子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

5月24日(火)素敵な本が届いた

5月24日(火)素敵な本が届いた

 国分一太郎「教育」と「文学」研究会では、毎年世話になっている山形の「こぶしの会」の村田民雄さんから本が送られてきた。「書業無情」と言う題名だ。普通ならば、「諸行無常」という平家物語の冒頭の言葉を思い出す人が多いだろう。この4文字言葉の本来の意味を調べてみると、次のように解説してある。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理(ことわり)をあらわす」現代語訳:祇園精舎の鐘の音は「世の中に不変のものはないという風に聞こえる。沙羅双樹の花の色は、栄える者は必ずや衰え滅び、長くは続かないこの世の定理をあらわしている。)」また、『いろは歌』にある「いろはにほへとちりぬるを」も諸行無常を意味する。

「書業無情」の題名の謎

 なぜこのような4文字熟語を作ったのかを不思議に思いながら読んでいくと、すぐに謎が解けた。「天知我知」と言う最初のページで理解できた。村田さんは、地元山形の神町で、本屋を開業している。20年前に書かれたこの文章の中に、開業して26年と書いてあるので、今年で46年目に入っている。20年前から、「大型店の進出やコンビニの出店が相次ぎ、どこも売り上げ不振にあえいでいる。」と書いてある。この短い文章の中に、著者の仕事への希望と不安がはめ込まれている。「書業」とは、本屋の仕事という意味だろう。「無常」でなく「無情」に置きかえたのは、相手への思いやりもない冷淡なことを強調したのだろう。このように、どこの章も、この4文字熟語をひねって題名をつけている。したがって、題名を読みながら、今度はどんな落ちなのだろうとわくわくしながら読んでしまう。この4文字熟語は、文章が出来てから、その後にこじつけたとあとがきに書かれているが、たいした発想力である。

8年もの間連載

「書業無情」と言う章は、この本の3分の1のページを割いている。解説によると、著者が、全国書店新聞「本屋のうちそと」に1996年から、2004年までに、載せた文章である。8年もの間連載したことになる。読み手が、同業の本屋さん関係の人が読むので、厳しい現実の商売のことが多いが、著者の仕事への希望や夢も所々に出てくる。1996年の5月「言語冗談」などを読むと、郵便局員と著者の遊び心が出て、思わず笑ってしまう。また、次々に出てくる、ユーモアにも感心してしまう。1998年の4月「以心伝心」などを読むと、商店街主催で、地域を元気づけることが、町を活性化させるという考えが貫かれている。過疎過密の人口移動で、地方の経済は疲弊してきているが、その中でギリギリの試行錯誤が至るところの章に出てきて、読みながらかくれた応援団になっている自分に気がつく。

真向かいのパン屋の息子が芥川賞作家

 2001年9月「和重月間」に、初めて芥川作家になる阿部和重のことが出てくる。著者の家のすぐ近くに住んでいたという。阿部については、「きてけらっしゃい東根」の2月「阿部和重の町」に詳しくでてくる。2005年の1月13日のビックなニュースは、東根市出身の阿部和重が、芥川賞を受賞した。著者の店の真向かいにある「パンの木村家」の次男であるという。本屋的にはジャンボ宝くじの1等賞にも勝るほどの奇跡であると書いてある。受賞したら、新聞社に頼まれていた本屋のオヤジのコメントも活字になった。翌朝は店にもテレビ局が押しかけ、各局のニュースで放送されたので、阿部和重にも劣らぬ「有名人」になった。さらに8月「出会いの小さな旅」でも、その後の半年後のことも触れてある。東京、札幌、仙台などの大都市からの学生がこの神町を訪れた。こんな文章を読むと、村田さん長いことやっていると、素敵なことも起きるもんですねと、心に思いながら読んでしまう。

市民が作る総合誌

 2003年1月「総合冊子」にも触れたい。東根市の文学界が母体となって、文学を志す会員の創作発表の場として発行してきた同人誌がある。1ページあたり、2000円の掲載料を取って、年二回の継続発行している。毎号500部が売り切れになるという。村田さんは、その雑誌の編集と販売を手伝ってきたという。今どき、このような文化活動が、続いているということが、他の地域にあるだろうか。私も何冊か手に入れたが、様々のジャンルの文章が載せられている。何年か前に、田中定幸さんが書いた1枚の写真を巡っての国分さんとの思い出を綴ったものが、印象に残っている。

ふるさと神町への思い

 次の章は、「ふるさとスケッチ」の方は、1996年から東根文学会が担当したコラムで、現在まで続いているという。その中の、神町関係を著者が担当したものである。1つのコラムには、必ず美術連盟の挿絵が添えられている。自分の地元神町に生まれ育った著者の生きた歴史の一コマが描かれている。「赤門」では、敗戦後、米軍基地が全国に作られ、神町もその中の1つである。米軍相手のキャバレー街は、自衛隊移住とともに近辺の老若男女の社交の場になったが、今はその場所も形もさだかでない赤門が、それぞれの心に残っているという。著者の1才下の私にも、浦和の町に米軍の住居があり、その周りには、厳重に金網で囲われていたことを思い出した。本土の方でなくなった部分が、すべて沖縄に凝縮されたと思うと複雑である。

神町開村350年

 次の「神町駅」にも、詳しく基地のことが触れられている。「郡道」では、村田少年の家がサクランボとりんごの果樹栽培農家であることが分かる。農繁期休みには、一家の家事労働の大事な役割を任されている。「神町開村350年」を読むと、1661年の原野に鍬を入れ、現在に至る歴史が分かる。りんご栽培は、明治のはじめごろに始まっている。それを記念して、若木山公園に神町小学校の生徒全員が「わたしたちの若木原」が群読で披露されたという。村田さんの孫もその中の一人で、目頭を熱くして聞いたと書かれている。地元の人にとってはなじみの深い地名の由来なども、克明に調べて書いてある。

東根の名所

「きてけらっしゃい山形」は、河北新報夕刊紙に月一回コラムを中心にまとめたものである。仙台圏の読者に、山形東根市を売り込むことを意識して書いたと書かれている。
「関山街道」では、この道を松尾芭蕉をしたって、正岡子規が歩き、長塚節は、正岡子規の足跡を求めて歩いている。関山トンネルを過ぎると、「文学の杜」があり、3人の足跡偲ぶ文学碑が建てられている。峠下の大滝には関山隧道を越えた文人、子規、長塚、国木田独歩らの文学碑が並んで建っている。国分さんは、戦前の教員時代に、交通費を浮かすために、仙台の研究会まで、人に自転車を借りて、参加しているという有名な話が残っている。私たち理論研究会のメンバー数人で、その場所を見に行ったことを思い出す。
 阿部和重さんのことも、ここで再び取り上げている。作品のほとんどが、ふるさと神町が舞台である。受賞作「グランド・フィナーレ」は、ロリコン趣味が妻に発覚して、離婚された主人公が神町に帰ってくるという設定で、地元の読者の反応も複雑だ。
 その他に、佐藤錦の発祥の地、東根のサクランボ、東根温泉での「湯けむり映画祭」等、地元ならではのことを取り上げている。

芸実分化

 村田さんは、様々な地域文化に関わっていることが、よく分かる。市制30周年を記念しての「五百人の第9」。劇団民芸「人を喰った話」、モーツアルト生誕300年記念「市民のためのコンサート」、人形劇団「ひとみ座」、「ミュージックイン東の杜」、民話の会の「ごぜ唄コンサート」、親子劇場、東根落語会なども企画している。17年間に様々な分野で活躍している児童文学作家を招いて、講演会を開いている。

国分一太郎生誕100年記念行事

 これは、我々もずいぶんお世話になった、記念行事である。国分さんの戦前の勤務校長瀞小学校跡地(現在公民館)の庭に「教育記念碑」を建立する。東の杜資料館の中に「国分一太郎資料展示室」と「資料収蔵室」を開設している。国分一太郎研究者にとっては、貴重な宝の山になっている。

「もんぺの弟」復刻について

 長瀞小学校尋常科3年生の60人の子どもたちの詩を綴った文集である。これは、1962年日本作文の会全国大会が、この長瀞小学校で行われたときに、国分さんの教え子たちが、その文集の字をまねながら(当時コピーなどなかった)作ったものである。やがて、国分さんが亡くなった年に、NHK仙台放送局、当時の文集を題材に「昔・むらの子どもは」ー50年前の子どもたちーと言うタイトルで、東北地方を中心に放映された。当時想画教育も長瀞小は盛んであった。その想画と一緒に、教え子さんたちが、自分の文章を読み上げた。この映像は、たいへんうまく編集されており、毎年夏に行われる国分一太郎「教育」と「文学」研究会の折に、何度か放映された。何度見ても、感動する映像である。

「爺々刻々」

 ここでは、村田さんの心の中に残っている、恩師や一緒に文化活動に携わって亡くなった人達の思い出を綴っている。直接知らない人ばかりだが、読んでいると、村田さんの人柄がにじみ出ている。また、9条の会や安保法案反対集会等、平和の問題に様々に関わって、活動していることが分かる。

「家系訪問」

 NHKのファミリーヒストリーを、楽しみに見ている一人であるが、1昨年91才で亡くなった父親村田吉助さんが亡くなったことをきっかけに、父親の書類から「村田政五郎」の除籍謄本を見つけ、自分のルーツを調べるきっかけになる。父親の兄妹が、戦前浅草区内に暮らしていた。それを調べていく過程が、克明に書かれている。浅草黒船町で、「村田煙管屋(きせるや)」だった。江戸末期に水野忠邦について山形にやってきた。この2つをもとに、先祖を辿る旅に出る。やがて、煙管の村田文六は享保3年創業、村田の名前はあまりに名高く煙管の代名詞になったと紹介されている。150年の歴史を、調べていくのは、たいへんな難しさであろうが、持ち前の感性のよさで、次々と明らかにしていく。
 毎年、国分一太郎「教育」と「文学」研究会でお世話になっているが、この本を読むと、村田さんの仕事への情熱と地域文化に貢献していく大切さが分かる。そこに暮らしている人々を元気づけることになり、ひいては自分の仕事にも繋がっていくことを、教えてくれる読み応えのある本であった。村田さん、まずは、出版おめでとうございます。購入したい方は、下記に連絡を。

「書業無情」村田民雄著(ひがしね叢書)定価1500円

発行 東根文学会「北の風出版」
〒999-3763 東根市神町中央1-9-1
電話 0237-47-0099 FAX 0237-48-1788
 なお、今年の夏に、第12回国分一太郎「教育」と「文学」研究会が、山形県東根市の長瀞公民館で行われる。そこでも、この本は、販売されると考えます。
日時 2016年  7月23日(土)~24日(日)
場所 長瀞公民館
 詳しい内容は、私のホームページの第12回国分一太郎「教育」と「文学」研究会に、案内状は出す予定です。現在作成中。

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