子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2009年度の作品

2009年度の作品

低学年

Mと花のけんかのはなし 一年    女子

 このまえ、Mせんせいが、しゅっちょうで いませんでした。こくばんに、
「みんな なかよく すごしてね。」
って、かいてありました。
 わたしは、二十ぷん休みに、ともだちみんなで、ハンターごっこを しました。
 とちゅうから、つまらないので、
「おにごっこする人、このゆびとまれ。」
って、いいました。みんな とまりました。そのときです。花さんもきて、とまりました。わたしは、花さんとは、いつも けんかしちゃうので、
「花はダメ。」
っていいました。花さんは、ないて、二ねんせいのSくんたちに、いいつけました。
Sたちは、
「ももか こっちこいよ。花にあやまれよ。」
と、おこっていました。
 わたしは、ないて しまいました。でも、わたしは、あやまりたく なかったんです。
だって、けんかしたくなかったから、
「ダメ。」
って いっただけなのに、花は、ないて、いいつけたからです。
 そのまま チャイムが なったので、あやまらないで、きょうしつに もどりました。
 三じかんめも、四じかんめも、ひる休みも、なかなおり できませんでした。でも、五じかんめのたいいくのときは、なぜか わからないけど、いつのまにか なかよくなっていました。
 わたしは、けんかしちゃうけど 花とは ともだちです。

Lとけんかしていやなおもいをしたこと 二年  男子

 少し前のことでした。おにごっこをしていて、ぼくとYさんとSさんで、
「やめる。」
と言いました。フリスビーであそんでいたら、YさんとLさんが、
「なんであそんでるの。」
と言いました。ぼくは、
「もうやめてるから。」
と言いました。Lさんが、
「もう入れないから。」
と言いました。ぼくは、
「むり。」
と言いました。Lさんも
「むり。」
と言いました。ぼくは頭にきて、けんかになりました。Kさんの赤白ぼうのゴムを引っぱって、ゴムをはずしました。Lさんが頭をたたいてきました。ぼくがやりかえしました。Lさんが、なんどもせなかとか頭とかをたたいてきました。ぼくはがまんできなくなって、ボールをとりにいきました。
 Lさんにボールを当てて、Lさんがボールをけったら、ぼくはよけました。ぼくが
「ミス。」
と言いました。その後Lさんがぼくのかたをつねってきました。
 ぼくは(いたいなあ)と思いましたが、(もうなかなおりしよう)とも思いました。Lさんに、
「ごめんね。」
と言いました。Lさんも
「ごめんね。」
と言いました。

中学年

「命について」         三年  女子

 総合の学習で、「命の学習」をいろいろしました。はじめに、「皮の授業」をしました。
五枚のボードに皮がつけてありました。私は、皮だとわかりましたが、何の皮なのかわかりませんでした。一枚目は、茶色のぶたの皮でした。
(大きいなぁ。)
と思いました。二枚目は、はい色のぶたの皮でした。
(どうして、こんな色なんだろう。ぶたの色 とちがうなぁ。)
と思いました。子牛の皮を見たときは、
(子牛の皮だから、やっぱりちっちゃ。)
と、思いました。でも、皮が広がっているとでかく見えました。へびの皮を見たときは、
(ちょっと、きもい。)
と、思いました。へびのかわは、少しくさかったです。
 「ポーチ作り」では、うらと表をまちがえてつけてしまいましたが、うまく出来上がりました。ポーチのかざり付けのときに、はさみで細かいものを切るさぎょうが、難しかったです。私は、三回ぐらい失敗しました。
 「もー牛です。」という本の授業をしたこともありました。私が、考えたこともないものが、牛からできていました。ハンドクリームやせっけんなど、いろいろ牛から作られているものがありました。牛の目も使われていることも知っておどろきました。
 「きみの家には牛がいる。」の本では、牛は、しんけいを切られてしまい、そのまま殺されてしまうことを知りました。牛は、声いがいすてるところがないので、とてもすごい受けつぎだと思いました。家にもたくさん牛から受けついだものがあるので、大切にしたいです。
 「ぶたのいた教室」のビデオでは、6年生が、かっていたぶたをそつぎょうした後どうするのかを話し合っていました。最後のけつまつは知りませんが、私は、
(ぶたが、殺されてしまうのもかわいそうだし、ひとりにされてしまうのもかわいそうだなぁ。)
と思いました。どうすればいいのかを3年のクラスみんなで真けんに話し合いました。クラスでもけつろんはでませんでしたが、
私は、命の大切さを知りました。牛もぶたもみんな、命は大切なことだと思いました。
私は、これから、動物も生きているからいじめたりしない。いろいろなものを大切にする。食べ物は、残さず食べる。など、こころがけていこうと思います。

いやがらせをされたこと         四年  男子

 十一月十七日の給食のときのことでした。ぼくは担任の山中先生からトイレットペーパーのしんをもらいました。それでロボットを作ろうと思ったからです。
 そうじの時間に、ぼくはそのトイレットペーパーのしんを手に持って、ほうきで教室をはいていました。するとぼくはトイレットペーパーのしんをゆかに落としてしまいました。ぼくがそれをひろおうとしたら、それを見ていた春山くんがほうきでトイレットペーパーのしんをうって、ひろえないようにじゃまをしてきました。ぼくが春山くんを追いかけてトイレットペーパーのしんを取り返そうとしました。すると道彦くんと遠山くんも入ってきて、三人でぼくのじゃまをしてきました。三対一だったので、ぼくは取り返すことができませんでした。すると遠山くんが、
「ふんじゃおう!」
と言いました。それを聞いたぼくは、
「ふむな!」
と何回も言いました。でも、道彦くんと遠山くんがぼくの言うことを気にしないで、わざとわらいながらふんでしまいました。トイレットペーパーのしんは、ぺちゃんこにつぶれてしまいました。山中先生からやっともらって大切にしていたものだったのに、
(なんでわざとふむんだよ。)
とすごくいやな気持ちがしました。ぼくはくやしくて泣いてしまいました。
 すると山中先生がきました。
「どうしたの?」
と聞かれたので、ぼくは、
「先生にもらったトイレットペーパーのしんを、道彦くんと遠山くんにふまれた。」
と言いました。そうしたら、山中先生がすごくおこりました。山中先生は道彦くんと遠山くんと春山くんに、
「祐次くんのトイレットペーパーのしんをつぶして楽しかったか?」
と聞きました。道彦くんと遠山くんと春山くんはだまったまま何も言いませんでした。そして先生は、
「祐次くんはつぶされてどうだった?」
とぼくに聞いてきました。ぼくは、
「いやだった。」
と言いました。すると山中先生はもっと大きな声で、
「さいていだよ。人がいやがることをして楽しむんじゃねえよ!」
と道彦くんと遠山くんと春山くんにどなりました。道彦くんと遠山くんと春山くんはだまって聞いていました。
 おこられたあと、道彦くんと遠山くんと春山くんが、
「ごめんね。」
とあやまってくれました。きちんとあやまってくれたので、ぼくは、
「いいよ。」
と言いました。

高学年

祖母と祖父に会いたい 五年 女 子

 二月から、私たち家族に一つの変化が現れました。祖母と祖父が中国の南京に帰って行ったのです。ふしぎなことに、私は、
(さみしいな。)
とは思いませんでした。
 次の日、学校から帰ってきて、
「ただいま。」
と言いました。くつをぬぐと、
(あれ?)
と思いました。何か一つの行動が、足りないような気がしたのです。いつもは、私が学校から帰ってきて、ドアを閉めたら、腰が悪い祖母が、ダダダッとげんかんまで走ってきてくれるのです。私は、
(べつにいいや。)
と思いました。それから一日一日こつこつと過ぎていきました。
 一週間が過ぎて、中国に電話をしていました。トルルルルと音がして、いかにも中国っぽい音が聞こえてきました。一番最後に、私は、中国語は日本語にしました。
「中国には、なれた?」
と言いました。祖母は、
「食べ物にはなれたけど、水と空気にはまだなれないねえ。」
と、ゆっくり言いました。私は、
「ふうん。」
と言ったら、祖母が、
「やっぱり日本の水はおいしいね。空気もきれいだし、まあ だんだんなれていくさ。」
と、元気な声で言いました。私は、
「早くなれるといいね。」
と言ったら、祖母は、
「ありがとうね。」
とゆっくり言って、母に変わりました。ふしぎなことに、私は、
(だいじょうぶかな。)
とは思いませんでした。
 二週間、三週間、一ヶ月と時間はどんどん過ぎていきました。一週間ごとに電話はしましたが、
(さみしいな。)
とは、思いませんでした。むしろ、今まで祖母や祖父は、
「寒いから厚着をしていなさい。」や、「もっともっと、多く食べなさい。」と言われなくなり、自由になれて、うれしく感じました。
 今日も、中国へ電話をしました。祖母は、
「私は、りさ達に会いたくなってきたなあ、りさは?」
と聞いてきたので、私はとまどって、
「う、うん私もさみしいな。」
とうそを言ってしまいました。本との私は、少しもさみしくなんてなかったのです。むしろ、
(このままずっと中国にいればいいのに。)
と思うほどになりました。
 七月になりました。あれから六ヶ月が過ぎて、電話をすることも少なくなってきました。そして、祖母が、
「会いたいな。」
と言うことに、私は、
「うん、私も。」
と、うそをついてきました。祖母と祖父は、私を小さい頃から、かわいがってくれました。一さいころ、私が高熱を出してしまったときには、急いで病院に連れて行ってくれて、一晩中ねないで、ずっと付き添ってくれました。その時のことは、私は覚えていませんが、母に説明されて、
(うれしいな。)
と思いました。だから、私は、祖父と祖母が大好きでした。でも、私のことを心配しすぎて、私は、
(めいわくかな。)
と思ってしまったのかも知れません。
 十一月になり、少しずつ寒くなってきました。祖母は、
「冬はきらいだね、東京はいいけど、南京は、もっと寒いか らね。」
と言ったので、私は、
「だいじょうぶ、体に気をつけてね。」
と言いました。私は、
(心配だな。)
と思いました。祖母は、他にも、
「中国であんだセーターを日本に送ったよ。多分、今日にと どくからね。」
と言いました。
 その一時間後の午後六時に、宅配便が来ました。中は、祖母が言ったとおりに、セーターがありました。セーターは、青色で、白い線がえりの所にあります。それと、パジャマを送ってきてくれました。

おばあさんからリンゴ 六年 女  子

 十一月四日、水曜日の午後七時ころ、私は母に豆腐を買ってくるように頼まれました。私は玄関にあったダウンを着て、母から百円をもらって自転車で行きました。私は
(東向島の百円ショップ行こう。)
と思いました。裏道を通って、向島中学校の前を通ったらすぐに着きました。その日はとっても寒かったので、
(早く買って帰ろう。)
と思いました。私は豆腐を一丁買って外へ出ました。すると、私が出たと同時にお店に入ってきたおばあさんと、ぶつかってしまいました 。おばあさんは、その時持っていた十個ほどのリンゴを落としてしまいました。
「ごめんなさい!」
と言って、私は落ちていたリンゴを拾いました。そのリンゴは真っ赤で、美味しそうなリンゴでした。おばあさんは、
「まぁ、ありがとう。」
と言って、リンゴを拾い終わったら、おばあさんが、
「ありがとね。お礼に一つあげるわ。」
と言って、リンゴを一つ差し出してくれました。私は、
「大丈夫です。」
と言いましたが、
「いいのよ。一人じゃ食べきれないし。」
と言っていました。なので、私は一つもらうことにしました。
「ありがとうございます。」
と言うと、おばあさんは、
「こちらこそ。」
と言いました。そのまま帰りました。おばあさんの役に立てて、うれしかったです。

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