子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

6月23日(土)利尻・礼文の旅

6月23日(土)利尻・礼文の旅

 2012年6月12日(火)から15日(金)までの3泊4日の旅を楽しんできた。

きっかけは

 昨年の埼玉大学教育学部小学校課程の1968年度の卒業生が、久しぶりに同窓会を開いた。その時は、50名前後の仲間が集まった。ほとんどの人の顔は、思い出せないほどみんな月日の過ぎた出会いであった。みんな、退職して年金暮らしをしているものがほとんどであった。その中に、社会科のゼミの仲間の花形新一君が来ていた。当時石水ゼミと言って、男女4人ずつの8人が所属していた。その会のときに、「男子だけでも4人で集まりたいので、ぜひ連絡をとって欲しい。」と彼にたのまれたのだった。そこで、他の2人に連絡を取り、昨年の4月頃に川口で集まり旧交を温めた。みな20年ぶりに会うような関係であった。それぞれこれまでの近況を語り合った。その中で、小玉君が来年から利尻島に行き、宿泊施設を管理すると言う話を聞かされた。だから、その時には、ぜひみんなでお世話になろうと、話が弾んだ。その時、花形君は、まだ現役であったので、彼が退職のときには、ご苦労さん会を兼ねてその話も相談しようと行くことになっていた。 

話はトントン拍子に

 今年の4月に、退職した花形君からそろそろ会おうと連絡が入った。そこで、再び連絡をつけて、川口で会うことになった。児玉君は、4月に会った時点で、次の週には、利尻島に出発するとのことであった。そこで、いつ頃が良いのか相談したところ、観光シーズンの前の方がいいと言うことで、6月に決まったのであった。坂口君は、今回は仕事の都合で、花形君とわたしの2人で、行くことになった。いざ行くとなると、飛行機の切符から申し込まなければならない。旅慣れた坂口君が、コースや申し込みの方法などを、メールで送ってくれた。飛行機の予約など、直接申し込むなど、あまりしたことがなかったので、彼が教えてくれたとおりに申し込んでみた。幸いうまく切符がとれた。申し込んだその日の午後3時までに手続きをすると、かなり割引になるというので、すぐにカードで手続きした。羽田から稚内まで、往復1名5万1940円だった。正規の値段だと、往復8万5800円もするので、それに比べたら、ずいぶん割引になった。

利尻島の概略

 ウィキペディアによると、
「利尻島(りしりとう)とは、北海道北部、日本海上に浮かぶほぼ円形の島。面積182.11km2。日本の島嶼部で18番目に広い面積を有している。島内には利尻富士町と利尻町の自治体があり、『平成22年住民台帳人口・世帯数』における島の総人口は約5400人である。北には礼文水道を挟み礼文島が浮かぶ。地名語源は、アイヌ語のリー・シリ(高い島)。その名のごとく、利尻山を主体とした火山島である。利尻山には高山植物がたくさん分布している。有史以来火山活動の記録は無い。島の東半は利尻富士町、西半は利尻町に属する。」と書かれていた。

坂口さんのコースメニューが役立った

 羽田空港12:05(約110分)→稚内空港13:55→稚内港→ハートランドフェリー港(バス40分乗車後、約2時間待ち)→利尻島・鴛泊(おしどまり)港(約100分乗船)17:45着・小玉君とドッキング  
 このように、利尻島に到着するまでの計画をメールで送ってくれた。
 当日の朝、花形君とは浜松町のモノレール改札口で会い、羽田に向かった。何しろ、飛行機の切符は、当日朝、空港ビルに行き、そこで確認番号と予約番号を機械に入れると発行すると言うことまではわかっていた。直接カウンターで頼んでも良いのだが、花形君が、機械でやってみようというので恐る恐るやってみた。無事2枚の切符が出てきてほっとした。フライトには、2時間以上時間があったので、空港内の喫茶店に入りしばし歓談をした。お昼には早かったが11時半近くになったので、軽い昼食をとることにした。50分以上時間があったが、早めの手続きの方が安心すると思い、搭乗手続きに入った。まず、旅行鞄を手荷物にして、搭乗口の番号を教えられた。時間も十分あったので、その場所に向かった。行けども行けども、その番号の場所が見つからず焦ってきた。関係者らしき人に尋ねて、その場所を見過ごしていたので、また、はじから戻ることになってしまった。時間もあと15分くらいになり、かなり早歩きでさがした。やっとその場所が見つかり、バスに乗車できた。我々が最後かと思ったら、年配の夫婦らしき人が乗り込んできて、バスは発車した。

小玉君の出迎え

 1日目は、どんなにがんばっても、その日の夕方になると言うことはわかっていた。しかし、羽田空港で2時間半待ち・稚内港で2時間半待ちで、計5時間近くのロスタイムは、もったいなかった。飛行機と船の時間は、それ以上短縮する方法はなかった。あとでわかったのだが、羽田から千歳空港まで飛行機に乗り、そこから飛行機に乗り継いで利尻空港まで行くコースがある。それに乗ると、お昼頃には利尻には着くようだ。しかし、飛行機代が、さらに4万前後かかってしまうので、致し方ない。時間をかけてやっと利尻島が見えてきたときは、遙々来たんだなという喜びとこれからの4日間のことを思い、わくわくしてきた。あらかじめ連絡しておいたので、船が接岸し、タラップに下りるときに、小玉君の姿が見えた。我々がいることに気がつき、思わず手を振った。4月にあって以来なのに、来たこともない地で会うのは、興奮してしまう。歓迎の握手をして、彼の車に乗り込んだ。

宿に向かう

 8人くらい乗れる新車の白いワゴン車であった。10分くらいで、彼の経営する宿に着いた。すぐ裏が、海になっている。高台に建っているので、見下ろすように海が眺められる。玄関には、「民宿お泊まりサンキュウ」(3900円)素泊まり宿と言う看板が目についた。中に入ると、石油ストーブの上にフライパンが載せてあり、その中に緑色の植物が小さくきざんであった。そのわきに笹の芽が細く伸びた新芽を切ったものが並んでおいてあった。あとから聞いてわかったのっだが、クマザサの新芽を取り、それをフライパンで煎ると、香りの良い笹茶になる。それをその後、飲ませてもらったのだが、効能を聞いて、ますます驚いてしまった。高血圧の予防、ガンの予防、血液浄化などに聞くことがわかり、びっくりしてしまった。荷物を部屋に入れ、近くの利尻富士温泉「癒」に行く準備をした。歩いても7分くらいのところにあるのだが、車で連れて行ってくれた。我々を送ったあとに、1時間後に又迎えに来てくれると言うことで、ゆっくり温泉を楽しんだ。露天あり、サウナありでなかなかの温泉であった。1日目の旅の疲れは、その温泉で一気に回復した。外に出ると、体はポカポカするが、さすがに気温は10度前後で寒い。迎えに来てくれた車で、彼の宿に戻り、夕飯を食べに出かけた。

利尻の海の味

 「魚かつ」と言う漁師の経営する店が、歩いて1分もかからないところにある。6時頃に入ると、その日はワールドサッカーの予選で、日本対オーストラリア戦の日であった。店に入ると、テレビ観戦ができるので、ほっとした。生ビールで乾杯したあと、利尻でとれた海産物が次から次に出てきた。最初に出てきたのが、ホッケであった。こちらで見るのと形が少し違っていたが、味が濃くて驚いた。さらにイカの一夜干し・ウニなどの刺身が出てきた。どの味も絶品であった。ビールから冷酒に切り替えたが、他の2人は、それほど飲まず、花形君は、ビールの2杯目に挑戦していた。小玉君は、「ここのラーメンがおいしいんだ。」と言って、一足先に頼んで食べ始めていた。我々2人は、まだアルコールを楽しみながら、テレビ観戦を楽しんでいた。結局1対1の引き分けであった。小玉君が、ラーメンをおいしそうに食べるので、我々も最後に注文して食べた。 40年以上前のゼミ仲間であるが、昔の彼女の話で盛り上がった。4対4の男女であったがその中でひときわ、凛々しい女性がいた。ぼくらは卒業しても、8人で会うことが何回かあった。やがてそれぞれの職場に熱中し、その関係は自然に途絶えた。しかし、ぼくは、その女性と1年間お付き合いしていた。しかし、その関係もぼくの鈍感さが原因で、別れが待っていた。そんな話もあとから話をしたら、2人は、驚いていた。懐かしい思い出である。かなり酔いも回ったところで、その店をお開きにした。3人でかなり飲んだり食べたりしたのだが、1万円ちょっとの値段であった。小玉君には世話になるので、その場は2人で持つことにした。

第2日目 写真家林久夫さんの自宅へ

 この日の日程は、小玉君の昔の同僚で、かなり前からこの利尻島の山の自然に魅了されて、写真を撮り続けている林久夫さんの家にお邪魔することになった。小玉君の住む鴛泊(おしどまり)の、ちょうど反対側の仙法志(せんほうし)という南側に住んでおられる。気温も3度くらい暖かく感じた。購入した利尻山の写真集の履歴を見ると、我々より2~3歳下の方である。5年ほど前に、教職を2年早めに退職され、2007年より利尻島に渡り、撮影に取り組んでおられるようだ。2002年度には、「ヤマケイ・フォトコンテスト」でグランプリ受賞、同じ年に「岳人・フォトコンテスト」優秀賞を受賞されている。小玉君は、最初林さんの家で1年近く一緒に住み、利尻島の生活になじんでいったようだ。みんな教職経験者で、同世代であったせいか、すぐに自然に話を交わすことになった。部屋の中に入ると、大きなテレビに驚いた。畳1畳はある迫力であった。そこで、利尻山の林さんが写した利尻山の四季を解説入りで拝見した。どの山にも、林さんの考えた国字の漢字が記されていて感心した。奥様は、まだ東京で現役の教員をされ、今年が最後と話されていた。

裏山の自然体験

 しばらく話し込んだあと、林さんの家の裏山を案内していただいた。かなりの急斜面であったが、段々畑のようにして、いろんな作物が植えられていた。ジャガイモ・アスパラガス・レタスなどが狭いところに植えられていた。周囲は、クマザサの葉で覆われていた。道であったところが草でわからないほど茂っていたのを、草刈りして、頂上まで歩けるようにしたとのことであった。それほど高い山ではないが、急な斜面であったので、ゆっくり歩いて登った。途中林さんが、アスパラガスの茎を折って、「食べると甘いですよ。」と言って、わたしにくれた。生のままだったが、食べてみると、新鮮なアスパラの味がした。何の抵抗もなく、1本食べてしまった。途中に名も知らない植物が、いくつか咲いていた。ほとんどの花の名前を教えてくれた。小玉君は、クマザサの新芽を一生懸命摘んでいた。「これ桑の葉です。天ぷらにすると癖がなくおいしいんですよ。」と言って、自然に生えている桑の葉を指し示して教えてくれた。ぼくは、クマザサの新しい葉1枚取り、その葉を半分にして、指笛にして両手の親指で挟み、吹いてみた。良い音色になった。林さんが、そのやり方を知らなかったので、ぼくは得意になって、コツを教えてあげた。花形君も小玉君も、あまり経験がなかったようだ。みんなそれぞれ、良い音色に吹けるようになっていた。目的は、利尻の他の地域の見学であったので、2時間ほど時間をとったあとそこを後にした。「今晩は、新鮮な天ぷらをごちそうしますから、ぜひ来て下さい。」と約束をして、再び車に乗り込んだ。  

途中の景色

 小玉君は、我々のために、色々なものを見て欲しいと、途中で良い景色があると、そこで車を止めて、詳しく説明してくれた。自然が作ったおもしろい奇石の岩(寝熊の岩・人面岩)・利尻の山から何十年も経てわき水となって海水に流れ出ている場所・海でウニとりをしている漁師の姿・数多くの利尻独特のお花の数々などずいぶん教えていただいた。お昼になり、鴛泊まりまで戻り、ホテルのランチを注文した。海鮮中心のランチが届いた。値段のわりには、なかなかの味だった。遅めの昼食後、「利尻の花・登山」のポケット図鑑を購入しようとしたら、本人が近くのペンションの経営者だから、そこで買えば、サインももらえるかも知れないということで、そこに車で行ってみた。あいにく、本人は、お客の案内をして不在であった。本だけ求めて、一度宿舎に戻り、今度は
林さんのところへ夕方お邪魔するので、「利尻ふれあい温泉・癒(いやし)」に向かった。

盛りだくさんの手作り尽くし

 約束通りおいしそうな山菜天ぷらが、盛りだくさんにテーブルに置かれていた。その他、そばも並べられていた。林さんが我々のために、愛情を込めて待っていてくれたのだ。ビールで乾杯し、おいしくいただいた。小玉さんは、運転するので、ノンアルコールで付き合ってくれた。林さんは、もともとお酒は飲まない人ということで、我々に付き合ってくれた。みんな同年代でもあったので、話が自然に盛り上がった。ごちそうになったあとは、大画面にわたしのホームページを出していただいた。こんな大きな画面での映像にびっくり感動してしまった。ついでに、わたしのホームページを少し開いて、皆さんに見ていただいた。リンク集の「国分一太郎生誕100年集会」を開き、会の様子を写真で見ていただいた。林光さんの指揮をしている姿もその後3ヶ月後事故で亡くなられるので、貴重な映像であった。その他「ユーチューブ」を写真家の林さんがあまり活用してないと言うことなので、吉田拓郎と中島みゆきの「永遠の嘘をついてくれ」・野田首相の野党時代の街頭演説の「消費税への批判」・上杉隆の「マスコミ批判」・佐藤栄作首相の退陣記者会見・ニュースペーパーの政治家の物まね・落語家立川談志や桂枝雀の一席を見て楽しんだ。その後、林さん撮影の利尻の自然をいくつか見せていただいた。

礼文島に渡る

 当初、利尻島だけを想定していたのだが、小玉君からの提案で、せっかくだから礼文島にも出かけようとなった。ウィキペディアによると、
「北海道の北部、稚内市の西方60kmの日本海上に位置する。日本の施政権が及ぶ範囲において人の住んでいる最北の離島。地名語源はアイヌ語のレプン・シリ(沖の島)。礼文水道を挟んで利尻島の北西に位置する。0メートル地帯から高山植物が咲き乱れていることから別名花の浮島と呼ばれている。人口は2012年(平成24年)3月31日現在、2,904人。一島一郡一町で礼文郡礼文町をなす。」と書かれていた。
 朝9時30分に鴛泊港を出発し、40分間で香深(かふか)港に着き、小玉君の車で案内が始まる。礼文敦盛草(レブンアツモリソウ)が咲いている高山植物園に向かった。最盛期は過ぎていたが、何とか礼文島にきり見られない白い可憐な花を見ることができた。その後、礼文島の最北端のスコトン岬に向かう。小玉君が、千葉の北海道展で礼文島出身のうら若き女性と会い、そこで礼文に会いに行くと約束したらしい。再会するためにその店に向かった。しかし、残念ながらその女性とは会えなかった。どんな女性なのか、とにかく美人と言っていたので、顔が見たかった。たまたまその日は、休暇を取って休みだったとのことだった。「またこの次にくる。」と言って、買い物は、スコトン岬を見てからにした。遠くの方にトドらしき姿を、小玉さんからかりた双眼鏡で見ることができた。ああ、最果ての島に来たんだなあと思いながら、白い波しぶきが岩にぶつかる光景を眺めていた。再び先ほどの土産展に戻り、ここだけの土産をいくつか買い求め、次の目的地に向かった。

思わぬ出会い

 帰りの香深(かふか)港のフェリーターミナルに戻り、帰りの出発まで時間があったので、メノウの原石が見つかるかも知れないと、地蔵岩を目指して、車に乗り込んだ。目的地に着くと、ウニとりをした漁師の舟を待つ家族の姿に遭遇した。車を止めて、しばし、船を陸地に引きあげる光景を見た。大量のウニを積んだ船が2艘引き上げられた。年配の方に断って、ウニを選別しているところを目の前で見せていただいた。年を聞くと、日に焼けたにこやかな顔で、77才という返事が返ってきた。とてもそんな年には見えない若々しさに満ちていた。その息子さんの船が隣に、やはりウニを積んで引き揚げられていた。「親子2代ですね。」と声をかけると、「今もう1艘こちらに向かっているのは、孫の船だ。」と言う。そのお孫さんは、今年から漁師になったという20才くらいの青年であった。「まだ、子どもや、孫にはまけられない。」と言うウニの収穫を比べてみた。そのおじいさんの量も多かったが、孫の収穫したウニも大して変わらないほど、船の中に山となっていた。利尻島のウニ取りも見せていただいたが、礼文島の方が、収穫量は多い気がした。取り立てのウニを割っていただいて、またその場でごちそうになった。ウニは、ムラサキウニとバフンウニがいるが、バフンウニの方が値が倍近く高いそうだ。その家族の人が言うには、午前中にバフンウニを捕り、午後ムラサキウニを捕ったと言うことであった。1回の収穫したウニの平均の値は、1万円前後のようだ。多いときには、2万円にもなると話していた。家族3人で収穫したら、大変な量になると考えていたら、天候の関係で、1週間も量に出られないときもあるので、月の半分くらいだと言うことであった。

メノウの宝石を求めて

 ウニ漁師との家族にお礼の挨拶をし、目的地の地蔵岩に海岸線を2分程度歩いて写真におさめた。その付近は、メノウ浜と言うくらいだからと思いたくさんの小石の中にあるのかとさがしたが、見つからなかった。1つだけ白い透き通った石を見つけてくれた。 小玉さんは、次の見つかりそうな場所に車を移動させてくれた。3人で、海岸線の狭いところを歩いて行くと、いくつか拾うことができた。花形さんは、見つけるのがうまく片手に10個以上見つけていた。終わりかけた頃、結構大きいそれらしきものを見つけて、小玉さんに確認すると、「ずいぶん大きいメノウだ。」と言ってくれた。そこで、30分ほど探したあと、フェリーターミナルに向かった。切符を買ったあとは、少し時間があったので、すぐ近くの土産物店で時間を費やすことにした。
 今、礼文島は吉永小百合主演の映画、「北のカナリアたち」(2012年11月3日全国公開)のロケ地のことで沸き立っている。湊かなえの「往復書簡」(幻冬舎)をもとに、映画化されるという。「日本最北の地である利尻島・礼文島。20年前に一人の女性教師と生徒6人の間に 起こった“ある転落事故”を軸に、双方の思いが複雑に絡み合いながら、当時明かされる ことのなかった謎と真実が、一つの衝撃的な結末を導き出す――。東映が創立60周年記念 」そのように解説されている。楽しみだ。

旅を終えて

 今回、思いもかけぬ出来事がきっかけになり、訪れたことのない、利尻・礼文の4日間の旅を楽しんだ。学生時代の友達との久しぶりの再会は、みんな年金生活者になったればこそ実現した夢だ。特に自分の仕事を度外視して、4日間時間を割き、2人のために自分の車を提供し、たくさんの見せ場を案内してくれた小玉さんに大変感謝している。ご自分のかっての職場の同僚の写真家林久夫さんとの交流も、中味の濃いものになった。
 また、花形さんとは、まさに寝食を共にして、ふだん聞けないいい話?もたくさん聞けた。この旅を側面から色々援助してくれた坂口さんにも、お礼を言いたい。
 若かりし頃の青春を取り戻し、元気をもらった旅だった。
 2012.6.22(金)坂口さんと花形さんの3人であう日に。

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