子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

12月12日(水)人生の贈りもの その2

12月12日(水)人生の贈りもの その2

(人生の贈りもの)経済学者・政府税制調査会長代理、神野直彦:

2 お金で買えないものを大切に

――浦和市(現在のさいたま市浦和区)の生まれ。ルーツは名古屋だそうですね
 祖父の亀吉の家は名古屋の神主です。祖父は、祖父のおじが営む名古屋の繊維問屋で働いた後、東京・浅草で繊維問屋を興しました。織物の生産工場を埼玉県内にいくつも造り、大正から昭和初期にかけて県の長者番付の上位に出ていました。
――神野さんは「おじいさんの生まれ変わり」だとか
 祖父は太平洋戦争中、繊維工場を軍需用に転換しなかったため、原料の綿を回してもらえなくて事業は没落しました。体も弱ってしまい、1944年2月14日に亡くなります。私は2年後の2月9日の生まれなので、祖父の生まれ変わりだと。小さい頃、母の君枝に「おじいちゃんが守ってくれるから」と言われ、心強かった。
――お父さんはどんな人でしたか
 母は一人娘だったので、父の廉平は埼玉・白岡の地主の家から婿養子になった。九州帝大で農芸化学を勉強し、東京・王子の醸造試験所に酒の等級を決める技官として勤めました。一日中、酒を飲むのが仕事。「これじゃあ、死ぬ」と思い、30代後半に埼玉県庁に転職して農業技術員になりました。
――神野さんは小さい頃から本を読みあさりました
 赤ん坊のときから、カメラを向けられると「こんな世の中に生まれて良かったのか」とでも言うように、いつも泣いていたそうです。物心がつくと、死への漠然とした不安を抱えるようになりました。小さい頃から本を読みあさったのは、母がふんだんに買ってくれたのもありますが、死への不安を克服したかったため。人間や宇宙の歴史、自然科学、社会科学などあらゆる本を読みました。
――裕福な家に育ちました
 母に「お金で買えるものはなくしてもいいが、買えないものはなくしてはいけない」と教え込まれました。友達や愛情、時間を大切にしなさいと。祖父は財をなすときに資金繰りで苦労したので、母には「孫に金もうけはさせるな、偉くさせるな」と言っていたようです。
 小学3年のとき、空き地で野球をしていて、さあ帰ろうとしたら、近くにとめてあった自転車の鍵が見つからない。探しているうちに暗くなって家に戻ると、母は「自転車はお金で買えるから捨ててもいい。それより、私がどれだけ心配したことか。そっちの価値の方が大事です」と。
――その教えをずっと守ってきたのですね
 おかげで、だらしない人間になりました。お金で買えるものはしょっちゅうなくす。財布もよくなくすので、財布にひもを通して上着の内ポケットに結び付けてあります。以前、新幹線の窓側に上着をつるして読書していて、ふと気付くと、財布が内ポケットから垂れ下がっていたことがありました。前に座っていた客がいなくなっていて、5万円のお札も消えていました。(聞き手・西前輝夫)

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