子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2007年度の作品

2007年度の作品

低学年

ぼくのおねえさん   一年 男子

 ぼくには、おねえちゃんがいます。ひめちゃんは、三ねんせいです。がっこうにくるときは、いつもいっしょです。はなしをしながらくるのでたのしいです。ひめちゃんは、やさしい人です。だからぼくは、大すきです。ぼくがこまっているときは、たすけてくれます。べんきょうでわからないことがあると、ていねいにおしえてくれます。
 ぼくは、ひめちゃんのことをすごいなあとおもうことがあります。ひめちゃんは、ぎゅうにゅうをたくさんのみます。ぼくは、そんなにのめません。ピアノもじょうずです。ときどき、いっしょにれんしゅうします。あと本をいっぱいよみます。まえにいっしょに本やさんへいきました。ひめちゃんがかった本は、かん字がいっぱいあるあつい本でした。ぼくも三ねんせいになったら、よんでみたいです。一ばんすごいところは、しゅうちゅうしてべんきょうするところです。
 ぼくとひめちゃんは、ほとんどなかよしです。でもたまにけんかをします。このまえは、ひめちゃんがしゅうちゅうしてえをかいていたのに、ぼくがおねえちゃんのうしろからのぞいてじゃまをしました。ひめちゃんがおこって、
「やめてよ。」
といいました。
ぼくは、
「ごめんね。」
といってあやまりました。ひめちゃんが、すぐに
「いいよ。」
といって、ゆるしてくれてよかったです。ぼくのおねえちゃんが、やさしいひめちゃんでよかったです。

Aくんもてんこう生 二年 男子

 九月のげじゅんのころから、Aくんがいきなりぼくにむかって、
「いやなてんこう生。」
と言ってきました。そのときぼくは、
(じぶんもてんこう生で、年下なのに、すげいいやなやつ。)
と思いました。
 十月の中じゅんのころでした。Nちゃんとけんかをしているとき、Aくんは、ぜんぜんかんけいないのに、
「本とう、いやなてんこう生。」
とまた言ってきました。そのとき、ぼくは、もうがまんができなくなったので、
「じぶんもてんこう生だろう。ああ。」
と言いました。そしたら、ぜんぜんかんけいないNくんと、Hくんがぼくに、
「Aくんの言うとおり、本とういやなてんこうせい。」
とAくんのまねをして言ってきました。二人は、ちょくせつかんけいないのに、Aくんが二人にみかたにしたので、はらがたちました。だからぼくは、Aくんに、むりやりはらをキックし、次にせなかをパンチして、あたまをぶんなぐりました、そしたら、Aくんがないてしまいました。ぼくは、
(やったあ。Aくんがないた。)
と思いました。そばでみていた人は、Aくんのみかたになってしまいました。
ぼくは、ぼうりょくでなかしてしまったのは、わるかったです。でも、みんながAくんのみかたになったのは、くやしかったです。そばでみていたK先生が、二人のあいだに入って、
「たたいたり、けったりしたのはいけないよ。」
とぼくをおこりました。そのあと、
「いやな転校生って言っちゃいけないよ。」
とこんどは、Aくんをおこりました。そのあとK先生が、
「二人とも、なかなおりして、あくしゅをしなさい。」
と言ったので、二人であくしゅをして、なかなおりをしました。
 みんなたいせつなお友だちです。今は、T小学校に、ちょっとずつなれてきました。また、東京生活は楽しいです。一日が、あっというまにおわっちゃうほど、楽しい生かつです。

中学年

いじめをされたこと 三年一組  男子

 学芸会の少し前のことでした。昼休みに友達が、サッカーをやっていました。ぼくは、サッカーがやりたくなったので、大木さんに、
「ぼくもいれて。」
といいました。けれど大木さんは、ぼくの方を向いて、すぐサッカーを始めちゃいました。ぼくが聞いていたのに、だまってひろしさんの方に行ってしまいました。ぼくが、一番きらいな、こしょこしょばなしを大木さんが、ひろしさんにしました。ぼくは、
(ぜったい、こしょこしょばなしをするぞ。)
と思っていました。大木さんは、だまってサッカーをやっていました。
「いれてよ。」
と何回いってもむだでした。ぼくは、かなしくなって、泣いてしまいました。しかし、十分くらい泣いていても、だれも気づいてくれませんでした。だけど、やっと四年生の宮本くんが、ぼくのそばにきて、
「よしゆき、だいじょうぶ。」
と言ってくれました。けれど宮本くんがつよく、ぼくの首をしめたので、また泣いてしまいました。ぼくは、心の中で、
(ぜったい、しかえししてやる。)
と宮本くんにたいして、くやしいきもちでした。少したつと、宮本くんは、いなくなりました。ちょうどその時、ひるやすみの終わりのチャイムがなりました。ぼくは、なくのをやっとこらえて、きょうしつにもどりました。
 つぎのじゅぎょうは、がくげいかいのれんしゅうでした。だけど、ぼくの心には、きずがついて、楽しくもないし、うれしくもないし、元気もないし、声もひくくなりました。
 じゅぎょうがおわって、心細く一人でかえりました。その時、かたをたたいてくれたのが、こしょこしょばなしをした森ひろししさんでした。
「さっきは、ごめんね。」
といってきました。ぼくは、
「もう、二度とやらない。」
とひくい声で、ひろしさんにいいかえしました。ひろしさんは、
「二度とやらないから、かえろう。」
と言ってくれました。ぼくは、
「かえろう。」
と、きもちがすっきりしたから、高い声で言いました。それで、いっしょにかえりました。

優しくしてもらった言葉 四年一組  女子

 十月中じゅんごろに、体育ができなかったので、六時間目に、自由遊びで、私はサッカーをしていました。私と、ふみやさんやゆめさんや山崎さんなどでした。相手は、たけしさんやまさかずさんやあき男さんなどでした。私は、何回もボールをけることができました。しばらくたってから ふみやさんが、
「おれサッカーやめる。」
といいました。ばばさんやみのるさんがやっていた野球の方へ、行ってしまいました。すぐに試合が始まり、私がボールをとろうとしたら、私の足がたけしさんの足をけってしまいました。たけしさんは、ころんで、大きな声で泣いてしまいました。いっしょにやっていたゆめさんや正和さんが、
「たけし、どうしたの。」
と聞きました。泣きながら、たけしさんが、
「みなみが、足を引っかけたんだよ。」
とどなるようにいいました。そうしたら、ゆめさんと山崎さんが、サッカーをやめて、
「山崎、野球やりに行こう。」
とゆめさんがいいました。まさかずさんも、
「おれ、サッカーやめる。」
といって、みんな行ってしまいました。私とたけしさんの二人だけになってしまいました。私は、何回も、
「たけし、ごめんね。」
とあやまっても、聞いてくれませんでした。もっと大きな声で泣いていました。私は悲しくなって、私の目からは、涙がぽろぽろ落ちてきました。
 職員室から小走りで出てきた内藤先生が、
「どうしたの。」
と聞きました。私は、
「私が、足を引っかけて、転んだんです。」
となきながら言ったら、内藤先生が、
「たけしもそんなに泣かないの。」
と言いました。たけしさんは、保健室に行きました。内藤先生が私に、
「大森さん、顔洗ってらっしゃい。」
と言われたので、言われたとおりに、顔を洗いに行きました。洗い終わると、内藤先生が、
「大森さんと、いつもいっしょに帰っている人。」
と聞かれました。そばを通りかかった明子さんが、手をあげました。私が、職員室の外の所に鼻をすすりながらすわっていました。そこへ榎本先生が、
「どうしたの。」
と聞いてくれました。内藤先生が、事情を話してくれました。校門を出る前に内藤先生が、
「明子、何でも相談に乗ってあげなさい。」
と言っていました。明子さんが、
「大丈夫、いつもママの相談にのっているから。」
と言って帰ろうとしました。すると、一輪車に乗っていた同じクラスのななさんが、
「大丈夫。」
と聞いてくれました。私は、
「うん。」
とうなずきました。優しい言葉をかけてくれたので、うれしかったです。校門を出て、私は、明子さんに、
「ふるえがとまらない。」
と言ったら、明子さんが、
「大丈夫。」
と聞いてくれました。それから、いろいろ話をしながら、私の家の近くまできました。私が、
「どうしよう。泣いて帰ったら、母に怒られる。どうしよう。」
と言いました。
「みなみのお母さんが、家にいたら、私の家においでよ。私ゆっくり歩いているから。」
と言って、私は家に帰りました。私の予想通り母は、テレビのある部屋へ行きました。私は、鼻水をすすりながら、だまって部屋に入りました。私の顔を見ながら、母が、
「そんなに泣かないの。」
と言われてしまいました。母のことばをむしして、そのまま、明子さんの家へ向かいました。
 次の日、学校へ行くと内藤先生に会いました。
「たけしさんは、保健室で、にっこりだったよ。」
と内藤先生に言われました。私は、その話を聞いて、安心しました。

高学年

私の友達   五年一組  女  子

 私は中国の、牡丹江市から日本へやってきました。私の祖母は、残留孤児で、私の父の母親です。祖母が私たちを日本に呼んでくれたのです。半年くらい中国センターで過ごしました。そこで、日本語を習っていました。少しは日本語が話せるようになりました。
 今から一年以上前の、六月頃に今の堤小学校に転校してきました。転校してからも、なかなか友達ができませんでした。私は、中国人なので日本語を少ししか話せませんでした。それが原因だと思っていました。しかし、原因はそうではなかったのです。私は、体育がにがてだったので、いつも同じ班の子たちに迷惑をかけていました。ある時、大なわとびの授業がありました。やはり、できなくて班の友達に迷惑をかけてしまいました。私は、母と父に、
「大なわ飛びができない私はどうすればいいの。」
と相談しました。父は、
「明日からがんばろう。大なわとびぐらいできないとね。」
と、いいました。その次の日、私は、一日かけて、大縄とびができるようになりました。その時から、友達から話しかけられるようになりました。私は、とてもうれしかったです。
 毎日一人ぼっちの私を助けてくれたさいしょの友達は、石さんでした。みんなが私の話がわからないとき、私の話をせつめいしたり、何をするのかわからない時、教えてくれたのは石さんでした。とっても、優しい目をしていて、私に親切にしてくれました。でも、つい最近、けんかをしてしまいました。
 私は、中国で一回けんかをしたことがありました。その時は、みんなから悪口をいわれ、毎日ないていました。石さんとのけんかの原因は、私が急に用事ができて、約束の場所にいけなっかたのです。石さんとけんかしたことを、母に話しました。母は、
「友達でも、ぜったいけんかはあるよ。心配しないで、大丈夫だか ら。」
と、やさしく教えてくれました。石さんと話ができなかったときは、とても寂しく思いました。そんな時は、もうひとりの友達とメールをしたり、電話をしたりしました。その人の名は、りかさんです。その後、石さんとは、事情を説明して、仲直りをしました。それから、たくさん友達ができました。本当に友達ってすてきなものだなと思いました。
 友達だから、けんかする。
 友達だから、あいてのきもちがわがる。
 友達だから、毎日話す。
 友達だから、助け合う。
 寂しいとき、友達がいないとつまらない。
 本当に友達は大切です。本当に友達はいいものだとわかりました。今までの友達、毎日遊んだ日にありがとう。

男子が悪口を言っているのに、何も言えなかった 6年 女子 

        
 五年生の時、押上小から、大津さんが転入してきた。休み時間、絵を描いていたので、近寄って絵を見た。すると、すごくうまかったので、
「うっま。」
と言うと
「ありがとう。名前何て言うの。」
と聞かれたので、
「明歩って呼んで。」
と言って友達になった。
 そうじの時間になった。同じ班だったので、同じ場所のそうじだった。教室の掃除で、山本先生がいないとき、吉田君や村山君が、
「おい。天パー。」
と大津さんのことをからかった。
「天パー。あ~うちが。」
と大津さんが笑いながら、言っていた。
(がまん強いなあ。)
と思った。もし私なら、言い返していただろう。
「はあ、あいつあたまおかしいんじゃん。」
と吉田君に、大津さんが言われていた。
(まだ来たばかりなのに、ひどいこと言うな。)
と思った。でも、
「ああ。うち頭おかしいもん。」
と言い返しながら笑っていた。
(どうしても、いつも笑っていられるんだろう。)
と思っていると、村山君が大津さんに近づいて、足をけっていた。
(何もやってないのに、ひどいなあ。)
と思った。それでも大津さんは、笑っていた。私が代わりにやり返したくなってきた。
でも、私には、出来なかった。そうじの時間が終わり、大津さんに、
「何でやり返さないの。」
と聞くと
「前の学校にも、同じような人いたし、そういう人に何言っても、むだだもん。」 
と言った。
(大人だなあ。)
と思った。
 次の日から、長島君まで天パーと呼ぶようになった。私は、
(みんなで悪口を言わなくてもいいのに。)
と思った。
(大津さんは、何をされても笑ってるけど、どうしてそんなに笑っていられるんだろう。)
と思った。
 それから二,三日たつと、笑うだけじゃなくて、私たちのことも笑わせてくれる、楽しい人だった。だんだんみんなと仲良くなってきた。
   次の悪口
 今度は男子に、
「黒人。」
といって、からかわれていた。
(何でそんなに、大津さんのことばっかりからかうんだろう。)
と思った。すると大津さんが、
「しょうがないよ。うちもとから黒いもん。」
と言っていた。わたしは大津さんの話を聞いて、
(前向きだなあ。)
と思った。毎日のようにからかわれていた。そのうち、ぶったりけったりされていた。でも、大津さんは、泣かなかった。
(強いなあ。)
と思った。男子のからかいに対して、相手にしない大津さんだったので、いじめも、だんだんなくなっていった。一ヶ月もたたないうちに男子と大津さんは、仲良くなっていた。でも、たまにけられたりしている。やり返したりもしているけど、やり返すと、またやり返されるので、やり返さないときもあった。やり返して、走ってにげるときもあったりしていた。まだ来たばかりなのに、とってもひどいことを言ったり、やったりしている。それを見ていて何もかまってあげられないことが、とってもくやしかった。
   終わりに
 今では、男子とも仲良くなり、相変わらず、毎日笑って、過ごしている。大津さんは、ゆるしているみたいだけど、あんなにひどいことをされて、あやまってもいないのにゆるしていいのかなあと、すごく不思議に思っている。これからは、いじめられている人がいたら、勇気を出して、関わっていきたい。

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