子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月16日(土)東京作文協議会「講座」に参加して

5月16日(土)東京作文協議会「講座」に参加して

 今日は、東京作文の会の若い教師のための「講座」に参加した。小美濃さんの話も聞きたかったが、それ以上jに若い人がどのくらい集まるか気になり出席した。会場は、若い教師が、かなり参加していた。43人の参加だった。忙しい土曜日なのに、これだけ集まるというのは、大変いいことだ。実践報告が終わり、若人が中心に話された。それは、司会の方で、若い人という条件が合ったので、あえて発言せず、聞いていた。しかし、最後の方で、小美濃さん自身から、ベテランの人も何人か来ておりますので、ぜひ榎本さんの感想を聞きたいと名指しされてしまったので、発言をした。その中味は、一人ひとりの子どもたちと、固有名詞でつながっている実践で、我々に実践が伝わってきたと言うことを話した。それと、固有名詞が大事なのに、作文の会の機関誌「作文と教育」の実践報告をする教師が、自分の身分を、公立学校としていることは、おかしいと注文した。作文の会の編集長も来ていたので、あえてそれも強調した。時間が、限られていたので、それ以上発言しなかったので、しゃべり足りないことを、メールにして、送ることにした。
小美濃威さんへ
 今日はご苦労様でした。たくさんの若い人の参加の中で、具体的でわかりや講座を聴きながら、うらやましくも感じながら聞いておりました。やはり、こういう機会は、具体的な話でなくてはなりません。しかも、クラスの中で、はみ出し的な子どもにあえて光をあてながらのはなしに、日頃そんな子どもに悩んでいる若い人には、ビックリする話であったに違いありません。その子どもたちに光を当てることが、スタートとして、大事なことであると、参加者は、感じたに違いありません。そのような子どもたちが、たやすくは、変わらないけれども、時間をかけてその子どもと付き合っていく中で、やがては大きな喜びにつながっていくと言うことが、いくつかの実践の中で伝わりました。その根底は、一人ひとりの子どもたちを、固有名詞で語らなければならない。その一番の元は、子ども自身が、教師と、直接つながっているということが、日々の実践にあるということです。その繋がりの線は、一人ひとりの子どもたちと、教師が日記を通してつながっていると言うことです。今日は、当たり前に話をされておりましたが、もう少し日記指導のことを触れた方がもっとよかったのではないかと、聞いておりました。この頃の教師は、日記指導すら出来なくなっていると聞きます。今日の参加者の中で、日記指導をどの程度の人がやっているのかを聞きたいくらいでした。全くやっていない人も、いたのではなかったのかと、気になりました。一昨年の池袋の会で聞いた話も良かったが、今日の話は、教室の子どもたちと教師の繋がりが、手に取るようにわかりました。私は、来週の16日(土)に、「作文名人への道」を元に、サークルで話をする予定です。若い人がいたら、紹介していただくとありがたいです。とりあえず、添付ファイルで送ります。

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