだ、国交回復をしていない196○年のことでした。その後、文化大革命が起こり、やむなく日本へ帰らざるえなくなりました。縁あって今から9年前に、本間さんを団長にして、『日本教育者友好訪中の旅』を16人の仲間でしました。日中文科交流協会の後援をいただいて、通訳に小坂裕二様を秘書長として同行していただき、楽しい旅をすることが出来ました。そのときに、南京市を訪ねたときに、本間さんの教え子さんたちが、中国本土全域から集まり、我々一行を温かく迎えていただきました。実に半世紀近くの再会の方もおりました。そのときに、中心になって連絡を取ってくださった方は、沈才元さんでした。今回の訃報の連絡を受け、中国全土からお悔やみのお手紙がたくさん届いております。一昨日も、沈才元さんから2度目のお手紙が届きました。その中で、高野根さんという方は、A4の紙で、『恩師本間繁輝先生を偲ぶ』と10ページ書いて送られてきました。私もその文を読み、胸を熱くして読むところが何度もございました。
14時20分
 今回は、その中のいくつかを、副団長として一緒に参加した田中定幸さんから紹介していただきます。 (ありがとうございました。)
14時30分
 次に『お礼の言葉』が奥様の本間恵美子様よりあります。よろしくお願いします。
(ありがとうございました。)
最後に、本日ご出席の皆様から、『献花』をお願いいたします。

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