子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月18日(土)同窓会の打ち合わせ

11月18日(土)同窓会の打ち合わせ

 新卒で、初めて勤務したところが、豊島区立池袋第三小学校だった。初めての担任は、4年生であった。その学年は、毎年のようにクラス替えがあって、6年生まではクラス替えもないことが約束されていた。3クラスであった。1組は、私が担任し、2組は、元気はつらつの大須賀敬子先生、3組は、ベテランの丹羽陶吾先生だった。3年間楽しく過ごすことが出来た。作文教育の大切さを教えていただいたのは、大須賀先生からであった。大須賀先生は、当時日本作文の会に所属し、色々な作文教育の「いろは」を教えていただいた。その子どもたちが、10年に1度くらい3クラス合同の同窓会を開いてくれている。最初は、1組だけのクラス会であったのだが、10年前に同窓会になった。当時、鈴木宏達さんも健在で、参加してくれた。丹羽先生も、60歳近くで、ガンで亡くなってしまった。当時の関係者は、私と大須賀先生と、音楽の中嶋一成先生、土屋祥子先生がお元気なので、参加してくれるのではないか。その打ち合わせの幹事会をするので、先生も顔を出してほしいと1週間前に連絡があった。場所は、2組の厚木君が経営している「富久寿司」という店であった。幹事の打ち合わせならでなくてもいいのかなと思ったが、ぜひ顔を出してほしいというので、本日参加してきた。

みんないい叔父さん叔母さんだった

 1組は、白鳥君、岡本君、秋山さん、佐々木君 2組は、石垣君、松川さん、3組は、小仏君、池田さんが参加してくれた。小仏君は、川口に住んでいるとのことだ。白鳥君も、髪の毛も薄くなり、苦労が多いのだろう?山口組対策の刑事をしている。佐々木君とは、隣の席だったので、その後の近況を少し語ってくれた。大部、ご苦労があったようで、今は、茨城県の方に越し、そこで仕事を始めたようだ。海産物関係を扱う仕事らしい。みんな元気に活躍していて、何よりである。せっかく集まったのだから、各自の近況も聞きたかった。当時私の年は、23歳、子どもたちは10歳であった。あれから、49年経った。子どもたちも還暦に近い、59歳になる。来年の4月だから、子どもたちの還暦を迎える会になりそうだ。

えのさん日記のファンがいた

 こう話していて、わかったのだが、2組の松川さんは、私のこの「えのさん日記」を、時々のぞいてくれていると聞いたので、嬉しくなった。そこに参加していた何人かの人に、名刺を差し上げた。また、このホームページを開いてくれる人が増えるかも知れない。来年の4月22日(日)に、母校池袋第三小学校に集合の予定である。出来たら、体育館をお借りして、そこでやれたら1番良いと言うことになった。その折衝は、2組の石垣君が担当してくれることになった。9時を過ぎていたので、明日のソフトバレーの監督もしているので、私は、早めに腰を上げ、その場から離れた。「先生、それまでは、生きていてくれよ。」と相変わらずの一言を言う白鳥君であった。店の前まで、秋山さんと松川さんが送って下さった。ありがたいことだ。最後の、お二人と、握手をして別れた。

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