子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

6月2日(月)赤毛のアン展に出かけて

6月2日(月)赤毛のアン展に出かけて

 いつもなら、午前中は、ジムに行くのだが、前の日に妻から珍しくお誘いがあったので、そちらに同意して、出かけた。妻の友人から「赤毛のアン展」の招待券が2枚送られてきた。場所は、日本橋三越で、今日が最後の日だったのだ。朝9時半近くに家を出て、着いたのが開店2分前の10時少し前であった。すでに大勢の人が並んでいた。開店と同時に、かなりの人が7階の催し物場へ直行していた。「赤毛のアン」を生んだ、カナダの土地がらの紹介があり、その本を訳した村岡花子の生い立ちなどが克明に写真なども入れながら展示されていた。いまNHKで放映中の「花子とアン」の村岡花子の実家が、山梨の貧しい農家が舞台になっているが、実際は山梨の甲府市内のお茶やさんが実家だったらしい。創作だから、現実とちがっていいのだが、やはりその辺は事実を忠実にするドキュメントの方が、ピッタリする。れん子役の仲間由紀恵演じる柳原白蓮は、大正3美人の一人だけあって、本物の写真は、本当に美人であった。
 花子は、既婚者でもあった 村岡儆三と出会い、不倫の末、1919年に結婚し、村岡姓となる。1920年に誕生した長男を、1926年に病で失う。やがて妹の子どもを養女に迎え、その子どもが結婚し子どもが生まれ、今回の放送原稿の元を書いた方が、村岡恵里という人で、花子の孫に当たる人になる。インターネットで調べてみると、次のようなことが書かれていた。
「赤毛のアン」原作者のルーシー・モード・モンゴメリの孫、ケイト・マクドナルド・バトラーさんと初対面を果たした。3人が顔を合わせたのは、同日に日本橋三越本店新館(東京都中央区)の7階ギャラリーで開催された「モンゴメリと花子の赤毛のアン展」の開会式で、恵理さんは「実は祖母は、モンゴメリに会えたら、きっと親友になれたんじゃないかと言っているんですけれど、実際は出会えなかった。孫の私たちが友情を結べたのがうれしい」と喜びを語った。
 2時間近く展示品などをじっくり見学した。村岡の母校が、「東洋英和」なので、見学者の9割近くが女性であった。最終日でもあったので、すごい混雑であった。割り込みの得意なおばさんが何人かいて、驚いた。こういう見学は、大変疲れた。ちょうどお昼時だったので、デパート内のイタリア料理を食べて帰ってきた。

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