子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月11日(金)生涯の大事、ご一緒に

11月11日(金)生涯の大事、ご一緒に

ー新日本文学界、そして共産党ー 佐多稲子

 国分一太郎さんをしのぶ文を私が書くことになって、それが辛い。国分さんは73歳であった。私より7つも年下なのである。もっとも5年前の12月に国分さんは、大きく胃を切除している。だからその後の国分さんを気づかってはきたが、この頃では旅に出かけられ、お酒も少しなら、と聞いて私など、案じる気持も忘れがちになっていた。1月14日に入院というのさえ、2月に入って知るようなことで、見舞いに行きたいと思ったのも間に合わなかった。
 12日の今日午後2時頃、国分さんの遺体が自宅に戻られるのを待って、国分さんのお顔を見た。やや青白いその顔は、一層優しげに、やすらいで見えた。が、最後の時は、おびただしい大量の吐血であったと聞いた。
 それを思いつつ書くこの文は、国分さんの今日までの業績を偲ぶものでなければならないのを知っている。実際また私も、今はお棺の内の国分さんの優しくなったお顔を見ながら、その優しさにもかかわらず、厳しい生き方をした人だった、と言う思いを持ったのである。日本作文の会の創立者のひとりとして、また戦前からつづり方運動の大事なひとりとしての国分さんの業績は、意義深く残ることであろう。
 ただ、私は少しばかりその仕事が違うと言うことで、国分さんとしての仕事を語り得ない。が、戦後に新日本文学界の活動と、お互い共産党に関わって共通の経験をしたと言うことで、国分さんとの繋がりは濃いものになった。それは私の生涯のうちで、ひとつの大きな意味を持つものと自分で考える行為なのだが、この活動を国分さんと一緒にしたのである。1964年6月に、12人の連盟で、共産党に対して「要請」文を送り、一般にも公表したという活動である。その「要望」は、当時ソ連と中国の反目という情勢に対し、日本共産党は中国よりであって、つまりは反ソの傾向を示したこと、及びその他、党中央の懸念される方針に対して、十分な討議を求める、と言う内容のものであった。
 こういう活動の時、国分一太郎がいっしょ、と言うことを、私はもっとも頼りにした。国分さんは、どんな会議の時も、声高に、たくさん話す、と言う人ではなかった。しかし国分さんが発言するとき、その発言はいつもじっさいに即していて、また自身、その活動を負う人であった。多くの人の信頼があったのはそのことによっていよう。新日本文学会の困難な活動においても国分さんは長い期間、責任者の役を背負わされた。
 その国分さんと私が、1966年の7月、ソ連作家同盟の招待で、20日間のソビェト旅行を一緒にしたのは、共産党への「要請」という政治活動とともに、私としてのやはり大きなことだったから、今思えば私は生涯の、記憶に残る行為を2度、国分さんと共にしたと言うことになる。
 当時、国分さんの長女ミチコさんはモスクワのルムンバ大学に留学中であった。私は息子の窪川健造を同道した。ソ連旅行は国分さんと私の、親子2組の道連れになったのである。中野重治が、君たちは最高の贅沢な旅行をしたものだ、とあとで言ったが、その通りであった。この旅行中、私は1度も国分さんの不機嫌な表情を見なかった。親子連れという気安さもあったに違いないが、憤るときは憤る人と知っているから、不機嫌な顔を見なかったのは私に嬉しかった。
 その国分さんと私はこの30年余りを、歩いて10分ほどの近所に住んだ。私があとから移ってきて、はからずも近かったと言うことだが、国分さんが下駄ばきで、郷里の山形の漬け物や山菜を届けてくれたこともある。そのあるときは、目の見えない老犬を連れていて、これは年寄りの白内障になって、といとおしげに言うのであった。最後にあったのは。昨年の9月末、人権を守る会を作ろう、と言うことで、「解放同盟」の人と共に丸の内のホテルで集まったときである。こういう趣旨の活動を共に出来る人を、私はまた失った。「毎日新聞」夕刊1985年2月13日

佐多稲子さん

 稲子という名前が、私の母と同じであったこともあり、母の本棚には、佐多さんの小説が何冊か並べられていた。和服の似合う方で、国分さんをしのぶ会などでも、お会いすることが出来た。私が墨田に異動したときに、佐多稲子さんは、小梅小の学区域内の向島に住んでおられたということを、あとで知ることになる。関東大震災の頃は、そこで今回の出来事に出会ったのであろう。
 なお、国分一太郎追悼文集は、私の手元にまだ何冊かある。郷里の山形から国分さんの弟の正三郎さんの息子さんの恵太さんが、送ってくれたものである。今、読んでも、国分さんの幅広い人脈がよくわかる。非売品であるが、5千円の価値がある本である。ほしい方は、郵送代含めて、2000円で送ります。

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