子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月18日(月)小中合同同窓会に参加して

5月18日(月)小中合同同窓会に参加して

同窓会に54人の参加者

 小中学校時代の同窓会が開かれた。中学校は、4クラスあり、男女25名ずつの、50人学級だった気がする。したがって、合計200人の学年だった。そのうち、今回見えた方は、54人である。2年に1度開いているが、今回は我々が「古希」をむかえたので、しばらく会ってない顔が見られた。担任の先生は、中学校は、全員お亡くなりになってしまわれた。小学校の卒業学年でお世話になった先生は、お2人おいでになるが、ここ10年くらいは、お年もあるのでお呼びしていない。50人を超すメンバーだと、近況報告をするだけでも、かなりの時間がかかる。昨日は、幹事が、元C組の人たちが企画してくれた。幹事長は、橋本吉彦さんだった。乾杯の音頭は、永久幹事長の井原健一さんがしてくれた。彼は、慶応大学ラグビー部が、大学日本1位になったときのキャップテンだった。我らのあこがれの人だ。この同窓会が、今でも続いているのは、彼の功績が大きい。彼は母校の全体の同窓会の会長もされているとのことで、今の中学校の実情が少し語られた。

乾杯の音頭は井原健一さん 

 昔は、中学校は、入学試験があったが、そのあとに合格者はくじ引きで、決まるシステムだった、最近はそのくじ引きがなくなったらしい。そのために、中学校は、かなり優秀な児童が入学してくるとのことであった。乾杯のあとは、しばし、歓談の時間になった。皆同じ年なのだが、ずっと年上に見える人、その逆に昔と全く変わらない人がいておもしろかった。立食パーティー形式なのだが、疲れた人は、椅子にさわっている人もいた。

2年ぶりの従兄弟との再会

 母親同士が姉妹である、私の従兄弟の松岡猛さんも見えていた。家から持ってきた、今回の作文の本を彼に手渡した。髪の毛は、真っ白になり、私も、このくらいの年に見えるのかなと思いながら、2年ぶりの再会だった。彼とは、小さい頃は、お互いの家に年中行ったり来たりの間柄であった。彼には、3才違いの弟と、6才違いの妹があり、私には、2才違いの弟がいる。そんなわけで、お盆やお正月になると、必ずと言っていいほど、寝泊まりする間柄である。彼は、中学の時に試験を受けた入学してきた。私のように小学校からあがってきた子どもたちに比べて、中学から入ってきた子どもは、優秀なっ子どもが多かった。彼は、小学校の頃から本好きで、結構物知りであった。実際、中学2年の時に同じクラスになり、彼の方が成績も大変良くて、大変気になる存在になってしまった。以来、何かと比較されやすいので、二人が従兄弟であると言うことを、誰にも言わないことにした。実際彼は高校は、浦和高校に合格し、そのあとは東京工業大学に進学している。東大の大学院まで進んだ。私は、現役では大学に合格せず、1年浪人して大学に合格した。そんなわけで、何かと気になる存在なのである。彼の方は、何とも思っていないかも知れない。数年前の同窓会で、2人が、従兄弟同士であると近況報告で話すと、会場からどよめきが起こった。そのくらい、誰にもしゃべらずにいたのである。今、彼は、宇都宮大学の教授で退職されている。今でも、どこかの研究所に席があるらしい。研究一筋の男である。

近況報告は、ちょっと味気ない

 しばし歓談のあとに、恒例の近況報告になった。幹事の方から、1人、1分でお願いしますと条件をつけられた。A組から、順番に話が進んでいった。1分で話すというのは、難しいものだ。ほとんどのものが、時間オーバーになっていた。キッチンタイマーを1分で鳴るようにセットして、話の途中でも切られてしまっていた。そのやり方を見ていて、ちょっとむなしい進行だなあと感じた。せっかく久しぶりの人なのだから、せめて2分くらいは、時間を取れないのかと、気にしながら聞いていた。私の番になり、透析になってしまったことを話した。みんなビックリする反応であった。全員の話が終わり、しばしまた歓談の時間になった。何人かの友だちが、私の所に来て、体をいたわって下さいねと、挨拶に来てくれた。私の定年の最後の授業の時に講師できてくれた神野直彦さんも、いたわりの言葉をかけてくれた。彼は、このホームページに何度か出てくるが、東大の経済学部長になってから、結構マスコミを賑わしている。つい最近では、朝日新聞の夕刊で「人生の贈りもの」という特集で、昨年の12月ごろに5回シリーズで載ったことが、今回の話の中でも紹介されていた。帰り際に、機会があったら、また講演をお願いしますと、伝えておいた。もうかなり暇になったから、いつでもどうぞというような返答が帰ってきた。次回の幹事は、我々D組になる。浅海さんが声をかけて、壇上に集まり相談をした。声を上げると、何か言われそうなので、黙って聞いていた。最後に「司会は榎本な。」と念を押されてしまった。「生きていたらやるよ。」と返答した。 なお、この同窓会のようすと写真が、「昨日の風、今日の風」2545号 同窓会(2)というブログにくわしく載っているので、そちらの方もついでに、お楽しみ下さい。

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional