子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

3月29日(日)「希望の牧場」吉沢正巳さんの願い

3月29日(日)「希望の牧場」吉沢正巳さんの願い

 「私の終わらない旅」を妻と二人で見に行った。前日、共通の友だちの寺木さんからお誘いの電話があり、ちょうど予定がなかったので、出かけたのであった。解説によると、

パンフレットの解説

「2011年3月、福島第1原発事故の深刻さが明らかになる中、坂田雅子は亡き母。静子が遺した1冊の本を手に取る。「聞いてください」と題されたそれは、母が1977年から続けていた原発を問うミニコミ紙をまとめたものだった。フランスの再処理工場近くにクラス姉からの手紙をきっかけに反原発運動を始めた母は、最後まで原発のことを気にかけていた。そして起こった福島の事故ー
 坂田は母が続けていた反原発運動の意味に改めて気づき、兵器と原発という二面性を持つ核エネルギーの歴史をたどる旅に出る。フランスの再処理施設の対岸にクラス姉を訪ね、核実験をくり返し行われたマーシャル諸島で故郷を追われた人々に出会い、そしてカザフスタンでソ連による核実験で汚染された大地に生きる人々を見つめる。
 広島・長崎・第五福竜丸、3度もの被爆を体験した日本。しかし、「核の平和利用」を夢見て、原発を推進してきた私たちの時代。「聞いてください」核に翻弄された人々の声を。核の時代を問う、渾身のドキュメンタリー。

アメリカの身勝手

 このような解説のパンフをあらかじめ読みながら、座席に着いた。期待通りの映画であった。1番腹が立ったのは、マーシャル諸島に暮らす人々が核実験の放射能汚染から逃れるために島を追われて、小さな島に強制移住させられた人々の、嘆きの声であった。アメリカは、だまして、何の保障もせずに皆殺し状態にしている現状に、本当に腹が立った。

吉沢正巳さんの登壇

  映画上映後、監督の坂田雅子さんと、福島で肉牛を育てている吉沢正巳さんが登壇して、トークショーにうつった。吉沢さんは、福島だ一原発事故により、牧場の放棄と家畜の殺処分を命じられた農家。だが、それにあらがう男は、「一揆」を決意。敵は国、東電、そして放射能。「意地」だけを武器に闘い、絶望の淵で「希望の牧場」が生まれた。
 5分ほどのビデオが流れた。雪がたくさん積もった牛舎で、牛たちにえさをあげたり、掃除をしている吉沢さんの姿が映る。その牛たちは、売ることは出来ない。経済的価値ゼロの牛を育てている。

福島を忘れるな!

 監督とのトークショーは、胸に突き刺さった。何の収入にもならず、むしろえさ代などに金がかかるのに、意地で育てている。収入はどうなるのかが、1番気になるところであった。全国からカンパがいろいろな形できているという。時々渋谷の交差点で、一人演説会を開いていると、ほとんどの人々は、知らん顔で通り過ぎていくが、何人かの人々が関心を持って聞いてくれる。時々、1万円札のカンパがあることもあるとのことであった。このような行動を全国に広げていきたいとのことで、これからも福島を忘れるな、との願いで行動していきますと、熱く語ってくれた。
 会が終わり、出口のところで、「原発一揆」の本が売られていた。吉沢さんが、カンパ箱を置きながら、本を売っていたので、その本を1冊手にして、1万円をカンパした。この吉沢さんの夢を少しだけでも、広げ応援するために、映画館を後にした。

「希望の牧場」について 

「決死救命、団結!」――希望の牧場・吉沢正巳の訴え(前編)-1
寒い冬の早朝、牛舎で牛たちの世話をしながら牧場の主である吉沢正巳(60歳)はこう 言った。 「あの原発事故でおれたちの浪江町は『日本のチェルノブイリ』のようになって しまったんだ。もう二度と浪江町には帰れないかもしれないと思った。『希望』という名前 は

インターネットで検索してみてください。

 画像を含めて、吉沢さんの生き方がすべて丁寧に書かれています。ぜひ広げて、吉沢さんの願いを広げてほしいものです。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional