子どもたちの文章表現指導を誰にでも出来る一般化理論の構築・えのさんの綴り方日記

6月23日(火)沖縄慰霊の日

6月23日(火)沖縄慰霊の日

 沖縄を何度か訪ねたことがある。1番最初は、復帰前の1970年だった。新卒2年目の年に職場の仲間の人に誘われて、夏休みに出かけた。外国扱いなので、日本円をドルに換えて、予防注射をし、パスポートを作っての旅だった。行きは、東京の晴海港から船に乗り、船上で2泊し45時間乗り、那覇の港に着いた。当時オレンジなどは、珍しかった。那覇の市場に行くと、夜の10時過ぎまで賑やかに店が路上に出されて売り買いがされていた。毎晩沖縄料理を食べに、宿舎の近くの飲み屋に通った。当時沖縄料理は、今ほど食べられていなかったので、何でも珍しく試食した。お酒もおいしかった。泡盛を、飲むのも珍しかった。そこの店の接待をしてくれた女性が、沖縄美人の典型で、その方に会うのが楽しくて、毎晩通った。懐かしい思い出である。それから、5回くらい沖縄を訪ねた。久米島や宮古島にも出かけた。娘の千香が5才くらいだった気がする。いつでかけても、基地の島という印象である。

琉球処分

 琉球処分という言葉がある。最初は、江戸時代に、当時の薩摩藩と交流のあった琉球王国のあとに、明治政府によって統合された。2度目の処分が、あの太平洋戦争後に、日本から引き離されて、アメリカの国に統合されてしまった。太平洋戦争で唯一の地上戦の行われた沖縄、3分の1の人々が、なくなっている。戦後は、土地も没収されて、そこを基地にされてしまった。普天間基地をなくし、辺野古基地を海上に作りと、安倍自民党は考えた。しかし、沖縄の民意は、それを拒否し、基地のない町を目指した。そんな歴史的な日が、今日である。戦後処分されて、70年経ったのが今日の日であった。翁長知事の話は、どの文も頷くことばかりであった。それにくらべて、安倍の演説の空々しいこと、良くもあんな演説が出来ると、あきれて聞いていた。やっていることと、言っていることがこんなにもおかしいことに、気がついていないのだろうか。どっちみち、自分で考えて作った文章ではないから、読んでいてもむなしくなるばかりであった。

沖縄慰霊の日 翁長雄志知事の平和宣言(全文)

2015年6月23日 15:40 翁長雄志 戦後70年 慰霊の日 注目 沖縄戦 政治 普天間移設問題・辺野古新基地
翁長雄志・沖縄県知事
 70年目の6月23日を迎えました。 私たちの郷土沖縄では、かつて、史上まれに見る熾(し)烈(れつ)な地上戦が行われました。20万人余りの尊い命が犠牲となり、家族や友人など愛する人々を失った悲しみを、私たちは永遠に忘れることができません。
 それは、私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦のもたらす悲惨さを鮮明に記憶しているからであり、戦争の犠牲になられた方々の安らかであることを心から願い、恒久平和を切望しているからです。
 戦後、私たちは、この思いを忘れることなく、復興と発展の道を力強く歩んでまいりました。
 しかしながら、国土面積の0・6%にすぎない本県に、日米安全保障体制を担う米軍専用施設の73・8%が集中し、依然として過重な基地負担が県民生活や本県の振興開発にさまざまな影響を与え続けています。米軍再編に基づく普天間飛行場の辺野古への移設をはじめ、嘉手納飛行場より南の米軍基地の整理縮小がなされても、専用施設面積の全国に占める割合がわずか0・7%しか縮小されず、返還時期も含め、基地負担の軽減とはほど遠いものであります。
 沖縄の米軍基地問題は、わが国の安全保障の問題であり、国民全体で負担すべき重要な課題であります。
 特に、普天間飛行場の辺野古移設については、昨年の選挙で反対の民意が示されており、辺野古に新基地を建設することは困難であります。
 そもそも、私たち県民の思いとは全く別に、強制接収された世界一危険といわれる普天間飛行場の固定化は許されず、「その危険性除去のため辺野古に移設する」「嫌なら沖縄が代替案を出しなさい」との考えは、到底県民には許容できるものではありません。
 国民の自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできないのです。
 政府においては、固定観念に縛られず、普天間飛行場を辺野古へ移設する作業の中止を決断され、沖縄の基地負担を軽減する政策を再度見直されることを強く求めます。
 一方、私たちを取り巻く世界情勢は、地域紛争やテロ、差別や貧困がもととなり、多くの人が命を落としたり、人間としての尊厳が蹂躙(じゅうりん)されるなど悲劇が今なお繰り返されています。
 このような現実にしっかりと向き合い、平和を脅かすさまざまな問題を解決するには、一人一人が積極的に平和を求める強い意志を持つことが重要であります。
 戦後70年を迎え、アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの「万国津梁」の精神を胸に刻み、これからも私たちは、アジア・太平洋地域の発展と、平和の実現に向けて努力してまいります。
 未来を担う子や孫のために、誇りある豊かさを創りあげ、時を超えて、いつまでも子どもたちの笑顔が絶えない豊かな沖縄を目指します。
 慰霊の日に当たり、戦没者のみ霊に心から哀悼の誠をささげるとともに、沖縄が恒久平和の発信地として輝かしい未来の構築に向けて、全力で取り組んでいく決意をここに宣言します。
 2015年6月23日 
 沖縄県知事 翁長雄志

powered by Quick Homepage Maker 5.1
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional