子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

4月22日(金 )母の履歴

4月22日(金 )母の履歴

 今回、相続のために母の戸籍をさいたま市役所で、取り寄せた。その時に、誕生が、東京の港区なので、そこに連絡を取って、戸籍を取ってほしいと言われ、直接出かけて、戸籍を取りに行った。手書きの崩し字で、大変読みずらかったが、東京市の字が目に入った。芝区金杉町3丁目の住所が、現在どの番地になっているかを、調べてもらった。担当の方が親切で、現在の住所まで教えてくれた。区役所から、歩いて、10分くらいと分かったので、せっかくなので、どの辺なのか地図を頼りに歩いてみた。かなり歩いて、近くまで来たが、疲れたので、途中で断念した。浜松町駅から歩いて、10分ほどのところであることが分かった。そこで、戦前大きな米屋を営んでいたことは、祖母からも良く聞かされていた。昔のアルバム帳に、母が小さかった頃の写真が出てきた。この間なくなった、川越の叔母もそこに写っていた。母が、6才くらいで、川越の叔母は3才くらいに見えた。5月の49日の日に、その写真を持参しようと考えている。もちろん、古い戸籍もコピーして関係者の人に見せるつもりだ。

榎本 稲子の歴史(相続のための資料作成)

1920(大正9)年7月29日父榎本喜重 母志満の長女として誕生 東京市芝区金杉3丁目26番地

1920(大正9)年8月9日 父 榎本喜重役所に届け出

1923(大正12)年9月1日 関東大震災 3才

1934(昭和9)年 1月 埼玉県与野町下落合772番地へ転居 14才

1937年 日中戦争始まる 

1941(昭和16)年 埼玉女子師範学校を卒業し、大宮三橋高等小学校勤務 21才

1941年12月8日 太平洋戦争開始(真珠湾攻撃)

1944(昭和19)年 今野幸正と結婚 大宮三橋高等小学校退職  25才

1945年 3月10日東京大空襲

1945年 8月6日広島原爆投下 8月9日長崎原爆投下

1945年 8月15日 太平洋戦争に負ける(敗戦)

1945(昭和20)年 10月22日 長男豊誕生 下落合1696番地                    25才

1947(昭和22)年 9月20日 次男宏誕生   27才

1948(昭和23)年 2月26日 協議離婚 28才

1950(昭和25)年 浦和市立北浦和小学校教諭採用 30才

1958(昭和33)年 与野市下落合より浦和市常盤6-95番地に転居 38才

1960(昭和30)年 浦和市立常盤小学校に転勤 40才

1970(昭和40)年 浦和市立別所小学校に転勤 50才

1975(昭和45)年 浦和市立仲町小学校に転勤 55才

1980(昭和50)年 浦和市立仲町小学校定年退職 60才

1980(昭和50)年 浦和市立別所公民館副館長に採用 65才 5年間勤めて、退職

2000(平成12)年 さいたま市浦和区常盤6-17-9で一人暮らし 85才

2008(平成20)年 老人ホーム『まどか中浦和』に入居 88才

2015(平成27)年 老人ホーム『まどか中浦和』で死亡7月21日  94才

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