子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

8月19日(火)第10回国分一太郎「教育」と「文学」研究会大会ルポ

8月19日(火)第10回国分一太郎「教育」と「文学」研究会大会ルポ

「さくらんぼ東根駅」事務局員の何人かは、1列車早い新幹線で到着。駅の改札には、地元の奥山昭男さん、山田亨二郎さん、国分恵太さん伊佐良夫さんなどが出迎えてくれた。さっそく車に分乗し、会場の東根公民館へ向かった。国分一太郎さんが戦前8年間勤めた長瀞小学校が、公民館になっている。玄関前に、バケツが3つ置いてあり、そこにススキの葉のようなものが植えてあった。国分さんの最初の文集の題に使われた「がつご」と言う植物が置かれていた。元気になられた寒河江文雄さんが持ってきてくれたらしい。会場に入ると、全体会の椅子並べを、村田民雄さんはじめ現地の人がしていた。第10回国分一太郎「教育」と「文学」研究会という横断幕が、張り出された。これは、村田民雄さんの毎年の力作である。廊下には、寒河江文雄さんが、毎年長瀞小の子どもたちに指導されて作られた行灯が並べてある。国分さんが子どもたちと一緒に作った長瀞カルタが、行灯に書かれている。毎年8月10日頃に始まる長瀞祭りに飾られるようだ。初めての方には、その説明があると良いなと思いながら、会場に入った。パイプ椅子を70人分くらい並べただろうか。
 袋詰めを終えて、事前に頼んでいた弁当を食べることにした。田中夫妻・国分真一さん・日色章さん・左川紀子さん・工藤哲さん・榎本夫妻の8人が先発隊であった。弁当を食べている途中に、後発隊の乙部武志さん・本間英美子さんのお二人が見えた。また、車で1日早くキャンプ場に宿泊した早川恒敬さん・小山守さんも見え、一緒に食事をとる。これで、東京からの予定の事務局員は、全員そろった。
 午後1時半からに、まだ30分近く時間があったので、寒河江文雄さんが中心になって作ってくれた想画教育コーナーが、1階の一番奥の部屋に作られていた。講演会が終わると、すぐに墓参りになるので、ゆっくり見られないので、急遽寒河江さんに頼んで、説明をしていただいた。短い時間であったが、開会の1時半ギリギリまで、心を込めて解説して下さった。   

国分一太郎の作品朗読と音楽

 開会式の司会は、村山恵子さんという若々しい女性が担当して下さった。開会のあいさつは、地元の大江権八会長は病気で、挨拶がなく寂しい。早くお元気になって、また我々の前に姿を見せてほしいと願う。田中会長の挨拶。来賓挨拶は、教育長・長瀞区長会長の挨拶。長瀞市議会議長のメッセージの朗読。その後に、メインの内容に入る。
 加藤民子さんの「胸のどきどきとくちびるのふるえ」「村の祭日」の朗読。心温まる透き通るような声で話された。
 毎年恒例になっている国分さんの詩に曲が作られ、それを現地の人が心を込めて歌って下さる。渡部ゆき子さんの司会で、始まる。「こぶしの花」「かやしょい」「日暮れの酒買い」「最上川」「君ひとのこの師であれば」などが次々と歌われていく。今年は、神町小学校の今成稜さんが「雨のえんそく」を独唱した。傘を持ちながら、子どもらしい伸びのある声で、会場を魅了した。大きな拍手が響いていた。

映像でみる国分一太郎「昔・村の子どもは」(NHK仙台放送局制作)  

 何度かこの映像は見たが、国分さんが亡くなった後に、NHK仙台放送局制作のビデオである。国分さんが最後に教えた「もんぺの弟」が、ちょうど60才になっていた。1985年制作したものなので、「50年前・こども文集の世界」となっている。あれから29年たったので、79年前のこども文集の世界になる。したがって、その最後の教え子さんも、90才になっている。何年か前までには、この会にも見えていたが、今年はその姿がないのが寂しい。当時国分さんが大事にした綴方教育と想画教育(図画教育)が、長瀞小の目玉の教育であった。その2つをうまく組み合わせながら、編集されている。画面に出てくる、教え子さんの顔も、みんな若々しい。

座談会「長瀞と国分先生」

 総合司会の村山さんから、パネラーの紹介があった。「地元の3人てんぷくトリオ」の紹介には、思わず笑いが出た。誰が考えたんだろう。多分村田民雄さんかなと考えながら聞いていた。柔らかい雰囲気が会場に広がった。司会は、国分一太郎研究会、田中定幸さん。パネラーとして、国分一太郎・こぶしの会から、吉田達夫さん・ 奥山昭夫さん・山田享二郎さんが出演。印象に残った会話を並べておく。
「国分先生は、担任している子どもたちを、分け隔てなく平等に、また、根気よく指導にあたり、子どもたちの生活の有り様を作文で表現させた。そして、国分先生がいた頃の長瀞小学校の先生方は、子どもたちに対して、現実を見て作文などの表現活動を理論づけて
あらわし、研究し、良い実践をした。」
「昭和30年代には、青年団の活動を、優しく見守り、『地域の文化は、地元を大切にしなくてはいけない』と、青年団の活動方針を示唆して頂き、地元に根ざした活動を行う事ができた。そのため、昭和32年には、国分先生のお力添えもあって、長いこと途絶えていた、郷土芸能である『獅子踊り』を復活できた。この事は誠にうれしく感じている。
 更に、文集『もんぺ』の中には、子どもの家庭の貧しさを表現させている。今の時代には、子どもの家庭の困窮ぶりを表現させることは、保護者にとって、大いに抵抗があるが、この時代は、先生と子どものみならず、親も先生をきちっと見ており、信頼を寄せていたに違いない考えられる。」
「いわゆる『教育碑』という物が、東根市内や全国にたくさんあるが、この長瀞公民館に、ある『君、人の子の師であれば』の碑は、先生が先生をさして戒めているわけで、これは珍しく、長瀞地区の自慢となってはいないか。」
 なお、会場には、長瀞小学校の現役の教師がお二人見えていた。大変うれしいことだ。できれば、このお二人の方に、映像を見た感想を話していただきたかった

恒例の国分一太郎の墓へ

「こぶし忌」時代から続いている墓参りである。最初の頃は、小さなこぶしの木が、今やうっそうとした立派な木に成長した。こぶし忌時代は、4月の第2土曜日と決まっていた。そこでは、近くに生えていたノビルをつまみにしながら、おいしい酒で献杯したものだった。そのしきたりに記念講演で来られた鶴見和子さんは、えらく感動しそのことを文章にまとめておられた。その辺のいきさつについては、乙部武志さんが今年もくわしく説明して下さった。最近は、国分さんの弟正三郎さんの息子恵太さんの連れ合いのゆう子奥様の手料理こんにゃく玉とキュウリの浅漬けを頂いている。毎年そこでは、国分さんの書いた作品を墓前で読むことにしている。今年は、『胸のどきどきとくちびるのふるえ』を山形の元高校教師梅津恒夫さんが読み上げた。この詩が、教科書に載り、それを読んだ井上ひさしさんが、その時の感動を『国分一太郎文集』刊行の折に書いた。そのことを、梅津さんは、どこの教科書に載り、どのようにして井上少年に届いたのかをくわしく調べられている。その完成が待ち遠しい。力強く読んでいただいた。
■夜の交流会
 6時半の受付後、全体の集合写真を例年通り田中健太郎さんが撮る。時間に間に合わない事務局員がおり、ご迷惑をかけた。司会は、小山守さんと榎本が担当した。歓迎のあいさつを地元より奥山昭男さんが、心温まるあいさつをしていただく。乾杯は、今回一番遠くから参加された馬田哲明さん(元熊本作文の会会長)にお願いした。新幹線で、東京で1泊され、2日間かかりの参加。今年は、宿泊者21名、交流会のみは11名の合計32名であった。今回は、余興を1つを事務局で用意した。『最上川舟歌』に合わせて、日本舞踊を榎本麗豊(典子)にお願いした。地元では、この歌でお祭りがあるようだ。しばし歓談後、恒例の自己紹介にうつる。最後に『もんぺの弟』の歌をみんなで歌い閉会のあいさつにうつる。毎年、一太郎さんの長男の真一さんがしているが、今年も参加者に感銘を与える話であった。

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