子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

4月24日(水)横須賀薫様

4月24日(水)横須賀薫様

 子どもの発見〉と赤い鳥の研究論文を、送って下さりありがとうございました。赤い鳥については、知らないことばかりで、今回の論文は、初めて聞くようなことばかりで、非常に役に立ちました。「童心主義」という言葉は、管忠道さんによるところが大きいと言うことも、初めて知ることでした。余談ですが、教師になってはじめて勤めた職場が、池袋の西口近くの小学校でした。職場の先輩に誘われて出かけた飲み屋が、菅さんが、よく通ってきていた、池袋の沖縄の飲み屋「おもろ」でした。そこの飲み屋には、文化人が結構来ていたようで、草野心平・宗像誠也などという色紙が飾られておりました。国分さんが、日本共産党に入るときの推薦人の一人が、菅さんと言うことも、国分さんの文章で読みました。もしかしたら、国分さんもそこに一度は来ていたのかもしれません。教師4年目くらいの時に、わたしの実践を元に研究会が持たれました。そのときの講師が、国分さんでした。わたしのつたない実践を、いやに持ち上げてくれたのも懐かしい思い出です。その晩は、池袋の西口の飲み屋に来ていただき、盛大に会を開いたことがありました。そのとき、わたしは、25歳くらいで、国分さんは、60才をちょっと過ぎた位の年令でした。やがて、何年か経ち、国分さんのご自宅で、研究会があるから、やる気があるならと、職場の先輩に誘われて、出かけました。以来、国分さんが亡くなるまで、その場所で研究を深めることができました。最初は、月に1回でしたが、途中から月に2回になり、国分さんが70才のときに、「古希を迎えた国分一太郎先生にささげる」と、最初のページに書き、「今、何をどう書かせるか」(明治図書)という低・中・高学年3冊出版できたことは、大きな喜びでした。そのときに、。国分さんは、「綴方理論研究学会」と名前をつけなさいと、勧めてくれたのでした。以来、「綴方理論研究会」として、今に至っています。年に2回、山形と、池袋で国分一太郎「教育」と「文学」研究会主催の会を持つに至りました。横須賀先生には、第1回の会と昨年の14回で、記念講演をしていただきました。今、理論研究会では、国分さんが亡くなる一年前に学芸大学で集中講義をした授業を、テープ起こしをして、学んでいるところです。ついこの間、「赤い鳥」のことが出ていました。今回の先生の論文と付け合わせながら、再度研究を深めたいと考えております。色々、よけいなことを書き込み失礼しました。

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