子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

11月19日(日)これが生きた社会科だ

11月19日(日)これが生きた社会科だ

これが生きた社会科だ! 

 社会科の一学期の学習は、『日本の農業』からの出発です。日本のお米は、今はどうなっているのでしょうか。日本人の食生活が少しづつ変わって来ています。お米を食べる人が、少しづつへって来ていますが、まだまだ日本人の主食になっています。それにしても、お米の値段が高いという人がいますが、本当にそうでしょうか。お米一カップの重さをはかって見て下さい。一カップで大人の人のおちゃわん二はい分あります。おちゃわん二はい食べれば、おなかがいっぱいになります。そのおなかがいっぱいになるお米の値段を、計算して欲しいのです。
 今、お米やさんやスーパーや生協などからお米を買っているでしょう。一袋ふくろ)十キログラムいくらくらいか調べてみると良いですね。そうすると、お米の値段が、パンやうどんなどと比べて安いかどうかが分かりますから、どうか調べて見て欲しいです。亮君は、そのお米の田植えにおばあちゃんの所まで、行って来たのです。田植えは、五月頃やります。この日記だと少し早いですね。
 それを、お父さん、お兄さん、お母さんの四人で手伝いに行ったのです。この文の中には、これから勉強する社会科の勉強に大いに関係のある、宝物のような文です。この文から、日本の農業問題がたくさんつまっています。なぜ、大久保君は、お父さん達と一緒に田植えの手伝いに行ったのでしょうか。そこから、みんなで勉強していきましょう。

田植えの手伝い 5年 男子  4月30日(日)の日記より

 昨日、茨城(いばらき)のおばあちゃんの家に、田植えをやるので、毎年手伝いに行く。僕(ぼく)は、まだ小さいので、田んぼの中には入らなかった。父と兄がやっていた。僕は、最初はやる事がなかったので、テレビを見たりしていた。少ししてから、僕は、外に出て遊んでいた。そしたら、おばあちゃんの家の山の方から、うぐいすの鳴(な)き声が聞こえた。
「ホーホケキョウ。」
と何度も何度も聞こえた。きれいな声だった。今度は、トカゲも見た。こわくはないけど、少しびっくりした。少しして、母が、
「りょう、ラーメン食べる。」
と聞かれた。僕は、
「食べる。」
と言った。お昼からは、父が、田んぼに連れて来てくれた。僕は、長ぐつをはいた。ぼうしをかぶって、こう思いました。
(ようしがんばるぞ。)
と思い、一緒(いっしょ)に行った。田んぼに着(つ)いてから、僕は、苗(なえ)を運んだり、ケースを運んだりしていた。田んぼ中には、おたまじゃくしやかえるがいた。やっと田んぼが終わった。
 みんなで、おばあちゃんの家に帰って、少し休んで4時ころから、バトミントをやった。僕と母とで組んで、兄とおじさんと組んでやった。つかれたけど、楽しかったです。

 うぐいすの鳴き声の聞こえる所で、トカゲを見たりしながら、大変値打ちのある労働をして来ました。だれにも出来るような労働(働く)ではないから、値打ちがあるのです。亮君が社会科で勉強するのが、日本の農業からと言うのを知っていたから、わざわざこういう体験をさせたのかも知れません。いなかで農業をしている人は、機会があったら、このように労働体験をしてほしいのです。田植えをお父さんがしている所、自分がしている所をもう少し見た通り、した通りに書いてくれたらもっとすてきな文章になりました。

田植えなどは、なかなかできない

 こんな貴重なことも、日記があったから、思い出して書いてくれたのだ、この学習を通じて、みんなで、田植えのことを考えた。お米を育てるのには、この関東地方では、6月頃に田んぼを田起こしをして、その後に代かきをし、田植えを始める。昔は、田んぼに一列に並び、人間が手を使い2~3本ずつの苗を植えていった。江戸時代、明治時代大正昭和の前半までは、日本中どこでも同じ風景であった。そこに耕耘機や田植機やコンバインの機械が入ってきて、機械化が人々の働き方を変えた。やがて、除草剤を使い、農薬で簡単に草取りをしないで、簡単にできるようになった。しかし、そこから、田んぼに、生き物がいなくなり、農薬の害が増えていった。そこで、農薬を極力使わずに、有機農業を大切にする人が出てきた。

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