子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

2月11日(木 )北海道綴り方連盟事件を考える・その2

2月11日(木 )北海道綴り方連盟事件を考える・その2

国分さんの本の中にも、高田冨与弁護士について触れている

「被告人は〈中略〉文学を愛好し、いわゆるプロレタリア文学乃至にプロレタリア文芸理論を渉猟繙読し、昭和9年以来共産主義を信奉するに至り、コミンテルン並びにその支部たる日本共産党が世界共産主義革命の一環として、我国に於いて革命的手段に依り私有財産制度を否認しプロレタリア-トの独裁を通して共産主義社会の実現を目的とする結社なることを知り乍らこれを支持し、前示旭小学校奉職中、小学校の諸教科中綴方科が特定の教科書なく、教師の創意を比較的自由に発揮し得る特質あるに着眼し、これが教育指導に当たり、児童に生産的労働場面、家庭の貧窮生活乃至之等に関係ある生活場面に取材せしむる様題材の方向を指示して課題し、之が生活現実を在りの儘に観察叙述せしめ、之に文語、合評、鑑賞等の指導を加える過程を通し、経済を基本とする社会唯物的人間観を啓発し、労働及び生産の価値を認識せしめ、勤労大衆の恵まれざる資本主義社会の矛盾を認識せしむると共に、労働者農民子弟の愛情共感を培かい、階級意識を誘致醸成して、資本主義社会変革乃至共産主義社会建設に志向乃結束すべき強靱なる意欲性乃至協働性等の左翼的諸性格の培育を意図せる所謂生活綴方理論及同左翼教育理論を他の諸教科など一般教育分野に発展適用せる所謂生活主義教育理論を把握するや、コミンテルン並日本共産党の目的達成に資するものなることを認識しながら、これら教育の実践及同教育理論乃至その実践方法を普及宣伝する等各種の左翼活動を企て・・・。」(高田冨与著「綴方連盟事件」P21~22) 「小学教師の有罪」回想綴方事件〈国分一太郎著〉
 なお、ここでは、「北海道綴方教育連盟の幹部小坂佐久馬〈現教育出版会長〉のことや生活図画教育運動弾圧に触れただけことはあるとの思いにそそられる。また山形県警察部の特高課砂田の所から伝えられたものを、よく飲み込んで、東北地方における動きを、いかにもよくつかんでいるかのごとく処理している様子がうかがえる。」「小学教師の有罪」 「高田先生万華鏡」
 この本は、綴り方事件で逮捕され、裁判にかけらた12名のもの(うち1名は、長い拘禁の生活に体を壊し、後半の審議前に死亡)を、弁護した高田さんのことを慕って、世話になった人々がまとめた冊子である。

小坂佐久馬

「先生は、この事件が、いかに不当理不尽にでっち上げられたかを示す事例として、ある連盟同人を、彼が読んだこともない他人の図書を熟読して左翼意識を持つに至ったことに捏造して、無理無体に犯罪者に仕立てた特高や検事の所為は、まさに醜体であり、狂気の沙汰であり、呆れたことだ。、一事が万事、こんな調子で事件は作られたもの、と笑って話された。」「一身の名利をかえりみず、この事件にどれほど精魂を打ち込んで取り組まれたか、計り知れないものがある。ただただ、有り難い、という以外に言葉もない。この時代に思想事件に連座して嫌疑をかけられた人たちを、献身的に弁護するには、よほどの勇気と正義感とを必要としたことで、到底並みの人間にできる事柄ではない。」

坂本 亮

「拘禁されていた私たちにとっては、自分たちの主張が全く認められなかったのは、なんともいえず腹立たしかった。この腹立ちはやがて心細さに変わり、それは一転して激しい人間不信の気持ちになった。こういう中で石附先生が金策を配慮され、高田先生が無援の私たちのため、弁護を引き受けてくださったのである。この両先生の侠(きよう)気(き)による恩愛こそ、公判を受けた一同が終生忘れがたいものである。」

土橋明次

「高田先生は、宝石のようです。いや、宝石にもまして美しく、貴重な人生を歩いてこられた方であります。この先生と接することができましたことは、私の大きな幸せであります。先生には、この初夏に満81才をお迎えになりますが、いよいよご壮健にてご長命のようなお祈り申し上げます。私は、この夏にも墓参りに帰道いたし、またお元気なお姿に接しますことを楽しみにしております。」「高田先生に私が初めてお目にかかったのは、予審が終わって公判に付された昭和17年の夏、釧路拘置所で、看守の立ち会いの下でした。先生は太い眉と、じっとこちらを見つめられる目で、“公判では本当のことを言ってください”と言われました。既に長い間、一切の面会と文通を禁止されていた私どもにとって、言葉少ない先生でしたが地獄に仏でした。」

松田文次郎

「独房にじいっと耐えて、表情のけわしい、白い冷酷な眼で問い詰められる時間が来るのを待つ以外になすすべのないある日、事件が起きてから初めてシャバの人間に会うことができた。その人間が高田先生だったのである。あの時の先生のキラキラと輝く、切るような鋭い眼、ときどき動き出す太く黒い眉も、区切りのよい明確さの中にこめられた温かいお言葉、尋問といかにも違うものであったが、今でも鮮明に思い出すことができる。」

浜辺裁判長

「私の長い裁判生活中、今度の高田弁護士のようなりっぱな弁護は聞いたことがない。どんな弁護料を払っても決して高いということはないほどのものです。」

高田 富與さんのまとめの言葉

「この事件の記録は、終戦間もなくの頃、司法省の指示であるとして、国防保安法、軍機保護法等の事件の記録とともに、焼却して貰(もら)いたいと、裁判所側から口頭で求められたけれども、私は、これに応じないで、今日まで保存していたのである。
 従って、裁判所検事局等で保存していた此の事件の記録等は、すべて焼却せられて、現在は全く保存されていないのでないかと思う。
 この記録の焼却については、求める方にもそれぞれの理由があってのことと思われるけれども、このことに関連して思い起こされることは、終戦前における此の種事件の起訴といい判決といい、端的には狂気の沙汰と言ってよいもののあったことである。」

教職員組合への苦言

「こうした私の気持ちが言わせるので、採るに足らないことかもしれないが、戦後逸速く教職員組合を組織しての活動は、大いに肯(がえ)んじてよいとしても、威勢のよい鉢巻姿をも混えて“教育の危機、今日より甚(はなは)だしきはなし”などと決議している人達のうちに、この綴方教育連盟事件で、同僚が理不尽な目に遭っていたとき--いわば “教育の危機”どころではない教育の危機に、どんな態度であったろうか、果して、そっぽを向いているような人が、いなかったであろうか。
 そっぽを向くような非情な人が、いなかったとしても、この事件の被告人等を進んで救助すべく努めた人が、果して幾人あったろうか、私は深く疑わざるを得ない。」 昭和三十三年五月二十日

焼却せず残してよかった

 高田 富與機保護法等の事件の記録とともに、焼却して貰(もら)いたいと、裁判所側から口頭で求められたけれども、私は、これに応じないで、今日まで保存していたのである。
 従って、裁判所検事局等で保存していた此の事件の記録等は、すべて焼却せられて、現在は全く保存されていないのでないかと思う。
 この記録の焼却については、求める方にもそれぞれの理由があってのことと思われるけれども、このことに関連して思い起こされることは、終戦前における此の種事件の起訴といい判決といい、端的には狂気の沙汰と言ってよいもののあったことである。」  
    昭和三十三年五月二十日
 高田弁護士の弁論は、「この事件は、私の25年に亙る弁護士生活の中で、最も力を注ぎ、最も苦心した事件で、例えばその弁論の如きも2日に跨(またが)り、12時間に及ぶという、私としては類のない長いものであったから、いろいろな意味で忘れることのできない事件」ということなので、私はこの高田先生が2日間、12時間にわたってどんな弁護をしたのか、ぜひ知りたいと思った。
(鈴木健治さんレポートより)

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