子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

4月15日(火)なかなか観られない映画

4月15日(火)なかなか観られない映画

「ある精肉店の話」を池袋文芸座に妻と二人で出かけた。前の日に、豊島作文の会の仲間である、寺木さんから電話があり、その映画のことの紹介があった。もう1本「標的の村」の2本立てで、シルバーだと1050円ではいれる。しかも、今日1日だけの上映だとのことで、行くことになった。あいにく、私は、午後2時から予定があったので、2本は見ることができない。「ある精肉店の話」は、最初から、最後までみることができた。ルポライターの鎌田慧は、次のように感動的に表現している。
 牛の飼育から屠畜解体まで、 いのちが輝いている、 前代未聞の優しいドキュメンタリー。 
大阪貝塚市での屠畜見学会。
牛のいのちと全身全霊で向き合う
ある精肉店との出会いから、この映画は始まった。
家族4人の息の合った手わざで牛が捌かれていく。
牛と人の体温が混ざり合う屠場は、熱気に満ちていた。

店に持ち帰られた枝肉は、
丁寧に切り分けられ、店頭に並ぶ。
皮は丹念になめされ、
立派なだんじり太鼓へと姿を変えていく。

家では、家族4世代が食卓に集い、いつもにぎやかだ。
家業を継ぎ7代目となる兄弟の心にあるのは
被差別部落ゆえのいわれなき差別を受けてきた父の姿。
差別のない社会にしたいと、地域の仲間とともに部落解放運動に参加するなかで
いつしか自分たちの意識も変化し、地域や家族も変わっていった。2012年3月。

 私が最後に勤めていた職場は、豚なめしの生産では、日本一と言われているところが近くにあった。職場の仲間からも、この映画のことは、聞いていた気がする。しかし、見に行く機会がなかった。当時、新聞などにも、この映画のことが話題になっていた。確かに、大きな牛をとさつの現場まで連れてきて、牛の眉間めがけて、大きななたのようなもので、強く打つと、四つ足は、がくんと来て、その場で命を落としてしまう。そこから、解体が始まるのだが、その手さばきの見事さは、感動的であった。腹の中の内蔵は、きれいに振り分ける。全ての皮をはいだあとは、後ろ足を機械で縛り、つるして、2つに大きな包丁で分ける。
 この家族が、江戸時代の終わりから、動物の解体を始めて、明治・大正・昭和・平成の時代をずっと引き継いできた。昔から、動物を殺す仕事は、被差別部落の人々の仕事であると、差別され続けてきた。結婚差別で、途中で破談になる例を話していた。終わりの方で、その家族の一人が結婚式を遂げるところで、クライマックスになる。この映画は、牛が殺されるところは、ショッキングであるが、人間は「動植物のいのち」を頂いて生きているわけだから、多くの人にみてもらいたい映画である。もう1つの「標的の村」は、沖縄の小さな150人くらいが住んでいる、平和な村に米軍のオスプレーが離着陸できるように飛行場を強引に作ろうとする物語であった。半分くらい観て、出てきてしまった。最後まで観たかったが、妻は、そのまま残ってみることにして、帰ってきた。最後は、どうなったか聞いてみよう。

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