子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2月17日(月)わたしの好きな批評家

2月17日(月)わたしの好きな批評家

 わたしの好きな批評家で、斉藤美奈子さんという人がいる。東京新聞では、毎週水曜日のコラムを担当し、世の中の動きを鋭くえぐってくれている。今回は、朝日の『紙面批評』を担当し、鋭く朝日新聞を切っている。それを載せた朝日も、立派だ。以下、その文章である。

◇「沖縄の怒り」弱い東京紙面 地方の熱気を伝えてほしい

 衆参の「ねじれ」が解消されて以来、特定秘密保護法の強行採決からNHKの会長人事まで、やりたい放題の安倍晋三政権。それなのに国政選挙は2年半後までない!
 この状況で従来になく大きな意味を持つようになったのが地方自治体の首長選である。稲嶺進市長が再選された沖縄県の名護市長選(1月19日)が全国的に注目されたのも、安倍政権への信任を問う意味が含まれていたからであろう。
 普天間飛行場の移設問題に関しては、同じ朝日新聞でも、九州・山口・沖縄エリアで発行されている西部本社版と、東北・関東甲信越エリアを対象とした東京本社版との間で、そもそも温度差があった。
 沖縄県を地盤とする自民党の国会議員5人全員が「辺野古移設」を容認した翌日の2013年11月26日。東京と西部紙面は別の見出しでこれを報じたが、西部の社会面はさらに「引き裂かれる沖縄/『県外』ほご あぜん/最悪は普天間固定」として「公約転換は政治家として、とても恥ずかしい。彼らが失うものも多いだろう」(那覇市の翁長雄志市長)など県内の怒りを紹介した。
 沖縄県の仲井真弘多知事が国による辺野古の埋め立てを承認した12月27日。夕刊社会面はこれに抗議する県民の行動を伝えたが、西部の記事にはあった、県庁から市民を閉め出す県の「厳戒態勢」を報じた部分は(物々しい警備態勢を写した写真も)東京最終版では削られた。

「沖縄の怒り」が共有できない

 全国紙が「地方のニュース」を扱ううえで限界があるのはわかる。しかし、西部紙面が報じたような選挙前からの「沖縄の怒り」が共有できないと、名護市長選で稲嶺氏が勝った本当の意味もわからない。
 沖縄県には沖縄タイムスと琉球新報という気骨のある地方紙が2紙も存在し、県内で朝日などの全国紙が広く読まれているとはいいがたい。他の道府県においても地方紙の力は絶大である。だとすれば、全国紙の使命は県外の読者に「地元の熱」を伝えることなのではないか。

舛添要一氏の公金流用疑惑や差別発言問題

 その意味では、9日に投開票が行われた東京都知事選も、全国の読者が固唾(かたず)をのんで見守っていたはずである。が、今回の都知事選で新聞やテレビはほとんど機能しなかったに等しい。有力候補者の公約や演説の断片を「公平に」「中立に見えるように」並べただけ。街頭演説に集まった人々の熱気の差も、各陣営の支持者名や彼らの応援の弁も、宇都宮健児氏と細川護熙氏の支援者の間で起こった真摯(しんし)な論争も、選挙期間中に浮上し、当選後は必ず追及されるであろう、舛添要一氏の公金流用疑惑や差別発言問題も報じなかった。特定の候補者を利する報道は控えるという判断は理解する。が、「伝えないこと」が有利に働く候補者もいることをどう考えるかである。

名護入り石破氏の賭け

 名護市長選の終盤で自民党の石破茂幹事長の「500億円の振興基金構想」を伝えた記事(1月17日「名護入り石破氏の賭け」)は大きなインパクトを与えた。同様の批判精神が、都知事選の報道ではなぜ発揮されなかったのか。
 それでなくても全国紙は政府目線になりがちだ。名護市長選を受け「今度は本土が意思を示す番だ」(1月20日「本土につきつけた『NO』」)という那覇総局長のメッセージに都民は応えられなかった。

お行儀のよい傍観者

 投票率の低さは雪のせいだけではあるまい。選挙の熱を伝えず「お行儀のよい傍観者」を決め込む限り、新聞は存在価値を失い、ますます有権者に見放されるだろう。国と地方の「ねじれ」は政治を変える原動力になる可能性を持つ。この先も各地で予定されている首長選。地方発の熱い報道を私たちは待っている。
斉藤美奈子 2/11(火)朝日新聞 朝刊

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