子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月10日(木)関東大震災・朝鮮人虐殺の記録その3

11月10日(木)関東大震災・朝鮮人虐殺の記録その3

K・N 雨宮ヶ原付近(現在立花五丁目)

 どもりの日本人が、間違って殺されました。当時は「15銭。」と言わせていました。つまって言えなかったんです。子どもと女の人が泣いているので聞くと、そう言っていました。体に鉄砲の穴が空いていました。自警団がやったものです。
 日本刀でめった切りに殺された人もいる。2,3人くらいだったら、色んなところで殺されていましたよ。現向島署の前は昔はらっぱで、そこでも殺されていました。

宮沢(仮名)

 私達は最初、今の錦糸公園の所のはらっぱに逃げ、亀戸天神まで行きましたが、火の粉が飛んでくるので大勢の人たちと小村井の雨宮が原に逃げていきました。(略)1日の真夜中に朝鮮人騒ぎがありましたよ。「オーイ、オーイ」と呼び合って、逃げないように取り囲み、丸太ん棒や鉄棒で殴り殺していました。まだ死なないと魚屋の若い人がまたいで出刃包丁でむねの所からチンポの所まで裂いてしまい、この棒などで腹わたをえぐり出していた。(略)そのことは父親から聞いたんです。(略)雨宮の原っぱでは朝になると水ぶくれになった死体が荒縄で縛られ、ほっぽり投げられていました。2,3人殺されていました。焼けている方からドカーンドカーンと大きな音がして、それは朝鮮人が爆弾を投げたんだと騒いだりしていました。

佐多稲子(作家)寺島の家に戻り、そばの京成電車の停留所に近所の人と避難」

 1日暮れかけてきて、どこからともなしに伝わってきたのは、朝鮮人が井戸に毒を投げたという噂であった。その井戸は近くだし、あっちでも朝鮮人が毒を投入する瞬間に捕まえられた。そしてそれは撃ち殺され川に投げられたという。(略)弟はどこからか持ってきたのか、私に消防の持つ跳び口を1っぽんにぎらせた。跳び口の先はするどく、銀色に光って、それは重いものだった。弟はこれを私の護身用に、それも朝鮮人に対する護身用に握らせたのであった。(略)跳び口はしかるべき宮筋から出たのに違いなかった。(略)その1夜を心細く、とび口を抱いて地べたに座っていた。この空き地の周囲で、いわゆる朝鮮人騒ぎが起こっているからであった。アララララ、と聞こえる高い叫び声は朝鮮語らしく聞こえる。しないでも激しく打ち合うような音も聞こえる。朝鮮人がこの大動乱に乗じて、暴動を起こしたという筋書きを疑う。力もないから、空き地の周囲の叫び声や、打ち合う物音を、朝鮮人との闘いなのだ、と私は思っていた。(略)近くのどぶ川にうつぶせに浮かんでいたのは、町の住民に殺された朝鮮人の死体であった。工場街である寺島のある寺島のあたりは朝鮮人騒ぎの大きかった所と聞いている。

佐多稲子さんのこと

 佐多稲子さんは、国分さんの家の近くに住んでおられ、共産党を除名される時に、新日本文学にいて、同じように処分された方でもある。国分さんが亡くなられたときは、「生涯の大事、ご一緒に」という題で、なくなった次の日の毎日新聞に書いておられる。その文章は、「北に向かいし枝なりき:」(国分一太郎追悼文集)に載せてある。

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