子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

1月4日(土)突然の訃報

1月4日(土)突然の訃報

今年もたくさんの年賀状をいただいた。その中で、今年41才になる小梅小時代の教え子の二十里恭子さんから年賀が届き、箱崎絵里さんの訃報を知ったのだった。それも、昨年クラス会を開いた、9月28日(土)の2日前になくなったとのことだった。今回は、人数が少なかったのであるが、みんなで旧交を温めた。私のホームページのことが話題になり、渡辺和宏君が話題を提供してくれた。そのときに、箱崎絵里さんの書いたらしい文章が載っているので、連絡を取って電話をしたということを話していたのだった。
 その文章は、忘れえぬ思い出の詩の中に載せてある。渡辺君がいつ頃彼女に連絡を取ってくれたのかは、そこで確かめなかったが、彼女はこの文章を読んでくれたのだろうか。

忘れえぬ思い出の詩・その9

12月16日(日)
○ ○ ○ ○ 墨田区立小梅小学校 一年 女子
 せんせい、あのね。きのうね、おかあさんとすみだこうえんえいったの。たのしかったよ。おにいちゃんもいったのよ、うれしかったの。またこんどいくの、たのしみよ。あさっていくのよ。えりうれしいの。すみだこうえんいったら、つりわっかやるの。おとうさんが、せんせいにあいたいって、せんせいもみてやってね。みたがってんの。
1980年 5月作 「こうめの子4号」より
 彼女は、1・2年を担任して、5・6年でも担任した子どもであった。「先生は、1・2年生の時は、とってもやさしかったのに、五年の担任になったらちょっとこわくなった。」と、彼女のお母さんに道で会ったら言われてしまったことを覚えている。卒業してから、おとうさんと一緒にお酒を飲んだ記憶がある。卒業してしばらくたって大学生になったときに、柳島小学校の夏休みのプール指導員になっていただいた。3年前に結婚しましたという幸せそうな葉書をいただいた。
 小梅小での最後の二年間は、4クラスあったので、四分の一の子供達は、四年間担任することになった。
 このホームページは、5年近く前に載せたものである。

 昨日、幹事の一人である、小林秀徳君にメーるを送った。すると、彼が色々手配をし、渡辺君にも連絡を取ってくれた。
 渡辺君は、この詩を私のホームページを読み、箱崎さんに伝えてくれたのだろう。確か、お父様も、2年ほど前に亡くなられたという連絡が入った。お母様も、さぞかし無念であったに違いない。心からお悔やみ申し上げたい。今、何人かが連絡を取り、箱崎さんの家にお線香を上げに行く準備をしてくれている。もちろん私も、一緒に参加したい。

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