子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

9月25日(木)安倍総理の日本語

9月25日(木)安倍総理の日本語

 オリンピックの日本誘致の時に演説した文章の中で、「福島の原発事故の汚染は、安全にコントロールできている」と言う大嘘は、聞いている誰もがビックリした。結果的に、日本の誘致が決定し、マスコミは大騒ぎでお祭り騒ぎの記事を載せていた。安倍総理のウソ演説は、消えてなくなってしまったように、ほとんど取り上げられなかった。
 国会での野党とのやりとりなどを聞いていると、ぜんぜんかみ合っていないのに、脳天気でしゃべり続けている。次の日の新聞の記事などを読んでも、トンチンカンな発言も、それほど問題にされずに、過ぎ去っている。少し古くなったが、日本語の専門家金田一秀穂さんが、ずばっと切ってくれて、その記事をもう一度読み直し、あらためてほれぼれした。朝日のデジタルでその記事を見つけたので、ここに載せておく。 

言葉の力、信じない首相 金田一秀穂さん(杏林大学教授)

 安倍晋三さんの言葉で面白いもの、印象に残るものってほとんどないですね。「質問に答えない」と批判されるけど、国会答弁や記者会見を見ていると、ごまかしや言い逃れという感じでもない。ずっとすれ違ったままでかまわないと思ってるんじゃないか。言葉で人を説得しよう、動かそうという気がないみたいに見える。
 言葉には、描写の言葉と行為の言葉があります。「椅子に座る」は描写の言葉です。でも、「椅子に座ってください」とか「ありがとう」と言うのは、それ自体が行為ですよね。
 政治の言葉は、約束するとか、宣言するとか、基本的には行為としての言語です。でも安倍さんは、言葉は「飾り」のようなもので、行為は別にやればいいと思ってるんじゃないか。
 政治家は、言葉それ自体が行為だと自覚しなくてはいけません。吉田茂や佐藤栄作はそこがわかっていた。安倍さんの祖父・岸信介は「私には声なき声が聞こえる」と言って、安保改定を強行した。善しあしは別として、言葉に重さがありました。
 でも、今の政治家は言葉が軽い。小泉純一郎さんあたりから、白か黒かのデジタル的で単純な言葉が増えました。わかりやすいことはわかりやすいけれど、薄くペンキを塗るような言葉づかいになってきている。
 安倍さんも勇ましい言葉は多い。「まさに」という言葉をよく使うんですね。スパッ、スパッと言い切っていく。深く考えてないから言い切れるんです。考えている人間は、なかなか言い切れないですよ。
 その割に失言が目立たないのは、やっぱり言葉が軽いからです。「国民の命を守る」「日本を取り戻す」とか言っておけば文句が出ない。集団的自衛権も「おじいさんやおばあさん、子どもたちが乗る米国の船をいま私たちは守ることができない」といった薄っぺらな言葉で語られる。つるつるした言葉しか使わないから、非難されにくい。
 政治だけでなく、社会全体が耳に快い言葉しか受け付けなくなってしまった。反感を買うような「強い言葉」は排除されて、誰も傷つけない言葉が受け入れられる。だから安倍さんに人気があるのかもしれません。
 昔のように政治が小難しい言葉で語られ、政治家が強い言葉で人々を熱狂させるのもどうかとは思いますけど、ふわふわした言葉ばかりになるのもすごく危なっかしい。誰も反対できない言葉だけを言っていればいいという雰囲気になると、何かあれば一気に流されてしまう。
 安倍さんは言葉に鈍感すぎる。広島と長崎の原爆式典のあいさつが昨年と同じコピペではないかと指摘されたのがいい例で、さすがにみんな気づいてきたんじゃないか。結局、あの人は言葉の力を信じていないんですね。(聞き手・尾沢智史) きんだいちひでほ 53年生まれ。専門は日本語学。「金田一家、日本語百年のひみつ」など著書多数。海外での日本語教育の経験も豊富。言語学者の金田一京助氏は祖父、春彦氏は父。2014年9月4日(木)朝日朝刊

日本語の達人の系譜

 私が、小学生の時、たしか5年か6年の国語の教科書に、「アイヌ語を教えてくれた子どもたち」のような題名の話が載っていた。その作者が、金田一京助さんだった。金田一秀穂さんの祖父である。京助さんがアイヌ語を研究するために、アイヌの人々が暮らしているところで、アイヌの子どもたちから言葉を教えてもらう話であった。やがて、中学校に進級して、国語の辞書を購入した。その辞書の編集著者が、金田一京助さんだった。今でも、その時に使った辞書が我が家においてある。
 あるときNHKの「私の秘密」の人気番組に、京助さんがゲストで出てこられた。初めて、辞書を作っている京助さんの顔を拝見した。最後に、京助さんと強い繋がりの人が出てくるが、本人はそれを知らないのである。たしかその方が、京助さんの親友だった石川啄木に関係ある人だった気がする。NHKのアーカイブスで探せば、残っていれば見られるはずである。川口の収蔵室は、我が家から自転車で15分くらいの所にあるので、今度見つけてみたい。もう、50年以上前の出来事なので、私の記憶から薄れてしまった。お子さんの春彦さんも、同じように国語の辞書を編集されていた。この方の話は、いつもユーモアがあり、とても楽しい話を聞いた記憶がある。秀穂さんの頭脳に、日本語への思想は脈々と繋がっている。

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