子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月27日(火)作文という言葉は、知らない

11月27日(火)作文という言葉は、知らない

 私は、週に1度(日曜日)、試合が近くなると週に2度(土曜日・日曜日)午前中2時間半子どもたちにソフトバレーボールを教えている。対象は、地域の小学生の女子である。その子どもたちに、練習が終わってから、「学校で、作文の勉強してる?作文て書いたことある?」 と聞いてみた。「作文てなあに?」という子供もいた。もう子どもたちからは、「作文」という言葉は、消えている。教科書から「作文」という言葉が消えて、20年。改めて、子どもたちの反応を聞いて、現場から「作文」という言葉は、なくなってきていると言うことを実感した。

読書感想文は、夏休みにの課題 

「では、読書感想文というのを書いたことある。」と聞くと、「ああ、夏休みの課題でいつも書いている。」という答えであった。つまり、子どもたちに学校の授業の中では、「文章を書く」(作文)と言うことは、夏休みの課題に回されて、あとは家庭の方に丸投げになっているのが多いようだ。これでは、夏休みの課題の読書感想文は、子どもやその保護者にとっても難解な課題なのだろう。だいたいふだんの文章の書き方の基本の書き方をまったく習わず、いきなり読書感想文とは、しんどい宿題なのだ。だから、アエラの特集は読んでないが、多分こんな宿題は、辞めた方が良いという考えが強く書かれたのではないだろうか。

私が子どもたちに文章を書かせ始めたのは

 それは、「日記」を、子どもたち全員に持たせて、学校生活で心に残ったこと、家に帰ってから心に残ったこと、何でもよいから書いてくるようなことを始めた。今考えてみると、ずいぶん乱暴なやり方から始まった。本当ならば、「文章を生き生きと書かせる8つの大事なこと」を1つずつ丁寧に教えていきながら始めた方が、子どもたちには、抵抗なく進めたに違いない。しかし、このやり方は、子どもたちに日記や作文を書かせていく過程でおぼえたやり方なのである。

日記は楽しい

 いざ始めてみると、私はすぐに日記のとりこになってしまう。40人近くの子どもたちの文章を読んでると、かならずどんな文章にも、ダイヤモンドのように光っている「ものの見方・考え方」が書かれているのである。そういう文章に出会うと、うれしくなり、赤ペンでそのことを書いたことを大いにほめた。ときには、クラスのほかの子どもたちにも知ってほしいので、すぐに文集にプリントしてよみあったり、日記帳をそのまま読んで聞かせたりした。すると、読まれた子どもの文章は、次には、格段と丁寧に思い出して書いてきた。このようにして、私の作文(生活綴方)教育は始まった。

ジャンル作文は、昔からあった

 その頃も、文部省の御用学者は、ジャンル作文(報告文・見学文・手紙文など)の方が、子どもたちは、自由に何でも書けるというような考えを主張する者がいた。しかし、70年代、80年代は、民間側の意見の方が活発で「教科書」の自主編成がさけばれたりしていた。また、教科書の編集委員の中に、日本作文の会の常任委員の人が、1人か2人必ずいて、作文単元を大事に編集していた。「光村」という教科書だけは、現場の教師は、ほとんどいなく、大学教授ばかりが今でも並んでいる。

教科書の採択方法が改悪

 教科書が新しく編集されると、必ずどの会社のものが使いやすいかと教科書展示場に出かけて、現場の教師が手にとって選んだ。戦後最初の頃は、各学校ごとにどこの会社のものがよいかと決めていた。しかし、子どもが転校などをしたときに、困るので、東京では、区市町村ごとの採用になる。そこで、各学校ごとに選んだものを集計して決めていた。東京方式と言って、もっとも民主的な採用方法であった。その頃、東京でもっとも採用されていたのは、日本書籍という会社の本だった。しかし、採用の方法が改悪され、教育委員会からの要請を受けたものが選ばれて、現場の意向が無視された。このことによって、日本書籍は、教科書の編集から撤退していった。文科省の「学習指導要領」にもっとも忠実な「光村」という会社の教科書が7割以上の採用になっている。その割合は、日本全国でも同じような傾向である。

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